16 告白
目を覚ますと朝だった。窓を開け新鮮な空気で頭をはっきりさせると下へ降りていった。 台所には誰もいなかった。ひとりでゆっくり考える時間が持ててうれしかった。用意して あったコーヒーをそそぐとデイジーおばさんの心遣いに感謝した。なんやかんやいっても いつもアスターのことを気遣ってくれている。 アスターはあの男が言ったことをまったく疑っていなかった。さて、どうしたもんかな。 ジェシカが自分と同じものを見てくれたらとても助かる。だけど……耐えられるだろうか? ジェシカはまともでないものに異常な拒否反応をしめす。だからこそアスターはまともに 見えるようにひと一倍気を使っていた。それでもぼろは出る。自分が相手にされているの が不思議なくらいだ。どうしよう?
ゆっくりと身支度をすると散歩に出た。夢と同じように気持ちのいい天気だった。アス ターはどうしても標準より厚着になってしまう。村をただ、ぶらぶら歩いた。顔なじみの 人よりも知らない人のほうが多かった。見知らぬ幽霊もちらほら見える。幽霊たちのほと んどがアスターのことを知っている。幽霊の連絡網は人間界より進んでいるらしい。挨拶 をしてくる幽霊に応えるのは注意しなくてはいけない。他人から見たら完全な変人となる。 ジェシカの家に行ってみたが、まだ帰ってきてはいなかった。 一日中歩き回り、家に戻ったときはもう夕方になっていた。結局何の答えも見つからな かった。 台所には夕食の準備がしてあった。ローストチキンとオニオンスープ。アスターはつく づく恵まれていると思った。こうやってデイジーおばさんは死んでからまでアスターの世 話をしてくれている。まったく僕はどうなっていくのだろう。過保護な家族に囲まれ、な に不足のない生活。まったく何を言っているんだ。不足のない? しっかりするんだ。 アスターは腑抜けのようになっている自分を戒めた。家族が自分を心配するのはしかた がない。アスターだって家族のことはつねに気にしている。 だが、気をつけなくては。このままではアスターはガラス張りの檻の中で与えられたつ れあいと仲良く幸せに生きることになってしまう。 「ドン」声に出して呼んでみた。たちまちドンが現れた。 『あまり食べてないじゃないか?』ドンはチキンをつまむと横に座った。 『食事は駄目だ。無駄になる』アスターが睨むと『どうせ君は食べてないじゃないか』と 口にいれた。 『みんな心配しているぞ。ジェシカはいい娘だ。みんな応援しているんだ』 「応援ね。それならほっといてくれればいいんだよ」アスターはふてくされる。「どうせ そのみんなこの辺りにいるんだろ。デイジーおばさん、フィン、ミリー、出てきたら?」 まるで魔物を召喚しているような気分だった。 『機嫌はなおった?』開口一番、フィンがアスターの顔をのぞきこんだ。 『顔色が悪いわ』ミリーが横に並ぶ。 『アスター、食べなきゃ駄目じゃない。食事が無駄になる』デイジーおばさんがアスター を睨む。 やれやれ。敵の数は多い。 早速、お茶の準備をしようとするデイジーおばさんにかわりアスターはみんなの紅茶と クッキーを用意した。まあ、悪い習慣ではない。場がなごやかになる。 アスターは奇妙な店の不思議な男の話をすることにした。きのうの夢、アスターは迷っ ていた。 『面白い話だね』ドンが興味深げに言う。 「この男のこと知らない?」 『いや、わたしたちと違う世界の存在だ』 『ねえ、その人そんなにハンサムなの? 会ってみたいわ』フィンが身を乗り出す。 『やめなさい!』ミリーがぴしゃりと言う。 『どうするつもり?』デイジーおばさんがアスターの顔を見る。 「わからない……。もし、ジェシカが僕と同じものを見ることができるようになったら… …僕をもっと理解してくれるかもしれない。あるいは気が狂うかも。もしうまくいくとわ かっていたら迷いはしないんだけど、駄目な場合は……ジェシカに邪魔な能力を渡してし まうことになる」 『邪魔ね』フィンが鼻を鳴らした。 『で、君はどうしたいんだい?』ドンが目を細めてアスターを見た。 「僕は……僕を受け入れて欲しい」アスターの声は頼りなかった。「でも、ジェシカはそ んなものが見えて耐えられるだろうか? それに……僕のことをどう思っているだろう?」 『それはね……』フィンが天井を仰いだ。『ばかね。ジェシカはあんたのことが大好きよ。 それにそんなにやわな娘ではないわ』 「知ってるの?」 『女の感よ』フィンは断言した。 