2 魔女の館 「ティモシー、起きなさい。朝だよ」母親の優しい声がする。「チリン、チリン」一緒に 鈴の音が聞こえる。ティモシーはゆっくり目を開けた。目の前に恐ろしい顔があった。 「うわっ!」慌てて飛び起きるとその男とぶつかり倒してしまった。 それは奇妙な人間だった。色の褪せた緑と赤の縦じまの服、先の足のとがった靴、先が ふたつに分かれた帽子をかぶっている。あちこちにメダルやボンボンや鈴がついており、 動くたびにチリン、チリンと音がする。 「痛たた……とんだ挨拶だね」と言ってお尻をついたまま手を差し出してきた。その指は 節くれだってねじれ曲がり、背中には大きなこぶがある。ティモシーはその手をつかんで 奇妙な男が立ち上がるのを手伝った。立ち上がるとその背はティモシーよりちょっと低か ったが、顔立ちはすっかり大人でなんだか獣じみている。 こんな場所で会ったのだから用心しなくてはと思うものの、なぜか怖くはなかった。 「ごめんなさい。おどろいちゃって」そういったとたん相手を傷つけたのではないかと慌 ててつけ加えた。「寝ぼけてたみたいなんだ」いまの言葉が彼の容姿に対して言ったと思 われないように。 その奇妙な男は気にするふうでもなくお尻の埃を払いながら言った。「改めておはよう。 君はどこからきたの?」 「僕は村のはずれの森の……」ティモシーが説明しようとすると、男は首を振りながら 「いや、そうではなくてどこから入ってきたのかい」と訊きなおした。 「そこの変なカエルがついた扉からだよ」 「おかしいなあ」その奇妙な男は首を傾げた。 「何がおかしいの?」 ティモシーの質問を軽く聞き流すと「まあいいさ。僕はアレックス、アルと呼んでくれ。 ところで君は誰?」と訊き返してきた。 「僕はティモシー」 「それじゃあ、ティモシー。よろしく」アルと名乗る男は優雅におじきをしていった。 「君もエマにお願いしにきたのかい?」 「いや、僕はある人に頼まれて……ここにきたんだ……」 ティモシーの口がうまく動か ない。 「なんでその人は自分でこないの?」アルの声は深みがあり、話し方は見かけと違い優 しかった。 「……」 「まあいいさ。じゃあ今度の質問には答えられるだろう。お腹空いてる?」 昨日からまともな物を口にしていないことを思い出したティモシーは急に空腹を感じて 大きくうなずいた。こちらへおいでとアルはにっこりと微笑むとテイモシーを連れて建物 のほうへ向かった。その笑顔はその恐ろしい顔にもかかわらずどこか人を惹きつけるもの がある。突然、アルは振り向きティモシーにぶつかった。 正面に小さな子供くらいの大きさで赤みがかった肌をした大きなカエルがいる。 「しっしっ、あっちにお行き」驚いたアルがカエルを手で追い払うとカエルはのそのそと 瓦礫の中に消えた。 館の中に入りながらアルは話を続けた。「僕はカエルが苦手なんだ。小さな頃、寝てい る顔の上にカエルを置かれたんだ。わかるかい? 冷たくてぬめっとしたなんともいえな いあの気持ち悪い感触。そのあと一週間蕁麻疹で寝込んだ」 ティモシーは思わず思い出してのどを押さえた。 裏口のような扉を開けるとそこは広い厨房だった。埃だらけでいろいろな物があちこち に転がっていたが、かまどのまわりだけはきちんとかたづけられていた。かまどの前に大 きなテーブルがあり、高さも大きさもてんでばらばらな椅子がいくつか並べられている。 アルがかまどにかけてある鍋からふたり分のスープをついでくれたので、ありがたく一緒 に並んで食べた。魚のスープでウサギではなかった。 「立派な鍋だね」ティモシーは言った。かまどのそばにはいろいろな大きさの鍋ややかん、 フライパン、食器やコップが積み重ねてあった。へこんだり、欠けたりしているのもあっ たが、どれも高価そうなものだった。 