21 アスターの災難
ヴィオラは女系家族だった。それも女の子はいつもひとり、父親は早死にする。それが 代々の慣わしだった。なのにヴィオラには男の子がいてオークは生きている。その慣わし の連鎖を断ち切ったのはヴィオラだった。だがそのつけが今、アスターに及ぼうとしてい る。 いつからか結婚すると必ず女の子を産み、その子が三歳の誕生日になると夫は必ず死ん でしまう。事故死、病死、死に方はさまざま。その慣わしに気がつくまでに先祖は何度も 同じ過ちを繰り返し続けた。 そのことにやっと気がついたのはグレートローズだった。グレートローズは慎重に結婚 をし、夫はやはり死んだ。だが、ヴィオラはそんな気にはなれず一生結婚しないと心に決 めた。そうして若さの盛りも過ぎ、中年に入ろうかというときオークに出会った。いちば んいいときを過ぎているとしてもヴィオラはとても綺麗だった。しなやかな姿、澄んだ瞳、 鈴のような笑い声、時折見せる憂いのある表情、オークはヴィオラがずいぶん年上だとい うことが気にもならず夢中になった。 ヴィオラもオークに強く惹かれているのだが、その結果を考えるとそう簡単には踏み込 めない。だがふと気がついた。自分はもはや子供を産む年齢を過ぎているのではないかと。 ふたりは結婚した。グレートローズは反対した。愛する人と結婚してもあとで苦しむだ けだといって。 ヴィオラは大丈夫だと言った。寂しいけれどふたりに子供は生まれない。オークもその ことは承知している。このとき、ヴィオラは自分の持っている力を夫に隠していた。ヴィ オラは力を使うことなく平凡に生きようと思っていたから。 ヴィオラの家系に受け継がれている力ははっきりとはわからない。ただその力を使うと 代償として副作用が起こる。副作用はその使った力の内容に比例する。だいそれた力を使 えば我が身を滅ぼすことになりかねない。無茶に使うことはできなかった。それがヴィオ ラの家系に受け継がれている力でグレートローズにもある。その副作用もみんな同じもの はなく、ヴィオラの場合は力を使うたびに若がえる。そしてグレートローズは年を取る。 ヴィオラは物心がついた頃、自分の持つ力を知り、賢明にもなるだけ力を使わずに生き てきた。だから、オークと出会ったときは実年齢に近かった。 村で幸せに暮していたふたりだったが、相手を大切に思う気持ちがいやおうなしに力を 使わせる。ヴィオラはオークになにか起きるとほうってはおけなかった。 ある日、製材所につんであった木材が崩れ落ち、オークが下敷きになる事故が起こった。 仲間に抱えられ戻ってきた夫を見てヴィオラは真っ青になった。幸い命に別状はなく、打 撲と切り傷と足を一本折っただけだったのだが、ひと晩寝るとすべてが治っていた。オー クはもともと頑丈な身体であることを自慢した。デイジーは横でにこにこしているヴィオ ラの肌がつやつやとして輝いているを眉をひそめて見ていた。 平凡で穏やかで幸せな暮らしだった。玄関に生まれたばかりの赤ちゃんが置かれるまで は。 いつものようにデイジーが朝一番の空気を楽しもうと外に出ると玄関にバスケットがち ょこんと置いてある。怪訝に思い中を見ると毛布にくるまれたかわいい赤ん坊がすやすや と指をくわえて眠っている。あわてて家に抱えて入るとまだ眠っているふたりをたたき起 こした。寝ぼけていたふたりも赤ちゃんを見るといっきに目が覚めた。 「これはなんだい?」 「見てわかるだろ。赤ちゃんだよ」デイジーはそう言ってバスケットに添えられた手紙を 取り出した。
『 輝く金色の髪、菫色の美しい瞳。 奥様にそっくりの愛らしい赤ちゃんをお届けしました。 どうぞお受け取りくださいませ。 コウノトリより 』
オークとデイジーはヴィオラの顔を見た。 「わたしの子じゃないわ!」ヴィオラは叫んだ。 「で、どうする?」三人は顔を見合わせた。答えは決まっていた。 赤ん坊はエルダーと名づけられ、オークとヴィオラの子供として大切に育てられた。誰 もがヴィオラの息子だと信じて疑わないほど母親に似ており、賢く優しい子だった。 子供と暮らすようになってからヴィオラはますます美しくなっていった。無邪気な子供 の笑いが妻を若くするのだろうとオークは思っていた。だが本当は生傷の絶えない子供に いちいちヴィオラが反応していたからだった。小さな力でもつもりつもれば大きく反映さ れる。静かにこっそりとヴィオラは若返っていた。 ある日、湖のほとりを散歩していたヴィオラとエルダーは、見晴らしのいい土手でピク ニックをしている家族を見た。大きな敷物の上で両親と七人の子供たちが広げられたお弁 当を奪いあうように食べている。そのにぎやかさといったらまるで餌の時間のブタのよう だった。ふたりはしばらくそのようすを眺めた。 