フィンが言い切るのならとても信用できるような気がする。アスターは少し気が軽くな った。 『とにかくジェシカが帰ってこなくてはね、話は先に進まないわ』 『わたしたちもいつまでもここにいるわけではないのよ』デイジーおばさんがつぶやいた。 「えっ!」驚くアスターにミリーが言った。 『悲しみや心残りがなくなればわたしたちは次のところ行くのよ』 「次のところって?」 『死者の行くところ。わからないわ』 アスターはいつのまにかみんながいることが、あたりまえになっていた。そういえばネ リーも行ってしまったんだった。 『まあ、そんなことよりどうするの?』デイジーおばさんが心配する。 「考える」アスターは答えた。
アスターは家でじっとしていることができず、ジェシカを思いながら村を歩き回り考え た。幽霊たちは気を使ってかあまり現れなかった。幽霊屋敷にも足を伸ばした。何の妨害 もなくすんなりと入ることができた。うら寂しい屋敷の中は荒れはてたままだが、中庭に は美しい花が咲き誇っていた。とても手入れが行き届いている。誰も見ることがない花園。 片隅に小さな霊廟がある。ここだけが時が止まっている。 屋敷に戻り家族の肖像の前に立った。誰も笑わないしかめ面をした家族。犬さえも不満 げな顔をしている。髪を結い上げ正面を生真面目に見つめる母親の瞳はジェシカと同じ濃 いエメラルドグリーン。無性にジェシカが恋しかった。 ため息を感じ後ろを振り向いたが誰もいなかった。子供の幽霊の気配はあるのだが最後 まで姿を現さなかった。帰りしな、失くしていた図書館の本が玄関の床に置いてあるのに 気がついた。気が利いた言葉が思いつかないので「ありがとう」それだけ言ってや屋敷を 離れた。 その足で図書館に向かう途中、マシュー先生に出会った。ちょうど図書館に行くところ でかわりに本を返しておいてくれると言うのでお願いすることにした。 マシュー先生の結婚式にはジェシカとふたりで出席した。もちろん正確にはほかにもい たのだが。親しい友人に囲まれたささやかな式だったが、とても心温まるものだった。 ミリーは式の間中ずっとハンカチを握りしめ、涙を流し、鼻をすすっていた。 「奥さんはお元気ですか?」 「ああ……元気だ」マシュー先生はなんだかそわそわしている。「君に言うのがはじめて なんだが実は……子供ができたんだ」そう言ってアスターを抱きしめた。「なんと言うか ……とにかくうれしいんだ」 舞い上がる先生にお祝いを言って別れを告げるとミリーのことが気になってきた。
「ミリーはどう思っているの?」家に帰るとミリーはいなかった。ミリーはマシュー先生 が結婚した後も、幸せになるところを見届けると言ってねばっている。 『複雑な気持ちだそうだ』ドンが言った。『マシュー先生はどう見ても幸せそうに見える のだが、なかなか認めたくないようだ。女の執念は恐ろしい』身震いして見せる。 ふとアスターはドンに訊いてみたくなった。『ドンは結婚していたの?』 『ああ、結婚しようとしていた』そう言って苦笑いをした。 『そう、見てのとおり結婚式を挙げようとしたんだ。だけど花嫁が現れなかった。わたし はその日、やけになって正体がなくなるまで酔っ払った。そして気がついたら本当に正体 がなくなっていた。どうやら川に落ちたらしい』自嘲するように肩をすくめた。 『わたしはとても腕のよい靴職人だったんだ。この靴を見てくれ。いい出来だろう? わ たしの花嫁もわたしが作った最高の靴を履いてくるはずだった。真っ白いサテンに小さな 真珠のビーズを縫いつけ、真ん中には大振りの真珠と水晶で作った花があるんだ。彼女の 華奢な足にぴったりだった。だけど花嫁はその靴を履いて逃げてしまった』寂しそうに遠 くを見つめた。 『お前さんはうまくいくといいな』 ふたりはしんみりとしてしまい、それぞれの思いへと沈んでいった。 そこへジェシカが裏口から飛び込んできた。 「帰ってきたわ! ああ、疲れた。お茶!」 「やあ、おかえり」アスターは驚いて目を丸くした。 お茶を飲み一息つくジェシカをアスターは用心深く観察した。まるで何事もなかったよ うにくつろいでいる。 「町に帰っていたんだって?」 「ええ、ちょっと調べてみたかったの。あの幽霊屋敷のこと」なぜ知っているかというよ うに眉を上げたが先を続けた。「面白いことがわかったわ」 「どんなこと?」 「それがね……」そう言うとにんまり笑って話を変えた。「そうそう、あなたの家にも行っ てみたわ」 「僕の家?」 