「ああ、この屋敷の中にはまだ使えるものがいくらか少しは残っている。どれも立派なも のばかりだよ。壊れたりしてなければね。ところで君はエマにもう会ったかい?」 「昨日、入り口のところでおばあさんに会った。会ったのはそれだけ」 「それがエマだよ」アルは呆れたように言った。 考えてみればわかりそうなものだが、なぜかティモシーはもっと若いと思っていた。 「でも、帰ろと言われた」 「ここにいられるのは願い事のある人間だけだからね」 「僕もここで働きたいとお願いした」 「そんな願いじゃ駄目だよ」 「君もエマに何かお願いしたの?」ティモシーは訊いてみた。 「まあね」アルは曖昧に答えた。 「それで君はいつか食べられるの?」 「ははっ、世間ではそう言われているよね」アルは面白がっていた。「エマは人間を食べ たりしないよ。どこにでもいる偏屈で、意地悪な普通のおばあさんさ」 そのとき奥の扉からエマが入ってきた。「誰が偏屈で意地悪だって」話しながら、扉の 横の飾り棚にある二匹のカエルの置物を動かした。 アルは知らん顔して「おはよう、エマ。今日もうるわしいね」と微笑んだ。 ティモシーも何か言わなくてはとあせり「聡明で、情け深いエマ様、おはよ……」言い かけたところで「エマ、ただのエマだよ」と睨まれた。 エマが小さなお皿を二枚出しスープをつぎはじめると、どこからかあの大ガエルが現れ アルの前の席に座った。アルは顔をしかめた。エマは鍋を火から降ろし横に置くと、大ガ エルと並んだ。驚いたことにカエルは水かきのついた手でとても器用にスプーンを使った。 「お前、なんでわたしをじろじろ見てるんだい」エマが目を上げた。 「いえ、そんな、僕……」ティモシーは顔を真っ赤にしてしどろもどろになった。 アルができるだけ大ガエルを見ないようにしながら僕を助けてくれた。「この少年はテ ィモシーって言うんだよ。しばらくここにいたいんだって。エマも知ってのとおり、ちゃ んとあの入り口から入ってきたそうだ」 エルは目を細めるとティモシーを見つめて言った。「勝手におし」 食べ終わるとエマと大ガエルは出て行った。大ガエルはまだ残っていたそうだったが、 またアルに追い払われた。 「カエルに罪はないんだけどね、どうしても駄目なんだ」アルは身震いをした。 「ありがとう、アル。さっき言ってた入り口って、あのカエルのついた扉のこと? あの 扉に何か意味があるの?」 「あれは番ガエルなんだよ、つまり番犬のかわりだよ。」 「番ガエル?」 「誰か怪しい人間が近づくと鳴きわめいて大騒ぎするんだ。泥棒や悪人を嗅ぎ分けて中に 入れない。だけどエマに特別な願い事があれば入ることができる。あの扉を通らなくては この屋敷には入れないようになっているんだ。出るのは自由だ。なぜか君はまったくの例 外だね」 「君は僕が怪しい人間だと思わないの?」 「さっきも言ったけどあの番カエルは間違えない、たぶんね」アルはあまり気にしていな いようだった。「君はどう見たってただの子供にしか見えない。それを言うなら悪人面を してるのは僕のほうじゃないかい?」アルは怖い顔をして見せた。「さて、いきががり 上、君を助けることになったが、君の面倒は十分に見たからあとは勝手に空いている部屋 と必要なものをさがしてお使いよ。二階の端の部屋は僕が使っているから駄目だよ」そう 言い残してどこかに行ってしまった。 ティモシーはアルの部屋の近くに使えそうな部屋を見つけた。埃まみれのベッドで一息 つくとティモシーはフィルに話しかけた。「さっきからなんだかおとなしいね。君はあの 魔女に会いにきたの?」 『ああ、でも年を取ることを忘れていた』フィルはショックを受けているようだった。 ティモシーは思い切って訊いてみた。「君はあの魔女に呪いをかけられたの?」 『違うよ。