5 エルダー村に行く
 次の日、エルダーは仕事を休んで村に行くことにした。無駄のないエルダーはその時間
を有効に使うことにして、あまたの女友だちのひとりを連れて行くことにした。大切な取
引先のお嬢様でもある。
 彼女はひらひらとスカートをひるがえし、フリルとリボンが一杯はりついた日傘をもっ
て現れた。彼女を連れて行くことで上司がすんなり休みをくれたのは間違いなかった。し
ぶるエメットから借りた車 ――くれぐれも無茶しないで下さいよと念を押された―― 
で颯爽と出かけた。
 年月がたつと村の様子もだいぶ変わっている。田舎であるには変わりないが、今風の家
が建ち知らない顔がふえている。あらためて見てみると村ののどかな雰囲気は、あわただ
しい生活から逃れのんびりと過ごすにはもってこいだった。
 懐かしの家に入りカーテンを開けると、部屋はかつて、にぎやかで活気に満ち溢れてい
ただけに余計わびしく感じた。
「まあ、かわいい家ね!」連れてきた女友だちが言う。「おもちゃの小屋見たい」彼女は
生まれたときから都会育ちだ。
「そうだね」エルダーは協調性がある。
 家の中はきちんと片付いていた。食器は棚に納まり、エプロンは置きっぱなしにしては
なかった。思いつきや急に出かける必要があったわけではなく、ちゃんと準備して行った
ということだろう。家の中をくまなく見てみたが几帳面なデイジーらしくすべてが整理整
頓されていた。二階に上がり自分とアスターがふたりで使っていた部屋を見てみるとベッ
ドや家具には埃がつかないように布がかけられ、いつでも使えるように掃除が行き届いて
いた。他の部屋も似たようなものだった。
「まったく、デイジーおばさんはどこにいったんだ?」エルダーはつぶやいた。
 家の中を見ても何の手がかりもない、近所の人に尋ねることにした。ちょっと離れた隣
には隠居して慎ましやかに暮らしている老夫婦が住んでいる。歩いていこうとするエルダ
ーを女友だちが恨めしそうな顔をして見た。
 町の舗道を歩くのにぴったりのお洒落な靴を履いた足を一目見て「もちろん、車で行こ
う」エルダーは状況判断ができる。
 隣の老夫婦は、エルダーが村に住んでいたときから老人だったが、さらに磨きがかかり
時間の感覚がずれてきていた。毎日が変化のない日々なので昨日と今日と明日の区別がな
くなっている。話はあてにはならないものだったが、見かけなくなったのはそんなに昔の
ことではないらしい。問題はその昔がどれくらいなのかを知りたいということだ。もっぱ
ら話すのは奥さんのほうで、旦那のほうは車から降りなかった女友だちのそばまでいき珍
しい物を見るように見とれていた。エルダーが礼を言って車に乗り込もうとするとき奥さ
んから引っ張られていく旦那を彼女は引きつった笑いで見送った。
「はあ、なんだか見世物小屋のお猿さんになった気分だったわ」
「この田舎には君みたいな美人はめったにいないからね。それに似たようなもんだよ」
 女友だちは一瞬耳を疑ったが聞き間違えたのだろうと、前の部分だけを耳にいれること
にした。
 次にデイジーが働いていた雑貨屋に行って見た。デイジーはヴィオラが村を出て行った
あと、かわりにずっと働いていたのだった。店主の母親はまだ健在だが今は眠っているこ
とが多くなり、ずいぶん楽になったが、気が利き、働き者のデイジーに早く戻ってきて欲
しがっていた。デイジーは出かけなくてはいけない用事ができたのでしばらく休ませても
らいたい、また戻ってくると言い、それ以上は詳しくは話したがらなかったそうだ。かれ
これ一ヶ月くらい前という話だった。それからしばらく近所の人や知人たちを回って見た
が誰もデイジーの行方を知らなかった。まったく、どういうことだ?誰にもなにも言わな