「すごいね」エルダーが感心していた。 「すごいわね。あっという間になくなっちゃったわ」ヴィオラも感心して言った。 エルダーは母親とつないでいる手を強く握った。「僕もきょうだいが欲しいな。だんぜ んかわいい妹がいい」 それからヴィオラはある考えにとりつかれてしまった。寝ても覚めてもそのことばかり 考えるようになりとうとう寝込んでしまった。 そしてとうとう、心配でおろおろするするオークの顔をじっと見つめるとおもむろに切 り出した。 「わたし赤ちゃんができたみたいなの。ついもうひとり子供が欲しいと考えたばっかりに」 「本当かい?」オークはそれはそれはとても喜んだ。「なんでそんなに悲壮な顔をしてい るんだ。うれしくないのか?」ヴィオラの様子が変だった。 「喜こばなくてはいけないんだけど……」 「なにを困まっているんだ? 君の年か?」 ヴィオラはベッドの上で身体を起こすとオークの目をまっすぐに見つめた。 「これからわたしの話すことを信じて欲しいの」 そしてすべてを話した。自分のもっている力のこと、自分に課せられた宿命のこと。 オークはヴィオラのかぼそい声を、魔女の呪文を聞くように身じろぎもせず黙って聞い ていた。 そして、お互いの瞳の中になにかを見つけるように見つめあったまま、長い沈黙があっ た。 「それで……つまり……」オークが乾いた唇を湿らせながら言った。「僕たちの子供が三 歳の誕生日を迎えると僕は死んでしまうということなんだね」 「ええ」 再び長い沈黙が訪れた。 そのとき、デイジーがふたりの様子を見にきた。 「なにかあったの? 空気がよどんでるわよ」 「ああ、姉さん」「デイジー」ふたりはすがるような目でデイジーを見た。 三人はそれぞれの沈黙の砦を築いた。途中でデイジーはエルダーを寝かせるために部屋 を出た。しばらくして戻ってきたデイジーはさっきとは違い、開き直ったような表情をし ていた。 「さあ、台所にお茶を用意したわ。この場所はよくないわ。空気をかえましょう」 並んで座ったオークとヴィオラはテーブルの下で手を握っていた。それに気がついたデ イジーは思わず微笑んだ。 「なんとかなるわ。きっと。たぶん。願えば。そう、わたしちょっと考えたんだけど……」 デイジーはふたりの正面に座りゆっくりとお茶をひと口すすった。 「ヴィオラはいずれにしても赤ちゃんを産んだと思うの。あなたみたいな特殊な人間は子 孫を残す力も強いんじゃないかしら。きっと逆らえないことだった。だけどあなたもわた しもオークには死んで欲しくない。だったらいちかばちかやってみるしかない」そう言っ ていっきにお茶を飲み干した。 デイジーの考えはこうだった。 ヴィオラの力を使って状況を変えること。女の子ではなく男の子を産む。それだけだっ た。 「そんなことでかわるのかしら?」ヴィオラが不安げに言う。 「やってみなくてはわからない。ほかになにか考えがある?」 ふたりは頼りなく首を振った。だけどしだいにオークにはよい考えのように思えてきた。 オークはヴィオラをそっと見た。さらに若返っているように見える。 「もしかして姉さんが解決策を見つけるように願った」 「わからない。気が動転しちゃって」ヴィオラは混乱していた。 「とにかくやってみよう。きっとうまくいく」オークは自分の声が自信に満ち溢れている ように聞こえることを願った。 その日からヴィオラは毎日念じた。 「わたしが産むのは男の子。男の子になれ。男の子が欲しい」言葉をかえ、言い回しを かえ同じことを繰り返し繰り返しお腹をさすりながら唱えた。 そしてとうとうその日がきた。そのときヴィオラは少女といえるほど若返っていた。 みんなが息をするのを忘れるほどの不安の中で産声をあげたのは男の子だった。五体満 足なのを確かめると三人は抱き合って涙を流して喜んだ。 ただひとり不満を表したのはエルダー。「女の子がよかった!」 アスターと名づけられた赤ん坊は特別変わったところもなく、普通の子供と同じように 成長した。最大の関所であった三歳の誕生日にはお祝いどころではなかった。みんなで家 に閉じこもりただ時が過ぎるのを息を詰めるようにして待った。そして真夜中を過ぎたと きやっと家は息を吹き返し、子供たちは寝ぼけてわけがわからないまま、三本のロウソク の立てられた大きなケーキを食べた。 オークもヴィオラもデイジーもアスターが平凡な子であることを喜んだ。見かけはぱっ としないどこにでもいる子供だ。ヴィオラは力を使うことをやめ、普通に年を取った。 そのままどこにでもいる家族のどこにでもある生活が続くはずだった。 ところが、アスターが小学校に上がり、エルダーと仲良く喧嘩をし、いつも泥だらけで 帰ってくるようになった頃、いつものように眠る前のひとときを居間でエルダーにからか われふくれっつらをしていたとき、電気が消えた。 