11  再会

 フィルは皆を見回しにっこり笑った。もちろん実際に笑ったのはティモシーだったが。
 『それからが大変だった。気がつくと何がなんだかわからなかったが、頭がはっきりし
てくると次第にことの成り行きがわかってきた。あの〈小指の枝〉の残していった記憶を
たどってね。そして急いで館に戻ろうとしたんだがトンビが僕の入ったカエルをくわえて
遠くへ連れ去ってしまった。それからも戻ろうとするたびになぜかどんどん遠ざかってい
く。何度も違うカエルに入った。不思議と次のカエルはいつもすぐそばにいたよ。そして
やっとこのティモシーに出会ったんだ』そう言うと、どうやってそれをやったのか説明す
るのは難しいがフィルはティモシーに笑いかけた。ティモシーにとって自分の口がしゃべ
るのを聞くのはとても奇妙な体験だった。まるでフィルの中に自分がいるようだ。
 フィルはゆっくりエマのほうを向くと優しく見つめた。
『エマ、お願いがあるんだ。僕はカエルの中で生きて行くのにもう飽き飽きした。君の力
で僕をもとの身体に戻して欲しい』
 叫んだのはティモシーだった。「そんな! そうしたら君は生きていられないんだろ」
 アルもマギーも画伯もかまどの火もこの奇妙なやり取りを神妙な顔をして聞いていた。
『ああそうだよ。でもやっと、こうしてエマに会えた。ここにいる間ずっとエマを見てい
た。エマは変わらない、あの頃のように人の面倒ばかり見ている。いまはもう思い残すこ
とはないんだ』フィルはとても穏やかだった。
「もとの身体に戻ったら死んでしまうの?」アルが尋ねる。
『僕はカエルの中でしか生きられないからね』
フィルはまるで自分に入れというようにお腹を指差すマギーに首を振った。
「お前さんはそれでいいいんじゃな?」画伯が訊く。
『それを望んでいるんだ』
 すべての目が一斉にエマに集まった。ロウソクの炎さえエマのほうに傾いた。エマは戸
惑っていた。一生懸命何かを思い出そうとしているようだったが、やがて首を振った。
「何も思い出せない」
 フィルはポケットから指輪を取り出すとそっとテーブルの上に置いた。エマは目の前に
置かれた指輪をじっと見つめた。
『エマ、これにさわればすべてを思い出す。だけどそうすれば君はもうここにはいられな
い。君は本当ならもうとっくに死んでいる年だ。その事実も戻ってくる』ここでフィルは
じっとエマを見つめた。
『エマ、僕にこの指輪はめさせて欲しい。もう一度あのときのように』
「そんなことしたらエマも死んじゃう」ティモシーがまたもや叫んだ。
『そうだ。そういうことになる』フィルはとても冷静だった。
 まるですべての空気と時間が止まっているかのように館はとても静かだった。ロウソク
に照らしだされた皆の影だけがゆらゆらとゆっくり揺れていた。
「わたしはずいぶん前からその指輪をさがしていた。その指輪を持てばどうなるかも知っ
ている」エマはゆっくり立ち上がった。「さて、どうしたもんかね」そう言いながら部屋
の隅に置いてあるしなびた木の枝のところに行った。しばらくそれを見つめていたがとう
とうフィルのほうを向いた。
「何から始めればいい?」
フィルは微笑んだ。心から喜んでいるのがティモシーにはよくわかった。
『まず僕をもとの身体に戻して。本当の姿で君に会いたいんだ。この姿が悪いというわけ
ではないんだけどね』フィルはティモシーにウィンクした。
 エマはフィルのしなびた身体を床に置き「ここにきて」と言った。
 フィルが横に立つとエマは頭の上に手をかざし目を閉じて集中した。すると身体の中か
らやさしい光があふれ出し凝縮したかと思うと、小さな光る球となりティモシーの上に浮
かんだ。皆が見守る中、光の球は広間の天井を大きく旋回しゆっくり自分の身体に戻った。
木の枝は温かい光を発しながら、まるでケーキが膨れるようにゆっくりと人の形を取り始
めた。足が生え手が生え顔かたちが現れ髪が生えると完成。
「ああ、素晴らしい。自由だ」フィルは両手を思いっきり伸ばすと空を仰ぎ、感激してい
た。同じ血筋のせいかフィルはどことなくエリックにもアルに似ていた。もちろんアルの
美しさには程遠かったが。
「やあ、ティモシー」フィルはティモシーに笑いかけた。
「やあ、皆さん初めまして、かな?」皆を見渡すと微笑んだ。そしてエマを見つめると強
く抱きしめた。「ああ、エマ。とても会いたかったよ 
 エマは不思議な気持ちになった。わたしはこの人を知っている、それもとてもよく。フ
ィルはエマを離して顔がよく見えるようにした。「ちょっとばかり老けちゃったけどとて
もきれいだよ」エマはしわだらけの顔をしかめた。
 フィルは急に真面目な顔になるとテーブルの上の指輪を見つめた。
「エマ、今度こそ僕の指輪を受け取ってくれるかい? こうして参列者もいる。結婚式を
やり遂げたいんだ」