いで消えてしまうなんて。エルダーはお手上げ状態だった。
 連れてきた女友だちがこれ見よがしに大あくびをした。この辺が潮時だと思い彼女の機
嫌を少しばかり取ることにして、湖に行った。エルダーがいた頃のボート小屋は、草がぼ
うぼうと生い茂り、だれかれおかまいなく捨てていくごみであふれている中に建った傾い
た屋根とペンキのはげた掘っ立て小屋でしかなかった。今ではきちんと草も刈られごみひ
とつなく新しく建替えられた赤い屋根のかわいいボート小屋には見知らぬ管理人がいた。
はしけには新しいボートがいくつも並び出番を待っている。平日なので客は少ないようだ
が、休日ともなればもっとにぎわっているのだろう。
 エルダーも仲のよい恋人たちのように借りたボートの飛び乗ると、かわいらしく怖がる
彼女の手を取り優しく座らせた。
「きれいなところね。でもあなたはこんな田舎育ちには見えないわ」
「そうかな。でもこんなもんじゃなかったよ。ここはもっと田舎でなにもなかった。よく
この湖でも釣りをしたもんさ」
 今でも岸にはちらほらと釣り人が見える。立派な釣竿を持つお洒落な釣り人だった。棒
切れに糸を結び付けたような子供はいない。
「まあ、素敵ね。なにが釣れるの? オマール海老やムール貝は釣れる?わたし大好きな
の」
「そうだね、きっと運がよければね」エルダーはボートを漕ぎながら、だぶん魚にさわっ
たことがない、いや生の魚を見たことさえないだろう女性と仲良く座って話をしている自
分にいつもながら呆れていた。彼女は手入れの行き届いたにせものの金髪に完璧な化粧を
施していた。眉はゆるやかで優しいカーブをえがき、唇は熟れきったイチゴのように赤く、
なにかを食べるときはコインより大きく口を開かない。彼女が水に濡れるのを嫌がるので
エルダーは慎重にオールを動かした。エルダーは今でもとてももてる。とても男前で優秀
なエルダーは将来を有望された青年として我が娘の婿にと言う話は引きも切らず絶えずあ
ったが、エルダーはすべてをそつなく断っていた。―― まだまだ仕事に専念したいので
―― そう言いながらもうまく立ち回り多くの女性と広く浅くつきあっていた。
 女たちも女たちで自分がエルダーを最後に勝ち取るという野心を胸に、しのぎを削りな
がらも表向きはにこやかにお互いをけん制していた。
 エルダーは湖の中でときどき光る魚の鱗を見ていると、いつか町の博物館でやっていた
『世界の爬虫類展』で見たカメレオンのことを思い出した。見物にくる人々を喜ばせるた
めに無理やり色を変えさせられるカメレオンを見て、その時一緒にいた彼女は「面白い」
と言った。なんとなく気になり次の日違う彼女を連れ再び行って見た。そのときの彼女は
「気持ち悪い」と言った。それから毎日連れを替えて行ってみた。その感想は「素敵」
「かわいそう」「これでバッグを作っても色が変わるのかしら」「ふーん」「かわいい」
などなど、最後に「作り物に決まってるわ」との声とともに爬虫類展は終わった。
 エルダー自身はカメレオンを見てなんとも思わなかった。いや、本当のところはこの小
さなトカゲが本来の自分の色を忘れたら何色にとどまるのだろうと思ったのだ。
 エルダーがぼんやりと考えている間、なにもみていない目はたまたま彼女の顔をむいた
いたので、彼女の顔は真っ赤になっていた。ふと我に返ったエルダーは「やあ、今日は本
当にいい天気だね。君はちょっと日焼けしたみたいだ。そろそろ降りたほうがよさそうだ
ね」と言うとにっこり笑ういボートの向きを変えた。流れる景色を眺めていた彼女はある
一角に目をとめた。
「あれはなに?」彼女は村のはずれの小高い丘にぽつんと建った廃墟を指差した。朽ち落
ちた建物はかつては立派なものだったのだろうが今ではまるでその姿を隠したがっている