僕は彼女にかけられた呪いを解きにきたんだ』静かに言った。 それきり何も言わなくなった。 それからしばらくの間、フィルはかすかな気配を残して、ティモシーの奥底に深く沈み、 黙り込んでしまった。ティモシーはひとり館の中や外を見てまわった。どの部屋も埃だら けで、まるで急いで夜逃げしたかのよう家具はあらかた持ち去られ、取り残された物が散 らばっていた。あちこちの部屋を回り使えそうなものを拾ってまわり、掃除道具をさがし ていると大ガエルに会った。 「箒と塵取りをさがしているんだ。君、どこにあるか知らない?」ティモシーは試しに訊 いてみた。すると大ガエルはついてこいとでもいうようにティモシーを見ながら飛び跳ね た。ついて行くと物置部屋があった。 「ありがとう。君もエマに何かお願いした人なの?」 大ガエルは小さく「ケロッ」と鳴いてどこかへ行ってしまった。 アルにはあれきり会わなかった。食事は各自が好き勝手に取るようだった。厨房にはい つもスープの入った鍋が置いてあり、火にかけて温めるだけになっている。ほかには何も ない。違う物が食べたければ自分で用意するしかない。ティモシーはそれどころではなか ったので、スープを食べ続けたがとてもおいしいので十分だった。 ある朝、ティモシーがひとりで食事しているとエマが入ってきた。扉の横に置いてある 一対のカエルの置物を動かすと黙ってスープをつぎ、ティモシーから離れて座った。 「あの……、アルはどこにいるか知っていますか? どこにもいないんです」気まずい雰 囲気に耐えられずティモシーは話しかけてみた。 「さあね、動ける足があるんだからどこへでも好きなところに行くさ」そっけない返事だ った。 あっという間に食べ終わったエマはそそくさと出て行った。ただ、扉のところで振り返 り、屋敷に置いてある置物には絶対さわらないようにと釘を刺された。 改めて注意してみると、屋敷の中にはあちこちに雑然と置物が置いてある。そのほとん どがカエルで、大きさも形もさまざまなもの。あるものは幸せそうに座っていた。またあ るものは悲しそうにうずくまり、また別のカエルはその顔に恐怖の叫びをはりつけていた。 それらがすべてもとは人間なのはティモシーにも容易に想像できた。 荒れ果てて、天井もない大広間の隣にもうひとつ広間があった。間を仕切っていた壁は 半分崩れているがこちらには天井が残っている。隣ほどの広さはないけれど外に面した窓 から光が入り明るかった。 小広間の壁の中央に大人の背丈ほどの大きな絵がかかっていた。そこにはティモシーが 見たことのない風景が描かれている。遠く離れたどこかに海と呼ばれる地平線の見えない 湖があるらしい。その風景画は優しい光が降りそそぐ穏やかな海を描いたものようだ。け れど完成していない。色が薄く下書きの線が残っている。完成したらさぞ素晴らしいもの になるだろう。もしかしたらほかにまだ会っていない人がいるのだろうか? これを描い ている人間が。 屋敷をまわっていると奇妙な感覚に捕らわれてしまった。この感じは以前に経験したこ とがある。そうこれは生まれて初めてサーカスを見たときのような……。 村での生活は単調で娯楽が少ない。だから突然、賑やかな音楽とともに村の広場へサー カスがやってきたときには皆、大喜びした。村中の人が集まった。もちろんティモシーの 家族も見に行った。あっという間に立てられた大きなテントの中ででぎゅうぎゅうになっ て大人も子供も歓声をあげた。鼓笛隊によるファンファーレが鳴り響き、太鼓腹の団長は 天井を向いた立派な鼻髭を引っ張り、にこやかにサーカスの始まりを宣言した。 火を吹く双子の巨人、二人の口から吹き出された炎はドラゴンと騎士となり空中で戦っ た。ドラゴンの胸に騎士の剣が突き刺さったところで双子は炎を吸い込んだ。