14 湖畔の散歩
 次の朝、デイジーおばさんには正直に話した。どうせすぐばれるのだ。だが、状況が落
着くまで家族には絶対言わないことを誓わせた。「デイジーおばさんまで僕の人生を悲惨
なものにしたいの!」ちょっと芝居がかっていたが、それぐらいでちょうどいい。それに
まんざらうそではなかった。
 ジェシカに結婚を前提にした交際を申し込むつもりだった。少しばかり古風だと自分で
も思ったが、仕事も持たないアスターには今すぐ結婚と言うわけにはいかない。だが、ジ
ェシカを確保しておきたかった。
 緊張した面持ちでジェシカを散歩に誘った。ジェシカはちょっと戸惑った顔をしたが
「わたしもちょうど、相談したいことがあったのよ」そう言って上着をはおった。
 無邪気に笑うジェシカ。アスターは気持ちを引き締めた。
 ところが、それぞれが自分の思いに沈んでしまい、ふたりはなに話さないまま湖のほと
りに着いた。それから無言のままベンチに座ると湖に浮かぶ貸しボートを見つめた。アス
ターはどう話を切り出そうかと考えていた。知り合って間もないといえる。だけど一緒に
過ごした時間はそれなりに長い。ジェシカも自分のことに好意をもっているのはわかって
いる。ただそれがアスターほど切羽詰った状況ではない。その上、アスターの見かけはぱ
っとしないし定職もない。条件はとても悪い。
「ちょっと歩こうか?」アスターの声にジェシカはふと我に返り頷いた。
「相談したいことがあるって言ってたけどなに?」
 ジェシカは考えながら言った。「ここにきてからいろんなことがあって、わたしの価値
観や既成概念が音をたてて崩れて行きそうな気がして不安になったの。もしかしたらわた
しは頭がおかしいんじゃないかって。それならば、いまのように独創的で奇抜な創作をす
るより、まともで現実的な物を作ったほうがいいんじゃないかなって」
「普通で、面白みのない物を? 頭がまともであることを証明するために?」
「この間のマシュー先生から頼まれた胸像はまともな物だわ。……ただ、自分で作った気
がしないけど……」
『だからよかったのよ』後ろで声がした。アスターははっと振り返った。やめてくれ! 
後ろから三人がついてきている。デイジーおばさんはいない。
「どうしたの?」ジェシカが怪訝な顔をしている。
「なんでもない。うるさい虫がついてきているんだ」アスターは虫を振り払うように手を
振った。
『とんだ言いぐさね』フィンが憤慨する。『心配してあげてるのに』
『まあ、無理もない気もするが。温かく黙って見守ろう』ドンが言った。
『黙ってね。でもできる?』ミリーが仲間を見た。
 アスターは心底、後悔した。今日、ジェシカに打ち明けることをデイジーおばさんに話
したとき、決してついてこないように釘をさしておいた。デイジーおばさんは誓って行か
ないと言った。確かに自分ではこなかった。もっとたちの悪い三人を送り込んだのだ。
 デイジーおばさんはもっと物分りのいい人だと思っていたのに。幽霊になると冷たくな
るのか?
「どうしたの?」ジェシカがまた訊いた。
「いや、ごめん。で、君は本当にそんな物作りたいの?」
「いいえ」ジェシカは即答した。「考えてみたけれどそれはわたしが作りたい物ではない。
この前みたいに仕事で頼まれる分にはいいけど、自分から作りたいとは思わない」
「答えは出てるじゃない。何を迷ってるの?」
「それがねえ……」ためらいがちに言う「わたしはおかしい?」
「ちっとも!」それを言うならおかしいのはアスターのほうだが、アスターの場合は本当
におかしいのだからそう言うわけにはいかない。本当のことは言えないものだ。
 心を読んだようにジェシカが言う。「実を言うとわたしなんかよりあなたのほうがよっ
ぽどおかしいような気がするのよねえ」アスターを見つめた。「なにかわたしに隠してい
ない?」
「いや、なに」アスターはあせった。「人間みんな変わったところがある。それが大きい
か小さいかの違いだよ。君も僕も人よりはちょっとばかり変わっているのかもしれない。
だけど害はないし人に迷惑はかけない。そうだろ?」
「そうね……」
 それからしばらく黙って歩いていたが、気を取り直したジェシカはアスターの子供の頃
の話を聞きたがり、お返しに自分の子供の頃の話をした。
 それによるとジェシカは子供時代、男の子との取っ組み合いの喧嘩であけくれていたよ
うだ。
「どうしても手が先に出ちゃって、両親がいつも謝っていたわ。ぼこぼこになるのはいつ
