23 ブライア
 その昔、定住の地を持たず町から町へとさすらうジプシーの集団がいた。突然現れては
サーカスもどきのことをしたり、小芝居をしたり、怪しい薬を売ったり、闇に紛れて持ち
物を増やしたり、そしてまた立ち去っていく。その中に占いをしている女がいた。名前を
ブライアという。ブライアの占いはよくあたるといって人気があった。もちろんブライア
の若く美しく豊満な肉体と謎めいた雰囲気によるところも大きかった。
 薄暗く小さなテントの中でブライアは水晶玉を前に置き、光の具合によって濃さを変え
る菫色の瞳のほかをすべてベールに隠し、謎めいた瞳を半分閉じて座っている。まわりに
は乾燥ハーブとともに干からびたトカゲやヘビが吊り下げられ、得体のしれない液体の入
ったガラス瓶が並んでいる。しばらく座っていると鼻をくすぐるような甘ったるい匂いで
頭がぼうっとしてくる。
 ブライアは客が前の椅子に座ると、おもむろに水晶玉をのぞき込み、なでまわすような
仕草をする。小さな声でなにかつぶやいているようだが聞こえない。呪文を唱えているの
だろう。それから客をじっと見据えるとなにが知りたいのかを空気を振動させるような深
い声で訊く。
 客がテントを出るときにはみんな答えを持っている。だがそれが必ず望んでいるものと
は限らない。そのせいでますます人々は信じるようになるのだ。
 一日の興行が終わり、テントを片付ける男がやってきた。
「やあ、今日も大盛況だな」
「フン、ちょろもんだわ」ブライアはベールをはずすと二重に重ねたマスクを取った。
「まったく臭いったらありゃしない」
「だがみんな喜んで帰っていくぜ」男は手馴れた様子でこまごまとした物をきちんと箱に
おさめていく。
「みんなではないわ」ブライアは硬い表情をして言った。
「ああ、そういえばかわいそうなくらい落ち込んだ男がいたな。なにがあったって?」
 ブライアが本当に占うことはなかった。相手の顔色や動き表情を注意深く観察すれば大
体のことがわかった。何を望んでいるのか、望んでいないのか。だからそのときに応じて
相手が望んでいる答えを差し出した。相手が嫌なやつだったらちょっとばかりいたずらも
した。そうすればいいバランスも取れる。もちろん人並み以上の能力があるからこそでき
ることだった。
「妻の様子がおかしいって」
「それでおまえはなんて言ったんだ?」
「その人はあなたを殺そうとしているって」
 男は唖然とした。「ブライア、それは言いすぎだろう」
「でも、本当のことなのよ。兄さん」
「力を使ったのか? 駄目だ。やめとけ。おれは陶器のような妹はごめんだ」
「わかってるわ。だけど……ほっとけなかったの」
 ブライアは不思議な力を持っていた。これは代々女にだけ伝わる力で兄にはなかった。
ただその力を使うとブライアは硬くなった。力を使えばなにかが起きることがわかってい
た。だがそれが最初にわかるのはそのなにかが自分の身体に起ってから。ブライアの母親
は力を使うたびに柔らかくなっていった。ブライアと兄の父親は違う男で、どちらも顔も
知らなかったが、ふたりは仲がよかった。
「それでも深入りするんじゃないぞ。後で苦しむのはおまえだからな」兄は釘をさした。
「でも、兄さん。わたしが誰かを好きになって不幸になるとは限らないでしょ」
「ああ、限らない。だが、おまえはそいつや子供のために力を使い果たし、最後には石こ
ろみたいになっちまうだろう。それにおれたちも、その前の代も確か父親の顔を知らない。
みんな耐えられなくていなくなるんだ」
「でも、兄さんはそばにいるわ」
「おれは夫ではない」
 兄は妹がかわいかった。そして妹が結婚して普通の幸せな家庭を持つことを夢見ている
ことをよく知っていた。いずれ妹は子供を持つだろう。その中には女の子が必ずひとりい
る。力は必ず絶えることなく女性の中で引き継がれる。だが相手と結婚している必要はな
い。
「で、どこまで視たんだ?」
「奥さんが自分を殺そうとしているんじゃないかって。そのとおりだった。かわいそうに
彼は奥さんを愛しているのに」
「ふん。馬鹿な男だ」
「なに言ってるの。相手のことをなにも知らないくせに」ブライアは男をかばった。
「そうされるようなことをその男がしたか、そんなひどい女をつかまえたのか、どちらに
しても馬鹿な男だ」
「彼はいい人だわ」
 兄は片方の眉を上げた。「そうか、おまえはほかにもそいつになにか言ったのか?」
「ええ、結婚記念日に奥さんが差し出すワインを絶対に飲まないようにって」
「ブライア……」兄はあきらめたように肩をすくめ片付けを続けた。
 それからしばらくして男はまたやってきた。
「君の言うとおりだった。妻はわたしを殺そうとした。妻には……男がいたんだ」
「残念だったわね」ブライアは感情を込めないようにした。「で、奥さんはどうなった
の?」
「死んだ。巧妙な毒だった。僕はワインをうまくすりかえた。でも妻はそのとき死ななか