ひとりは喜 びひとりは悔しがりながら舞台裾に引っ込んだ。すらりとした足が長くきれいな踊り子達 のダンス、これには男性客が身を乗り出して見つめた。大ヘビを体中に巻きつけ微笑む半 眼の美女。長いドレスで足が見えない。前に座るネズミに似た客を見てニヤッと笑い、二 つに割れた舌をチロッと出した。 一見どこにでもいるような普通の男がおどおどとしながら舞台に現れた。そして天井に 吊り下げられた作り物の満月を見ると突然吠えながら着ている服を引き裂き、毛むくじゃ らの狼男に変身し暴れだした。客席に下りようとしたところを危うく取り押さえられ檻に 入れられ消えた。 次に青い布で覆われた大きな物体が運び込まれた。布を取ると巨大な丸い水槽が現れ、 立派で宝石のようにきらきら光るサファイアブルーの鱗の尻尾をもった美しい人魚が水中 庭園の中をゆったりと宙返りをしながら優雅に泳いでいる。水の中から観客に手を振ると にっこりと微笑み皆を魅了した。すべてがきらびやかに輝いて、幻のようだった。 最後にまた団長が現れ、派手で虹色にピカピカ光る上着のポケットから、鳩やウサギ、 見たこともないような美しい尻尾や冠や羽を持つ鳥や蝶々、ポケットに入るはずのないあ りとあらゆるものを取り出した。すべての物を出しつくすと、上着を脱ぎ大きく振った。 すると今度はありえないほど小さな人がたくさん現れ、観客の中に散らばり、髪や髭をひ っぱたり背中に登ったり上着の中にもぐったりといたずらを始めた。誰もがあっけにとら れ驚くばかり。大喜びして涙を流す者までいた。最後に団長は奇声とともに上着を天井に 届けとばかりに高く放り投げた。上空で上着がぱっと消えたかと思うとあたり一面に紙ふ ぶきや色とりどりの花びらが舞い、テントは大きな歓声やため息であふれた。それがおし まいの合図だった。 ティモシーは、舞台に釘付けでマチルダが途中でいなくなったのに気づかなかった。だ が、戻ってきたマチルダが舞台を見る目はすっかり冷め切っていた。 すべてが終わったあと、興奮して真っ赤になっているティモシーをマチルダはこっそり テントの裏手に連れて行った。 そこには「あの新入りはどこに行った!」と怒鳴る団長がいた。さっきの愛想はひとか けらもない。 その横を見るとさっきの狼男が上半身裸でお茶を飲みながら、水槽から身を乗り出した ――こちらも上半身裸だったが胸をちゃんと白い貝殻で隠している――人魚と話をしてい た。その横にはさっき見た輝く人魚の尻尾が干してあった。化粧を落とした人魚はちょっ とくたびれていてとても平凡な顔をしている。 突然、「ここで何をしている! ここはお前達のくるところではない!」ふたりは団長 に見つかり背中を掴み上げられ外に放り出された。ティモシー追い出される前に後ろを振 り返って見た。狼男が大きな牙を見せてニヤッと笑い、持っていたカップをあげて挨拶し てくれた。さっきまでその腕はつるんとしていたのにいつのまにか長く太い毛に覆われて いる。それに人魚は……やはり尻尾があった。人間の足ほどの大きさで色もとても地味だ から目立たたずわからなかったのだ。 家に帰るとティモシーはさっき見たものを姉に話した。 「ばかね、あんたは見間違えたのよ。あの人魚はただの人間、あの狼男だって人間が毛皮 を着ているだけ」鼻にもかけてもらえなかった。 「でも、僕見たんだよ。じゃあ、あの団長が出したものは?」 「あんたも見たでしょ。あの団長の大きなお腹を、あの中に全部隠してあるのよ」 「でもあんな小さな人はありえない」ティモシーはくいさがった。 「あれはきっとねずみに顔のついた服を着せているのよ。でなきゃあんなにすばしっこく 動けるはずがない」 いくら言ってもマチルダはすべてに説明をつけるだろう。