も相手だから。でも悪いのはいつも相手だったのよ。今はそんなことはしないけど」
 アスターの子供時代は自慢するほどの華々しいものではなかった。エルダーにかきまわ
されていた思い出がよみがえる。
「あなたのお兄さんは魅力的で優秀のようね。会ってみたいわ」
 アスターはあわてた。「そのうちね。そのうち……ね」ずーっと後で。つけくわえた。
「なぜ、あんな変てこりんな、いや、独創的な物を作りはじめたの?」話題をかえよう。
「そうね……」ジェシカは眉を寄せた「そうね……きっかけは魔女。そう、思い出した」
ぱっと顔が明るくなった。「わたしの家に代々伝わる、先祖が魔女の呪いを受けて家と旦
那を乗っ取られ追い出されたと言う話。おばあちゃんに聞いたんだけど、子供だったわた
しは怖くて面白かった。その話をいろいろ作り変えて楽しんでいた。でも、もともとはど
んな話だっけ……」ジェシカはしばらくその考えに引き込まれていた。
 そのすきにアスターは後ろを振り向くと、退屈そうについてくる三人を追い払う仕草を
した。ところが三人はもっと近づいてくるとふたりにまとわりついた。
「アスター。日が暮れちゃうわよ」フィンがとうとう我慢しきれなくなった。その言葉を
きっかけに今まで黙っていた三人がいっせいにしゃべりだした。耳元でごちゃごちゃと言
う三人に思わすアスターは叫んだ
「ちょっと静かにしてくれないか!」
 頬に手形をつけ家に戻ったアスターは恨みがましい顔でデイジーおばさんを見た。あの
あと、忌々しい三人は蜘蛛の子を散らすようにぱっと消えた。
 同じように消えようとするおばさんにアスターは「いい加減にして!」と言うのが精一
杯だった。
 次の日、ジェシカの家に行くと玄関の扉に〈しばらく留守にします〉という札がかかっ
ていた。アスターはがっかりした。せめて自分には書置きを残してくれればいいのに。特
別な存在になろうとしたのに靴底以下になったような惨めな気分だった。
 アスターは恨みがましく部屋に閉じこもった。誰の顔も見たくない。ときどき控えめな
ノックの音や呼びかける声が聞こえたがすべて無視しベッドにもぐりこんだ。夜になると
空腹には勝てず台所に下りていった。台所では八個の目が最上級に不機嫌な顔をしてお盆
にパンとスープを乗せるアスターを黙って見ている。お盆を持って部屋の戻ろうとするア
スターにフィンがなにか言おうと口を開きかけたが、アスターのひと睨みであわてて口を
閉じた。
 アスターが消えると張りつめていた空気がゆるんだ。
『怒りまくっているわね』ミリーが言った。
『ああ、かわいそうだったわね。うまくいかないもんだわ』フィンが自分に否がないよう
に言う。
『ちょっとかまいすぎたな。あの子を見るとどうしてもちょっかいを出したくなる。でも、
ジェシカだって本気で怒っているわけではない。この次、会うときにはもう忘れてるさ』
ドンが楽観的に言う。
『ジェシカはどこに行ってるの?』ミリーがデイジーに訊いた。あのあと、デイジーはジ
ェシカをさがしていた。
『実家に戻っていたわ。なにか気になることがある見たい』
『でも、なんでそんなにアスターの恋愛が問題なの? アスターはもういい大人よ。いつ
結婚したっておかしくないわ。過保護なんじゃない?』ミリーがデイジーに言った。
『そうなんだけど、そう単純な話ではないの。あの子の命がかかっているの』
 アスターはお腹が満たされるとともに、気持ちも少し落着いてきた。幽霊が見えるとい
うのはまったく厄介なことだ。人と違う景色を見ているのだ。そのために余計に気を使わ
ないといけない。ほとんどの関係のない者たちは無視すればいいのだが、ここにいる者た
ちはまるで家族のようだ。
 やれやれ。アスターはみんなのことが好きだ。だけど、こう干渉されるのは困る。僕は
そんなに頼りなく見えるのだろうか? ジェシカが今なにをしているのか、幽霊たちに調
べてもらうことはできるのだがアスターはしたくなかった。それではアスターがされてい
ることと同じだ。要領が悪く不器用な人間だというのはこういうところをさしているのだ
ろう。エルダーだったらきっと使えるものはすべて利用するだろうに。やれやれ。しかた
ない、嫌なものは嫌だ。
 アスターは幽霊たちが善意で用意する障害物を乗り越え、ジェシカとうまくやっていく
方法を考えながら眠りに落ちていった。

 

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