「あら、嫌だ。停電だわ」デイジーが棚から数本ロウソクを取り出すと火をつけた。三本 目のロウソクを立てようとしたとき、アスターは惹きつけられるようにそれを見た。 「思い出した。僕、昔とても変な夢を見たんだ」 「昔?」オークが眉をひそめた。みんなが注目するのも気がつかない様子でアスターは淡 々と話しはじめた。 「夢の中で、僕は素敵な女の子と結婚するんだ。そしてかわいい女の子が生まれた。だけ どその子の三歳の誕生日のケーキに立てた三本目のロウソクに火をつけたとき僕は死んじ ゃった」無邪気に言った。 「いつその夢を見たの?」ヴィオラはできるだけ穏やかに聞こえるように言ったが声が少 し震えてしまった。 「わからない」アスターは子供らしい表情で首をかしげた。「でもそのときお腹がいっぱ いで苦しかったような気がする」 大人たちは青ざめた顔を見合わせ、暗黙のサインを送った。いきなりベッドに追いやら れた子供たちは、不満そうな顔をして、小突きあいながら二階に上がっていった。 「なんてこと! 呪いが先送りになっただけだわ」ヴィオラが腹立たしげに呻く。 「ただの夢かもしれない」オークは言ってみたものの自分でも頼りない口調になっている のがわかった。 「その先どうなるのかあんたの力でわからないの?」デイジーがヴィオラに訊く。 「前にも言わなかったかしら? 自分のことやそれにかかわることの先のことはわからな いの」 「まったく、中途半端な力だね」デイジーが思わず口にしたあと、ヴィオラのほうを見て つけくわえた。 「あんたを責めているんじゃないのよ。その力を責めてるの」 ヴィオラはその違いはわからなかったが、デイジーが気遣ってくれているのは十分にわ かっていた。みんなアスターを失いたくないのだ。 「幸いにもそうしたことが起こるのはずっと先のことだ。逆にそれまではなに起こらない ということだろう? 違うか?」オークの言葉にふたりは頷いた。 「それまであの子のことをよく見守っていなくてはね」今度は三人で頷いた。
「というわけでみんなであなたを見守っていたのよ」ヴィオラは菫色の瞳でアスターを見 つめた。 「……」あまりにも現実離れしていて言葉が出なかった。現実離れ?何を言ってるんだ自 分は。幽霊が見えること自体がすでに異常だ。まったくなにがあってもおかしくない世界 にいながら、いまだに自分は普通だと思っている。アスターはおかしくなって笑いがこみ 上げてきた。 「やめなさいよ。気持ち悪い!」ジェシカが肘で強く突いてきた。 「それでみんなして僕を守ってくれていたわけなんだ」アスターは口をゆがめて言った。 「なんだ、お前その言い方は。みんなお前のことを思ってやっていたんだぞ。感謝すべき であってそんな言いかたをするもんじゃない」エルダーが怒った。 「なんで兄さんまでこのことを知っているの? おかげで僕の思春期は……女の子との想 い出は悲惨なものばかりだ」 ジェシカが横で眉をひそめたがアスターは気がつかなかった。 「僕はたまたま気がついたんだ。いくらお前が間抜けだといってもみんなのお前に対する 干渉は、過保護とはちょっと違うからな。僕は賢くて鋭いからな。お前と違って……」こ こでエルダーは突然青ざめた。「そんなことよりみんな大事なことを忘れている」エルダ ーが叫んだ。 「僕は父さんと母さんの子供じゃないんだ!」 「ああ、忘れていたわ」ヴィオラがこともなく言った。「わたしたちはあなたを自分たち の子供だとずっと思っていたから考えたことがなかったのよ」 「そうだ。気にしたこともなかったな。今さらながら聞くが、お前はなにか不満に思った ことがあるか? あったら謝らなくてはいけないな」オークが落着いて言った。 「……なにもない」確かになにもなかった。今まで知らずにいたことはかえってよかった のかもしれない。だが、知ってしまった以上話は別である。だが、今はショックが大きす ぎて考えることができない。ひとまず横に置いておこう。エルダーは冷静になれる自分が 誇らしくもあり疎ましくもあった。それでも僕はもういい年をした大人なんだから、そう いう大事なことは打ち明けられるべきだろう! 腹立たしいやら呆れるやら、どう対処し ていいのかわからなくなりしかめ面をして黙り込んだ。 「こんな時デイジーがいたら頼りになるんだけど……」ヴィオラがぽつりと言った。 「彼女は今まで十分わたしたちのために尽くしてくれた。いつまでも頼ってはいけない。 姉さんはやっと幸せになったんだ」オークが優しく妻を引き寄せた。
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