ティモシーは言い出したら絶 対聞かない姉の性格を知っているのでそれ以上話をするのをやめた。 次の日、ティモシーはやはり気になってこっそり家を抜けだしサーカスのところまで行 ってみた。ところがそこにはなんのあとかたもなくいつもの広場に戻っていた。近くのベ ンチに座っているおじいさんに尋ねると、サーカスの一団はやってきたときと同じように あっという間に突然どこかに消えてしまったそうだ。 ティモシーががっかりして隣に座るとおじいさんが話しかけてきた。 「お前さんも何か盗られたのかい?」ティモシーがびっくりしていると「おや、聞いてい ないんだね。あのあと、皆、家に帰ったらお財布やバックがなくなっているのに気づいた そうだよ。あまりに興奮していたんで気づいたときは後の祭り、サーカスはもういなかっ たってわけさ。」おじいさんは楽しそうに笑った。 「おじいさんも何か盗られたの?」ティモシーは訊いてみた。 「わしは何も持っていないからな」今度は少し笑った。 あのとき、とても小さな人達はティモシーの家族のところにもやってきた。そんなこと は知らずただ興奮して喜んでいた。どのみちティモシーの家族にも盗られるものは何もな かった。 あのときのことはどこまでが本当でどこまでが嘘なのかいまでもまったくわからない。 でもいまこの館で起きていることはすべて本当だとティモシーにはわかっている。 気がつくと昼近くになっていた。そういえば朝のスープが残り少なかった。何もしない でただ食べるのは気が引ける。エマよりも先にスープを作ろうと思い厨房に急いだが、先 を越されてしまっていた。かまどには新しいスープの鍋がすでに火にかけられている。エ マの姿をさがしていると、開いている扉の外から何か叩くような音が聞こえてきた。外に 出てみると井戸の前に血だらけの包丁を持った大ガエルがウサギをさばいていた。丁寧に 皮をはぎ内臓を取り出し肉を小さく切りわけるさまを、ティモシーは口をあんぐり開けて 見ていた。 大ガエルはティモシーに気がつくと包丁を胸元に突きつけた。ティモシーが思わずあと ずさると「ケロッ」と鳴いて包丁の向きを変え柄のほうを差し出してきた。どうやらかわ れということらしい。からかわれたのか? ティモシーを残して大ガエルは厨房に戻った。 まさかあいつが料理をしているとは思わなかった。でも考えてみれば、屋敷のことはよ く知っているようだしいつも忙しそうだ。血を見るのは好きではなかったがそんなわがま まは言えない。ティモシーは残りの肉をこま切れにした。 中に入ると大ガエルは鍋のそばに椅子を寄せその上に乗っていた。ティモシーが切った 肉を入れると椅子の上に後ろ足で立ち手馴れたようすでかき混ぜた。 「いつも君が作っていたんだ。料理が上手なんだね。とてもおいしいよ。」 大ガエルはなんだか照れていた。 そのとき、大ガエルの手やお腹が赤くなっているのに気がついた。「君は火傷している じゃない! 見せてごらん」大ガエルが嫌がるのもかまわず無理やり椅子から抱え上げた。 「どこに薬があるか知らない?」 大ガえるはティモシーの腕の中で「ケロッ」と鳴くと首を振った。 とりあえず外に出てエマをさがした。 館は小高い丘にあり村を見下ろすように立っている。敷地は広く裏手には小川が横切っ ていた。小川のそばには果樹園があり、桃や無花果、林檎や栗などが植えてあるが、手を かける者のいないいまでは貧相な実がわずかばかりなるだけだった。その先に大きな池が あり、こんもりとした森につながっている。館の近くには厩があり、誰かが持って行くの を忘れたかのように鞍がひとつ転がっていた。他にも畑や家畜小屋、番小屋、使用人の住 居などいろいろある。以前は立派な屋敷だったのだろうが、すべてが朽ち果てている。そ れでもなんとかその姿を維持しようと必死に踏みとどまっているようだった。 