かのようにまわりの樹に半ば埋もれていた。
「ああ、まだあったんだ。あれは幽霊屋敷さ」エルダーはオールを離し手をかざして見て
みる。
「あそこには恐ろしい幽霊が住んでいて、勝手に入ったものを呪い殺すんだって。子供の
頃そういわれていた」
「まあ、怖い。本当?」
「さあ、どうかな。本当のところは誰にもわからない。村の子供はみんな一度は中に入ろ
うとする。大人もかな? だけど成功した者はいないし幽霊を見た者もいない」
「誰もはいったことがないの?」
「そういわれている。近づこうとするとなにかが起こる。おなかが痛くなったり、身体が
凍りつきそうなほど冷たくなったり、逆に燃えだしそうなほど熱くなったり、空からカラ
スの大群に襲われたり、恐ろしいけものうなり声が聞こえたりする」
「それってあなたがみんな経験したこと?」
「いや、みんなが経験したこと」
 エルダーは子供の頃、嫌がるアスターを連れ仲間たちと中に入ろうとした。
 玄関にたどり着く前に散々な目に合い仲間はひとりまたひとりと脱落してしまい、残っ
たのはエルダーとアスターふたりだけだった。エルダーは弟が逃げないように腕をしっか
りつかまえ屋敷の中に入った。半分崩れかけた入り口は鍵が掛かっていなかった。窓が
破れ、カーテンが引きちぎられた室内は意外に明るかったが、すでにすっかり荒らされて
いた。広間はクモの巣に覆われ、ネズミやなにか得体のしれない物が這い回る音がする。
残っている調度品の抽斗がすべて投げ出され、壁に掛かっている鏡はひび割れ、蜀台や割
れた飾り皿の破片が埃の厚く積った床の上に転がっている。
 そばにあった棒切れでクモの巣を払いながらエルダーは嫌がるアスターを二階に引っ張
って行った。
 階段に敷かれていた真紅のカーぺットは色が褪せ擦り切れ、長年入り込んだ雨風で腐っ
た床板はところどころ軋み沈んだ。
「もうやめよう。危ないしどうせなにもない。みんな盗られた後だ」アスターが情けない
声を出した。
「別に宝物をさがしているんじゃないさ」エルダーは声をひそめて言った。
「じゃあ、なんなんだよ」
「名誉と好奇心さ」
 階段の板を壊さないようにそっと足を乗せながら上がると正面に大きな絵がふたりを見
下ろしていた。家族の肖像画だ。立派ななりをして威厳のある主、その横には清楚で綺麗
な奥さん、そしてふたりの間にはまだ幼い男の子が正装をして立っている。足元には灰色
で口のとがった狼のような犬が寝そべっている。誰も微笑まない、いかめしくて堅苦しい
絵だった。正面をむき横たわる犬でさえ獲物を狙う目をしている。
「とても生真面目な家族って感じだね」アスターはつぶやいた。
 結局、その先には行けなかった。床板がめくりあがり分厚いクモの巣が幾重にも張り巡
らされ、その上大きいのや小さいのたくさんのトカゲやヘビが好き勝手に這い回りとぐろ
を巻いている。
「ここまでだな、しかたないあきらめるか」エルダーは肩をすくめ、ふたりは下に戻った。
「せっかくだから奥のほうまで行って見よう」
「えー、もういいだろう。みんなに入ったことを証明したいならなにかもっていけばいい
じゃない」アスターはいい加減、早くこの場を立ち去りたかった。なんだかぞくぞくして
気持ちが悪い。
「まったくお前は臆病者だな」エルダーは聞こうとしなかった。
 ふたりが広間を突っ切って先に進もうとすると、急に屋敷の外を強く吹きはじめた風が
壁の隙間から入り込んでくる。破れたカーテンがはためき、まるで誰かいるようだった。
ふたりが立ちすくんでいると急に部屋が暗くなり激しい雨が降り始めた。空がゴロゴロと
鳴っている。
「兄さん、もういいだろう?」アスターは兄の袖を引っ張った。
「なんかいやな感じだな」エルダーはこのまま引き下がるのはいやだった。アスターに袖
