17 幽霊屋敷の謎
その昔、よそからきた家族があの土地に屋敷を建て移り住んだ。夫婦と幼い息子がひと り。その当時の村人はなじみのないものを簡単には受け入れない。家族は孤立していたが 館の主は気にしていなかった。年配の主は長年ためた財産があるので、仕事をする必要も なく書斎でひとり静かなの世界にこもるばかりだった。 妻は違った。村とは遠くはなれた町に住んでいた妻は、町で成功し羽振りがいい生活を しているにもかかわらず寂しげで影のある男に惹かれ結婚した。はじめのうちはよかった。 男は年の離れた若い妻に優しく、華やかで贅沢な暮らしもさせてくれた。だが、子供が生 まれた頃から男は考え込むようになった。 子供を邪険にするわけではないのだが、子供をあやしながらどこか遠くを見つめている のだ。そんなある日、男が仕事を引退し引っ越すと言い出した。従順な妻は嫌とは言えず 従った。もともと家を空けることが多かった夫に連れて行かれた場所は遠く離れたとてつ もない田舎だった。生活一変してしまった妻はそれでも健気に慣れようとしたが村人はな かなか心を開かない。夫は書斎にこもるばかりでめったに顔も見せない。妻は陰気な建物 を嫌い中庭で花を育てた。東屋を作り、色とりどりの花で庭を一杯にして幼い子供と日々 のほとんどの時間をそこで過ごした。 そんな日々が何年か続いたが、孤独な生活はしだいに妻の心を蝕んでいった。息子とふ たりだけの毎日。息子のことはとても愛していたが、小さな子供はとても手がかかる。友 達もいない息子はフジツボのように母親にべったりひっついていた。話し相手もいない町 育ちの妻は息が詰まり破裂しそうになっていた。 ある日、小さなそそうをした息子に手を上げそうになったとき、自分が限界にきている ことに気がついた。ひざまずきさめざめと泣く母親を抱きしめられた幼い息子はわけがわ からずきょとんした顔をし、なすがままにされていた。やがて、異常な光を目に宿したま ま母親は震える声で息子に言った。 「ママはとても大事な御用があるの。迎えにくるまでいい子にしてここで待っていてちょ うだい」 いつもなら駄々をこねるところだが、そんなことを言える雰囲気ではなかった。息子は 不安な気持ちを隠しもせずただ頷いた。 幼子は母親を待った。ただひたすら待った。あたりが暗くなりおまけに雨まで降り始め たにもかかわらず、食事の時間だといつものようにふたりを呼びにきた使用人の手を振り 払って動こうとはしなかった。奥様がいない。自分の手にあまると思った使用人が館の主 を呼びに行くと薄暗い書斎から、痩せ細って顔色の悪い主が重い足取りで息子を迎えに行 った。 「ママはどこだ?」 「わからない。ここで待っててと言われた」 動きたがらない息子を無理やり中にいれ妻をさがした。どこにもいない。寝室から旅行 鞄と服がなくなっていることに気がついた。使用人に訊いても誰もわからないという。 主は首を振りながら息子のところに向かった。 「ママは出かけたようだ。どこに行ったか、いつ帰ってくるかわからない」 「庭で待っているように言われた」そう言って外に出ようとする。 「駄目だ。外は暗いし寒い。雨も降っている。家の中で待つんだ」 息子はおとなしく頷いた。父親は息子を抱きかかえると食堂へと連れて行った。 その日、妻は戻らなかった。深夜の暗い書斎で物思いに沈んでいた主は息子がこっそり と屋敷を抜けだし庭に向かったことにまったく気がつかなかった。 そして、子どもは寒さに震え、真っ暗な庭の東屋で母親を待ち続け、あっけなく肺炎を 起こして死んでしまった。 間もなく主は館を閉ざすとどこかへ消えてしまい二度と戻ることはなかった。
「実家に戻っていた母親は息子が死んだことを知り、屋敷には戻らなかった。そして後に 再婚し、わたしにいたる」 「遠いところにいたんだろ? なぜここの町にいるの?」 「再婚した母親はふたりの男の子と三人の女の子を産み幸せに大往生した。母親は残して きた子供の面影がある次男をとても愛していた。だけど次男は親からの財産などもらえな い。だから亡くなる前に次男をこっそり呼ぶといつも肌身離さず身につけていた手紙を取 り出すと次男に渡した。その手紙には母親の前の夫が財産と屋敷をもとの妻に残している ことがしたためてある。その手紙を手にこの村までくると屋敷に向かった。だけど屋敷に は入れない。財産は町に預けてあった。次男はそれを手にいれ手堅い商売をはじめ成功し た。そして現在にいたる」 「よくわかったね」アスターは感心した。 「まあ、ちょとばかり創作が入っているかも」それから思い出したようにつけくわえた。 「そうそう、うちが保険会社をしてるって言ったわよね。あなたのお兄さんがお店と屋敷 に保険をかけてくれたわ」 アスターは鼻を鳴らした。 「なによ、その態度。いいことじゃない。備えあれば憂いなし」 「君は勧誘の仕事のほうがむいているんじゃない?」 「妬いてるの?」ジェシカがうれしそうににんまりして言う。 アスターはそれを無視して言った。「君はなにか引き継いだものがあるといっていたよ ね」 「ええ」ジェシカはためらった。「財産を残すという元夫の手紙と一緒にもうひとつ違う 手紙が残されていたの。これよ」 そう言うとジェシカは上着から黄ばんでぼろぼろになった紙を取り出した。 アスターは破らないようにそっと開いた。