エマはよく外にいる。あちこちで下を向いたり上を見上げたり、またあるときは長い間、 果樹園の桃の木を見つめていた。いったい何をしているのかわからないが、近づくと嫌が るので遠巻きに見ていた。でもいまはそれどころでない。エマは小川のそばにいた。 ティモシーが近づくとやはり迷惑そうな顔をしたが、わけを話すと畑の一角へと連れて 行かれた。 「ここに薬草がある」エマは生い茂る草むらの中に入り、目的の葉っぱを摘んできた。よ く見ると雑草のに混ざってティモシーでも知っている薬草がいくつかあった。 ティモシーはできるだけ優しく大ガエルを地面に降ろすと、薬草を揉んでその汁をつけ ようとするエマを見ていた。ところが大ガエルが何かを訴えるようにエマを見つめ「ケロ ッ」と鳴いた。するとエマはふと気づきティモシーに「あっちをお向き、レディーに失礼 だろ」と言った。ティモシーは思いもよらぬことに驚いた。人間だったとは思っていたが その性別までは考えなかった。 エマと別れるとティモシーは大ガエルと一緒に並んで館に戻った。もう一度抱えようと も思ったのだが、大ガエルはさっさと歩きだしたのでついて行った。 「君は女の子だったんだ。ごめんね、知らなかったよ」道すがら、ティモシーは話しかけ た。大ガエルはなんだか気まずそうな感じだった。 「君の名前はなんていうの? と言っても話せないし……よかったら僕がとりあえずの名 前をつけていい?」この問いに大ガエルははっきりと首を振った。 「しかたない、君が嫌なら。でも困ったな、君をなんと呼ぼう? いつか君の名前教えて もらえるのかな? それからときどきはスープを僕が作るよ。君ほど上手ではないけど君 に教えてもらうさ」 すると大ガエルは思いっきりジャンプしてティモシーのほっぺたにキスをするとそのま ま行ってしまった。突然のことに驚いたが、大ガエルのキスはひんやりとして優しかった。 ティモシーは夜が怖かった。人気のないがらんとした館はなおさら足音が響いた。月明 かりで真っ暗にはならなくても、その光が織りなす影はいまにも踊りだしそうで不気味だ し、置物達が動き出すかも知れない。薄暗くなり始めると大ガエルからわけてもらったロ ウソクにかまどの火をつけ、そっと部屋まで運んだ。そしてそのまま眠るのだが、ロウソ クはなぜか途中で消えてしまう。夜中、目が覚めても布団を頭からかぶりぎゅっと目を閉 じ、ふたたび眠りに落ちるのをひたすら待った。 ティモシーは眠る前にフィルに話しかけてみた。 「フィルいるんだろ、大丈夫かい?」ティモシーはフィルが何かに悩み悲しんでいるのを 感じていた。 『ああ、ずっと考えているんだ』 「何を?」 しばらく間があった。『エマは幸せそうに見えるかい?』 ティモシーが答えられないでいるとそれきりになった。 エマは感情を表に出さなかったし、何を考えているかもわからない。あまり話もしない し、ティモシーを避けているようだった。でも、ティモシーの中のフィルはいつもエマを さがしている。エマはいつもどこか遠くを見ているようだった。そんなことを考えている と…… 突然、ティモシーは自分の家のテーブルに両親と座っていた。村で暮らしているはずの マチルダまでいる。テーブルの上にはスープのはいった大きな鍋が置いてある。 なんてことだ! 父親はその左肩にイノシシを乗せ、牙を肩に食い込ませている。 「父さん、イノシシが……」ティモシーが叫ぶと、父親は平然として「どうってことない さ」と言って笑った。その隣で母親が「大丈夫だっていったでしょ」と言ってやはり笑っ た。 そのときスープの中で人魚が跳ねた。「人魚だ!」ティモシーがまたもや叫ぶと「ただ の魚よ」マチルダが言った。 ふと見るとアルが大ガエルをひざに乗せやさしく頭をなでている。