った。だから僕は間違っていたんだと喜んでいた。それからの一週間、妻はこの上もなく
優しかった。そして心臓麻痺で死んだ。そんなこととはなに知らない男がのこのこやって
きた。つかまえてすべて白状させたよ」
 淡々と話す男には表情がなかった。「君のおかげで助かった。たぶん……お礼を言うべ
きなのだろうと思って」そう言いながらも喜んでいるようにはとても見えない。
「そう、残念だったわね」ブライアはただ繰り返した。
 それからブライアは仲間と一緒に次の土地へ移動した。定住の地を持たないジプシーだ
ったが季節を追いながら回る場所は大体決まっている。一年後、また戻ってきたときブラ
イアはひそかに心がざわついた。
 男がやってきた。
 ブライアは表情を消し、はじめて会うように接した。
「久しぶりだね」男は見違えるように元気になっていた。
「前にお会いしましたかしら? わたしは商売柄たくさんの人に会うのでいちいち憶えて
いません」
 男はがっかりした様子でうつむくと目の前の水晶玉を見つめた。
「でも、あなたのことは憶えているような気がします。立ち直ったようですね」
 男は大きく息を吸うと意を決したように言った。「占って欲しいのです。僕には今、好
きな人がいます。だけどその人のことをよく知りません。その人はいつもベールをかぶっ
ていて目しか見えません。とても美しい菫色の瞳です。その人は僕のためにベールを脱い
で顔を見せてくれるでしょうか?」
 ブライアは男をじっと見つめたままベールを脱ぐと手を差し伸べた。
 兄は結婚するという妹を諸手を上げて祝うことはできなかった。兄に先を見通せる力ど
ころかなんの力もなかったがうまくいくとは思えなかった。だが、ひとつだけ聞いておか
なくてはいけない。
「あいつはおまえの力のことを知っているのか?」
「ええ、話したわ。彼は驚かなかった。だってわたしはよくあたる占い師をしていたんだ
もの」
「もうひとつのことは? 身体のこと」
「もちろん。でも力は使わない。誰だって硬い陶器の人形を抱きしめたいとは思わないの
はわかってる」
 兄はそうであることを祈った。
 幸せそうに顔を輝かせる妹に心を残しながらも微笑んで別れを告げ、兄は仲間と旅立っ
た。
 ブライアは生まれてはじめて地に足をつけ、動かない家に住んだ。男はほどほどの農園
を持ちワイン工場を営んでいた。決して裕福ではないが、人並み以上の生活ができるほど
には成功していた。
 ブライアと結婚してから仕事はますます栄えた。予測のつかない収穫に振り回される仕
事なのだが、よその畑が干ばつにやられたり病気に悩まされるときでも男の畑はいつも豊
作だった。みんなから男は結婚してから運をつかんだと妬まれるほどに。
 男は自分の力だけではないことがわかっていた。確かに運をつかんだのかもしれない。
だがその代償は? 妻を抱きしめたとき、以前のようなやわらかさや温かみが薄れヒヤッ
と感じることがある。それはそれで暑い季節にはいいかもしれない。男は思わず苦笑いを
した。男は妻を愛している。よく尽くしてくれる文句の言いようのない妻だった。そして
ふたりの間にはもうすぐ三歳になる愛らしい女の子がいた。
「おまえがわたしのことを大事にしてくれているのはよくわかっている。だが、おまえの
その……特別な力をわたしのために使わなくていいんだよ」
「ええ、わかっているわ」
 ブライアにもよくわかっていた。だが、慣れない生活、慣れない環境、そして夫や子供
を思う気持ちが知らないうちに力を使わせる。ブライアにはどうすることもできなかった。
 男は娘をとてもかわいがった。いまのところ娘は普通の子供だった。やはり妻と同じよ
うな力を持つようになるのだろうか? 今はまだそれを感じたことはない。
 三歳の誕生日、男は娘がまえから欲しがっていたドールハウスを抱え家に戻った。驚か
せようと思いプレゼントのことは妻にも娘にも内緒にしていた。
 玄関を開けたとき、娘が飛びついてきた。男はプレゼントを背中に隠したまま娘を抱き
しめると娘はかわいい声で言った。
「パパ、ありがとう。ドールハウス、とても欲しかったの」
 男は愕然とした。
「ママに聞いたのかい?」
「違うわ。でもわかったの」娘はあどけなく言う。
 その後ろで妻が青白い顔をして立っているのが見えた。
 男はプレゼントを娘に渡すと、そのままあとを振り返らずに家を出た。
 ブライアには力を使わなくても夫が二度と戻らないことがわかった。そして声にならな
い声で叫んだ。
「わかっていたはずでしょ! わかっていてわたしと結婚したんでしょ。裏切り者! も
う二度と信じない! 同じ間違いは決してしない!」
 この日、兄は姪の誕生日を祝う食事に招かれていた。妹の家に向かっている途中、頭の
中に悲鳴が聞こえた。大慌てで妹の家に駆けつけたとき、家にいたのは女の子だけだった。
子供はひとりで新しいドールハウスで遊んでいた。おじさんの姿を見ると女の子は顔を輝