《いつかこの願いが叶えられることを願う。 あなたも知っているとおりわたしにはもうひとり息子がいました。その昔、前の夫との 生活に耐えられなくなったわたしは息子を置いて実家に帰ってしまった。すぐに帰るつも りだった。だけど変わり果ててしまったわたしを両親は帰さなかった。わたし自身も…… 帰りたくなかった。だから使いのものを送った。 だけど手遅れだった。なんとかわいいわたしの息子は死んでしまっていた。 それからも何度も……せめてお墓に花を添えようと……戻ろうとしたのだけどできなか った。今からまたあの子に会えると思う。でもあの子の身体はきっとひとり寂しいところ に眠っている。 だからあなたにお願いします。わたしにかわってたくさんの花をそなえてください。》
「なんだか切ない話でしょ。でもあの館には入れずこの願いは叶えられなかった。わたし はたたりや呪いなんか信じない。だけど……なにかがあるのよね」ジェシカは考え込んで いる。 アスターはまわりのみんなを見回した。 『チャンスじゃないか』ドンが言う。 『賭けてみることね』フィンとミリーが励ますように頷く。 デイジーおばさんは心配そうな顔をして立っている。 「どうしたの? ボーっとしちゃって」ジェシカがアスターの目の横で手を振っている。 「ジェシカ」声がうわずる。「ジェシカ。今から僕が話すことを信じて欲しい。あの屋敷 には本当に幽霊がいるんだ」 「アスター!まだお日様も高いうちから怖い話?」 「黙って! お願いだから茶化さないで聞いてくれ」 ジェシカは眉を上げ、口にチャックを閉める仕草をする。 「あの屋敷には子供の幽霊がいるんだ」 『それと犬の幽霊』横からミリーが口を出す。 アスターが睨みつけると、ミリーは口にチャックをつけた。本物の。 「それと犬の幽霊も。そして子どもは今でも母親が迎えにくるのを待っているんだ。この 間、君はあの屋敷の中庭に閉じ込められただろう。あのとき僕は幻覚症状だと言った。だ けど本当はあの子どもに捕まっていたんだよ。母親と間違われて。どうやら君はあの子の 母親に似ているようだ」 アスターはジェシカの様子をうかがった。ジェシカは無表情で何の反応もしめさない。 「かわいそうな子なんだ。なに知らないまま永遠に母親を待っている。君がその手紙を持 って行けばきっと救われるだろう。だからもう一度、あの館に行かなくてはいけない。も ちろん僕も一緒に行くから」 宙を浮いていたジェシカの目の焦点がアスターに戻った。 「……わたしをからかっているの? それとも……」 「本当の話」アスターは強く言った。 「つまり……もしかして……あなたはその子供の幽霊を見たの? それと犬?」 「ああ、その子どもだけではない。僕はすべての幽霊が見えるんだ」 「すべての?」ジェシカは椅子にもたれかかって目を閉じた。長い時間が過ぎた。ゆっく りまぶたを上げるとあたりを見回した。 「もしかしてこの部屋にもその……幽霊とやらはいるの?」 「僕の友達がいる。いい奴らだ」 「友達!」 「信じて欲しい。僕は決して頭がおかしいんじゃない」アスターはためらいながら続けた。 「僕は君にも僕が見えているものを見えるようにすることができるんだ。もし……君が望 めば」 ジェシカはなに言わなかった。頭の中の歯車が止まってしまったのか、忙しく動いてい るのかアスターにはわからない。 「で、どうすればいいの」とうとうジェシカが口を開いた。 「ジェシカ、君が後悔するようなことはしたくない。よく考えてからで……」 「で、どうすればいいの!」表情は読み取れない。 「君のまぶたにキスを僕がするんだ。それでいいと言っていた」疑わしげなジェシカにア スターはあわててつけくわえた。「実を言うとやるのはじめてなんだ」 「じゃあ、やって」そう言って目をつむる。 アスターはジェシカに顔を近づけたがふと思い直した。 「ちょっとウィンクしてみて」 ジェシカは一度目を大きく見開くとチック症患者のように、素直にウィンクを数回繰り 返した。 「もういいよ。閉じて」アスターは右目に軽くキスをした。 ジェシカが両目を開けて最初に見たのは心配そうにのぞきこむアスターの顔だった。そ れからアスターの後ろに並ぶ面々に気がついた。みんな期待と好奇心で顔が生き生きして いる。ドンが優雅に腰を曲げお辞儀をして言った。 『ようこそ。わたしたちの世界へ』 ジェシカは悲鳴を上げると白目をむいて気絶した。