 いつの間にか画伯はキャンパスいっぱいにクリームたっぷりで色とりどりに飾られたと
ても本物よりもおいしそうなウエディングケーキを描きあげムードを盛り上げた。かまど
の火はロウソクの炎を燃え立たせ部屋を明るく照らした。アルとマギーは付添い人として
それぞれのそばに立った。ティモシーはふたりの立会人となった。立会人といってもふた
りを見ているだけなのだが。
 厳かに式は始まった。いつもへらへらしているアルでさえ口元をきりりと結んでいる。
ティモシーがフィルに指輪を渡すと、フィルは不安げなエマの手を握りにっこり笑うとそ
っと指輪をはめた。そのまま握った両手を離さずエマの様子をうかがうように優しく見つ
めた。
 突然、指輪が目もくらむほどの光を放ち、部屋が真っ白になった。それはほんの一瞬だ
ったがティモシーの頭の中には、あふれ出たエマの記憶の断片が割れた鏡に映ったように
きらきらと飛び込んできた。その破片の一枚一枚に若く溌剌としたエマがいた。
 始まったときと同じように突然光が消え、そこには固く抱き合うふたりがいた。エマは
もはや老婆ではなく若い娘で、その頬はほんのりと赤く染まっていた。
「皆のおかげで素晴らしい結婚式ができた。ありがとう、完璧だ。」フィルが言った。エ
マは横で輝くような微笑を浮かべていた。
「いってしまうのかい?」アルが口を開いた。
「ええ、でもその前にやっておきたいことがあるわ」エマは光の球がいっぱい入ったビン
のところに行きその蓋を開けた。光の球は部屋中に広がり何かを待つように静かに漂った。

 エマが目を閉じ、見えない何かを抱えるような仕草をしたかと思うとその両手を大きく
空に向かって開いた。ゆっくりと光の球のひとつひとつが膨張し、巨大な一つの光の球と
なりその大きく柔らかな光で屋敷全体を包み込んだ。
 床が何かに揺さぶられているかのように小刻みに揺れ、壁が、天井がぎしぎしと音を立
てきしみだしたかと思うとすべてがいっせいに始まった。
 それはまるで、建物が目覚めるようだった。剥げて、めくれた床が平らになり、落ちた
レンガはもとの場所に飛んで戻ると崩れ落ちた壁をふさぎ、破れほつれたカーテンは自ら
を繕い、忘れていた色を思い出した。様々なものが空中を飛びかうのをティモシーとアル
はときどき首をすくめながら目を丸くして見ていた。
 ティモシーがふと画伯を見ると、画伯は自分のキャンバスが破られるのではと気が気で
はないらしく、ときどき意味不明の言葉が現れては消えていた。かまどの火はどうやって
いるのかわからないがロウソクの炎をこちこちに固めていた。マギーは? マギーが見え
ない。
 修復の勢いはどんどん加速していく。目を凝らしてみても物がすさまじい勢いで飛びか
うので何も見えない。天井がばりばりと音をたて、その音がどんどん上のほうに移動して
いくのがわかる。――作業終了―― まるで合図のようにどこか高いところでドンと大き
な音がし、建物がブルッと震え、すべてが終わった。
 不思議な静寂の中、ティモシーとアルがやっと落ち着いてあたりを見回せるようになっ
たときにはフィルとエマの姿は消えていた。部屋の真ん中にぽつんとマギーが寂しそうに
うずくまっている。ティモシーがそばに行くとマギーの前にはあのしなびたフィルの抜け
殻があった。ただしいまはふたつに増えていた。テイモシーは優しく拾いあげるとそっと
テーブルの上に置いた。
 マギーがアルのズボンの裾を引っ張った。アルは条件反射で大きく飛びのいたが、申し
わけなさそうにマギーのところに戻った。
「なんだい、マギー?」
 マギーはアルに向かって大きく口を開けた。その舌の上にはエマの指輪がのっている。
「エマがこれを僕に残したの?」
 マギーは口を開けたままうなずいた。アルは震える指で舌にふれないように指輪をつま
みシャツで拭くと恐る恐る小指にはめた。マギーは大きく鼻を鳴らした。
 そのまま指輪をじっと見つめていたがやがてにっこり笑うとゆっくりはずしシャツのポ
ケットに入れた。
 いつの間にか夜が明けていた。


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