を取られたまま無理やり奥に行こうとすると、なにかが足元をかすめた。さらに進もうと
するとまたかすめる。思わず立ち止まり薄暗い奥の通路に目を凝らすとなにかが光った。
恐ろしい唸り声が聞こえた。
「そうだな、確かにもう十分だな」エルダーは押し殺した声でそう言うと真っ先に出口に
向かったが、足がすくんで動けないアスターに気がつき、急いで戻ると抱えるようにして
連れ出した。転げるように屋敷から離れ、村人の姿が見える大通りのところまでくるとふ
たりはやっと息をついた。行きかう人々はこんな天気のいい日にと、ずぶぬれで泥だらけ
の子供たちを呆れた顔をして見た。
「まいったな、まったく。なにも持ってこなかった」草むらに座り込みながらエルダーは
ぼやいた。「誰も中まで入ったなんて信じないだろうな」
「そんなことどうだっていいよ。まったくもう」アスターはすっかり息があがってしまい、
そう言うのが精一杯だ。しばらく座り込んだままそれぞれの考えに沈みこんでいたが、と
うとうアスターが声を出した。「兄さんも見ただろ。あれは目だった。四つの目が暗闇の
中で光ってた」
「四つ?二つだろ?きっとあそこに棲みついた野犬かなんかだ」
「でも、ひと組は少し高いところで光っていた。あんな大きい犬はいない」
「じゃあ、熊だ」
「ここに熊なんかいない。それに……声が聞こえた。兄さんも聞いただろ?」
「僕は犬っころをみただけだ。お前があんまり恐がるんでしかたなく外に出たんだ」エル
ダーは決して自分の弱みを見せない。「で、なんて言ってたんだ?」
「ここから出て行け、この先には行くなって。子供の声だったような気がする」アスター
は思い出してぶるっと震えた。
「お前の妄想だ」
 それからふたりは今から起こることを考えて憂鬱な気持ちで家に帰った。案の定、どこ
も怪我をしていないことがわかると悲惨な姿に母親とデイジーからこってりしぼられた。
幽霊屋敷にはいったとは決して言わなかった。言えばもっとひどいことになる。ふたりは
口裏を合わせ、泥団子合戦をしたことにした。
「それだけ?なんだかあなたたちは変な匂いがするわ」母親が眉をひそめた。
「あたりまえじゃない。こんだけ汚いんだ」エルダーが言った。
「そうじゃなくって、もっと違った……。まあ、いいわ早く全部脱いで。今度その遊びを
するときは真っ裸でしてちょうだい。デイジーがたいへんだわ」このときばかりはデイジ
ーは恨めしそうに母親を見た。
「どうしちゃったの? さっきからボーっとしてばっかり」
「ああ、懐かしくってね」そう言ってもう一度、幽霊屋敷を眺めた。「あそこは僕が子供
の頃から誰も住んでいない。野犬やならず者たちの巣窟になっていると言う噂もある。誰
も近づかないんだ」
「どうして?」
「あの辺は天候が不順なんだ、恐ろしいけものがいるし足元はいつもぬかるんでる。その
上、突然わけのわからない土砂降りの雨が降る。誰だって汚れたくはないだろう?」
 彼女を家まで送りとどけ家に戻ると、エメットか待ちかねたように出迎えた。
「ご無事で何よりです」エメットの目はエルダーを通り越して愛車のほうを見ていた。
 屋敷にはいるとヴィオラがすぐに寄ってきた。「どうだった?なにかわかった?」ヴィ
オラは胸の前で両手を固く握りしめながら言った。
「わからなかった。いろんな人に聞いてみたけどデイジーおばさんは誰にもどこに行くか
話してはいない。ただ、また戻ってくるとは言っていたらしい」
「どうしちゃったのかしら、まったくデイジーらしくないわ」
「もうしばらく様子を見るしかなさそうだよ。戻ってくると言っているんだから」
「連絡のひとつもくれればいいのに」

 

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