『案外やわなのね』 フィンはアスターが居間のソファーに運ぶジェシカを見て言った。 アスターにしてみてもここまで激しい反応をしめすとは思わなかった。自分は慣れっこ になっているがやはりまともな人間には恐ろしいことなのだろう。 『わたしたちはとっても愛想よくしてたのにね』ミリーがぼやく。 『大丈夫かしら?』デイジーおばさんが心配そうにジェシカをのぞく。 「さあ、でもあと戻りはできないし、この現実を受け入れてもらわないと僕は困る」アス ターはデイジーおばさんに言った。「僕はジェシカと結婚するよ。なんとかなるさ。ジェ シカはやわじゃない。だけどまだ母さんたちには言わないで。今は微妙な段階なんだ。僕 の家族が間に入ると問題はもっと複雑になる」 デイジーおばさんは気が進まないようだったが、しぶしぶ約束した。 結局ジェシカは次の朝まで目を覚まさなかった。ずっとそばにつき添っていたアスター が目を覚まそうと台所でコーヒーを淹れているとジェシカが髪の毛をかきむしりながら起 きてきた。 「わたしにもちょうだい。ああ、きのう変な夢を見たわ」 「君は信じたくないかもしれないけど、それは夢じゃない」 ジェシカはカップをのぞきこみながらつぶやいた。「そんな気がした」 「でもあなたのお友達は見えないわ」 「君が落着くまで顔を見せないように言ってる」 「あなたの部下なの?」 「いやまさか、みんな君に気を使っているんだよ。君のことが好きだし心配している」 「わたしのことをよく知っているみたいね」 「ああ、だけどちゃんとプライバシーを守るだけの良識は持ってるよ。もとは普通の人間 だったんだから」少なくともアスターはそう信じたい。 しばらくの間、ふたりは黙ったままコーヒーを飲んだ。外はいい天気だった。朝の空気 はすがすがしく開け放たれた窓からほのかに甘い花の香りが漂ってくる。 「わかった。あなたの友達に紹介してちょうだい」あきらめたようにこわばった顔で言っ た。 みんなを呼ぶとジェシカに紹介した。ジェシカは神妙な顔をしながらも礼儀正しくして いた。ミリーを見るとちょっと驚いたがなに言わなかった。 「それじゃ、片付けてしまいましょ」ジェシカがいきなり言った。 「なにを?」アスターが間の抜けたように訊くと 「幽霊の坊やよ!」そう言ってアスターの顔だけを見る。
六人はまるでピクニックに行くように幽霊屋敷に向かった。幽霊たちは別に歩かなくて もいいのだが、つきあいがいい。でもこのときばかりは先に行ってくれたほうがよかった。 ジェシカはむっつりしてなに言わない。話すのはアスターとだけでほかは無視している。 後ろからにぎやかにしゃべりながらついてくる幽霊たちに時折ちらっと視線を送るのでや っと見えてることがわかるくらいだ。 何の障害もなく屋敷に入った。ジェシカは緊張のあまり真っ白になってこわばっている。 先に入ったフィンが寄ってきて子どもが中庭にいると教えてくれた。 「怖い?」 「怖くなんかないわ。平気よ」 子どもは東屋で神妙な顔をして待っていた。その足元には用心深く目を光らせた犬が寝 添べっている。 『僕になんか用があると聞いた』この前のことがまるでなになかったかのようにいきなり 話しだす。でもその目はジェシカに釘付けになっている。 囲むように植えられた庭木に守られ、綺麗に咲き誇る花の濃厚な匂いに包まれた中庭に いると、まるで違う世界に迷い込んだような錯覚におちいる。 なに言わない子どもにジェシカは近づいていった。一瞬、空気がゆがんだような気がし て、アスターは眩暈を感じ目を閉じた。はっとした思いで我に返るとジェシカはひざまず き子どもを抱きしめていた。幽霊とふれあうことはできないはずなのに。 『ああ、会いたかった。わたしのかわいい坊や』その声はジェシカのものではない。 『ママ……』子どもがつぶやく。 『ごめんなさい。あなたを忘れたことはなかった。迎えにこようとしたのよ。でも間に合 わなかった』 『ママ……。遅かったね。待ちくたびれちゃったよ』子どもはべそをかきながら笑った。 『さあ、一緒に行きましょう』そう言って立ち上がると子どもの手を強く握りしめた。中 庭を見回すと子どもに笑いかけた。『とても綺麗だわ』 ふたりは静かな光に包まれ消えていった。横でふたりの邪魔をしないように、つつまし く尻尾を振っていた犬を連れて。 後にはジェシカがひとりぽつんと立っていた。 なにも話さず、機械的に足を動かすジェシカを家まで送った。アスターとしてはそばに ついていたかったのだが、ひとりになりたいといって追い返された。 大丈夫だろうかとやきもきするアスターにドンは『やわじゃないんだろ』と言って肩を すくめた。
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