かせた。
「おじさん。お人形持ってきてくれた? このドールハウスにはお人形がいないの」
 兄は姪のプレゼントを選ぶとき、迷わず人形を買った。そうすることが当然であるかの
ように。
「ああ、持ってきたよ」兄は声が震えるのを抑えることができなかった。「おまえのママ
はどこだい?」
「ママは消えちゃった。パパは出て行った」女の子は困った顔をした。「そばにこれが落
ちていたの」小さな手でそばにあるかたまりを指差した。それはなにか得体のしれないか
たまり。だが、兄にはすぐわかった。かたく、かたく固まった人間がうずくまっている。
「なんということだ……」兄は重く詰まったかたまりを拾い上げるとじっと見つめた。そ
れから大切に上着のポケットにいれると女の子に言った。
「おじさんと出かけよう。これからあちらこちらを旅してまわるんだよ」
「パパとママは?」
「かくれんぼをしてるんだ。おじさんとこれからさがしにいこう」
「新しいおもちゃも持っていっていい?」女の子は菫色の瞳で叔父さんを見上げた。
「ああ、いいとも。おじさんのところには綺麗な水晶玉がある。それもあげよう」
 力はいつも気まぐれに働く。ブライアの力はとても強かった。だが、本人すら最後の言
葉が子孫を苦しめる呪いになるとは思いもしなかった。はじめはただ不幸な出来事だった
が、それが繰り返されるとさすがに気づく。ブライアの子孫は結婚すると女の子をひとり
産み、そしてその子の三歳の誕生日に夫は死んでしまう。記憶は時とともに薄れ、ローズ
やヴィオラの頃にはなぜそうなったのかは謎になっていた。
 引き継がれる力もまた気まぐれだった。ブライアの母は力を使うと柔らかくなった。最
後はゼリーのようにぷよぷよになっていた。ブライアの娘は膨らんだ。最後は風船のよう
にまんまるくなった。どうやら自分の力の副作用を嫌がる気持ちが次の代に反映されるら
しい。ローズの母は普通に年を取りたいと願った。だが気まぐれな力は年を取りたいとい
う願いを聞き入れた。そしてローズは力を使うと年を取った。
 
 一部始終をアスターたちは姿見を通して見た。まるでお芝居を見ているようだった。そ
してベッドに横たわるふたりにもまた奇妙なことが起きていた。
 ローズのしわがなくなり肌がつやつやと輝きだすとヴィオラはしわしわになった。そし
てその逆のことが起る。ふたりはまるでシーソーのように微妙な力のバランスを取ってい
た。そのうえ驚いたことに若返ったローズはヴィオラにそっくりだった。
 はらはらしながら見守るオークは、ヴィオラがどの年齢でとまるのか心配でしかたなか
った。老女になっては困る、だが少女になるのも嫌だ。妻といえる年齢におさまることを
ひたすら願った。
 姿見の映像がぼやけはじめると、鏡はまるで疲れ果てたかのように黒ずみ、ピシッとい
う音とともに細かいひびに覆われた。
 部屋の中の全員がまるで嵐が通り過ぎるのを待つかのように、動くこともできず、息を
ひそめ、ベッドの上のふたりが目を覚ますのを待った。
 そしてとうとう四つの菫色の瞳が同時にぱっと開いた。ふたりは互いの顔をみ合わすと
疲れたように微笑んで、手を離した。
 ヴィオラははじめたときより老けていた。とはいってもふたりのいい年をした息子を持
つのにちょうどいいくらい。もちろんローズは若返っていた。ふたりのいい年をした孫を
持つのにちょうどいいくらいに。
 オークは喜んだ。ヴィオラを起こすとかたく抱きしめ頬ずりした。ヴィオラは若返った
ローズを見てちょっと驚いたが、オークが笑っているのでそれでよかった。
「まったく人騒がせなご先祖様だね」最初に口を開いたのはローズだった。
「で、どうしたらいいんだろう? わかったのはなぜこの呪いが始まったのかだけだ。解
く方法はわからない」エルダーは冷静に言った。
 まるで金縛りにあったように動かないアスターの様子にか気ついたジェシカは横からつ
ついてみた。
「僕は……僕はあのかたまりを持っている!」
 みんなの注目を集めながら説明した。あの不思議な雑貨屋とつかみどころのない男の話
を。
「なんとも奇妙な話だな。おまえは夢を見ていたんじゃないか?」エルダーが怪しげな顔
をしてアスターを見る。
「本当だよ。村においてある。考えてみると僕が幽霊が見えるようになったのもあのかた
まりをもらってからだ。ただの変わった文鎮だと思っていた」
「わかった。おまえは村に戻ってその変な文鎮とやらを持ってこい。今日はみんな疲れて
いる。続きはそれからにしよう」オークはそう言って集会をお開きにした。
 アスターが部屋を出ようとしたとき、どこからともなく現れたエメットがローズを気遣
っていた。
「ああ、気配が残っている。あれをやっているときは避けられなかった」ローズがそうつ
ぶやいているのが聞こえた。

 

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