「せっかくだから見てみたかったの。あなたの家族や優秀なお兄さんにも会ってみたかっ たし」 最悪だ!「で、会ったの?」 「あなたのお父さんの店のパンおいしかったわ。店のカフェに座ってお昼を食べていたら お兄さんが現れたの。そうそうお休みの日だったのね。わたしたちみたいな生活だと曜日 の感覚がなくなってしまうものね。運がよかったわ。あなたの両親と話しているのを聞い てあなたのお兄さんだってわかったのよ」そこでじらすようにカップを持ったまま一息つ いた。 「その様子をあんまりじっと見つめていたから、おかしいと思われたのかしら。お兄さん が近づいてわたしに話しかけてきたの。どこか会ったことがありましたかって」 取り巻きのひとりか口説こうとしたかのどちらかだろう。見境のない奴だから。 「すっごいハンサム。そして紳士。あなたの友達だというとあなたのお母さんまで現れて いろいろご馳走になった上に夕食にまで招待されちゃった」 アスターは横にいたデイジーおばさんに顔をむけたが、わたしは関係ないとでも言うよ うに首を振った。 夕食はなごやかな雰囲気だった。心温まるもてなし、おいしい料理。 「あなたの家族はみんなよい人だったわ。だけど……好奇心のかたまり。わたしのことを 根掘り葉掘り訊きたがるし、そう……あなたとの関係に並々ならぬ関心を持っているのが 手に取るようにわかった」ジェシカは笑った。決して馬鹿にした笑いではなく明らかに面 白がっていた。 「僕が離れて暮しているから心配しているんだ。確かに少しばかり過保護かもしれない」 アスターは顔が赤くなってしまった。 「少しね」ジェシカはふふんと鼻を鳴らした。「それからお兄さんからデートに誘われた」 「何だって!」アスターは慌てた。 「お芝居を見て、素敵な店で食事をして、ダンスを踊った」ジェシカは夢見るように語っ た。「そして交際を申し込まれたの」 アスターはもはや声を出すこともできず、口をパクパクさせるだけだった。 「あなたのお兄さんはとてもハンサム。お洒落で洗練されていてそつがなく女の子が夢見 るようなタイプ」ジェシカはアスターの目を見つめると微笑んだ。「だけどわたしの好み ではない。わたしのタイプはあなたなの」 突然の告白にアスターは頭が真っ白になった。さっきからの話で心臓はあっちこっちに 飛び回っていた。そして動きを止めた。 馬鹿みたいに口を開け、血の気のない顔をして動かないアスターにジェシカは手を振っ た。 「おーい。どこに行ってるの?」 戻ってきた。「そんな……本当に? ああ、なんてことだ!」 「そんなにショックだった?」ジェシカはすっかり気を悪くしていた。 アスターは思いきり頭を振るとあわてて言った。「いや……違うんだ。その……」まわ りでにやついている見えない友人たちを見回した。 『なにか言わないとジェシカはまた飛び出していってしまうぞ』ドンがありがたい忠告を してくれた。 「その……つまり」アスターはうわずる声をおさめるために言葉を切り、正面からジェシ カを見つめた。 「僕も同じ気持ちだ。この前、君が町に帰る前に言うつもりだったんだ」 ジェシカは眉を上げた。 「だけど、うまくいかなかった」まわりの観客を眺めながらいった。こんな衆人環視の中 で告白するのは気詰まりだ。こういうものはふたりだけで親密にやるもんだろ? 「ジェシカ。僕と結婚を前提につきあってくれませんか?」 驚いたことにジェシカの顔が真っ赤になった「ええ、いいわ」アスターの差し出した両 手を握るとにっこり笑った。ジェシカの手にキスをするアスターにその笑顔はさらに大き くなった。 「ずいぶん古風なのね」そう言うとアスターを引き寄せて熱いキスをした。 まわりの観客がはやしたてるのをひとり聞きながら、アスターは天にも登る心地だった。 熱く見つめあうふたりを現実に戻したのはドンの咳払いだった。 『あー、取り込み中のところを悪いんだが、幽霊屋敷のほうに話を戻してくれないか?』 気が利かない奴ばかりだ。なぜふたりきりにしてくれない? 「まったくもう!」思わず出てしまった声にジェシカが眉をひそめる。 「いや、君に言ったんじゃないんだ」ジェシカの手を強く握って逃げないように引き寄せ た。 「それで……なにがわかったんだい? 幽霊屋敷のこと」 「それがね……」今や観客はジェシカを取り囲み興味深げに耳を傾けている。
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