大ガエルはとてもう れしそうにしている。でも見るみるうちにアルの顔や身体にすごい勢いで毛が生えてきた かと思うと恐ろしい狼男になった。マチルダが飛びついて「もうまったく暑苦しいわね、 さっさと脱ぎなさいよ」と言いながらその毛皮を引き剥がそうとする。狼男のひざに乗っ た大ガエルはマチルダの髪の毛を引っ張って応戦した。 ポンッという音とともに、テーブルの上に小さな団長が現れその大きなお腹をぱっくり 開いた。すると中から小さなカエルの置物が次々と飛び出してきた。 マチルダが「ほら見てごらん。わたしの言ったとおりでしょ」とわめく。 小さなカエルの置物はテーブルの上でカタカタ音をたてながら踊りだし、人魚がその立 派な尻尾をきらきら光らせながら鍋の中で飛び跳ねた。ティモシーがあっけに取られてい ると、どこからか現れたアマガエルが肩にぴょんと乗り「ケロッ」と鳴いた。 すると父親が「ゲロッ」と鳴いた。 肩のイノシシも牙を刺したまま「ゲロッ」と鳴いた。 母親が「ゲロッ」と鳴いた。 マチルダが「ゲロッ」と鳴いた。 狼男と大ガエルが一緒に「ゲロッ」と鳴いた。 いっせいに人魚も団長も置物達も鳴き出した。 気がつくと皆、カエルになって飛び跳ねていた。「ゲロッ、ゲロッ、ゲロッ」部屋中を 飛び回り皆で大合唱している。ティモシーだけが目を丸くして立ちすくんでいた。 そのとき突然エマが現れ、呆れはてた顔で両手を腰にあてると「お黙り!」と怒鳴った。 ティモシーははっと眼が覚めた。夢だった。思わず頭を振りなまなましい感覚を振り落 とそうとした。そして、ため息をつくとぐったりと疲れた気分で厨房に降りて行った。 厨房にはアルがいた。大ガエルと向かい合わせで座っている。金縛りにあっているよう だった。 「何にらめっこしてるの?」ティモシーはアルに言った。 「こいつが僕を睨みつけるんだよ。何も悪いことしてないのに」ティモシーがきてほっと していた。 「どこかに行ってしまったのかと思ったよ」 「寂しかった?」うれしそうだった。「ちょっと村まで降りていたんだよ」 テーブルの上にはおいしそうなお菓子やパン、ワインが並んでいた。大ガエルの前にも ちゃんと甘そうなパイが取り分けて置いてある。 意外な返事。「村へ? 何しに行ったの?」言ったものの考えてみればティモシーはア ルのことをよく知らない。 「野暮用だよ。こう見えても僕は大人の男なんだよ。」アルは澄まして言った。 突然、大ガエルが大きな音をたてて椅子から飛び降り、どすどすと出て行った。手付か ずのお菓子が残った。 大ガエルがいなくなるとティモシーはアルに訊いてみた。「彼女が女の子だって知って いた?」 「誰が?」 「大ガエルだよ」 「考えてみたことない。でもどうして女の子だとわかるの? おばさんかも知れないじゃ ないか」アルは興味なさそうに言った。 「いや、絶対女の子だよ」ティモシーは火傷の話をした。 「ああ、それはかわいそうだったね」アルはおざなりに言った。 「彼女がスープを作っているなんて思わなかった。てっきりエマだと思ってた」 「あいつはなんでもできるんだ。いつだったかな、僕のこの素敵な衣装のボンボンがひと つ取れちゃってね、僕は全然気にならなかったが、あいつが針と糸を持って追い駆けてく るんだ。あんまりしつこいんで脱いで渡すとしばらく服は戻ってこなかった。しかたなく 僕はシーツを巻いて過ごす羽目になったよ。やっと戻ってきたと思ったら破れていたとこ が全部ふせてあって、洗濯までしてあった。おせっかいな奴だよ」 よく見るとあちこちと丁寧に繕った痕がある。 「前までスープはエマが作っていたんだけど、お世辞にもおいしいとは言えなかったよ。 気の抜けた味だった。あいつがきて作るようになってから助かったよ。なんせここではス ープは命の綱だからね」 「君は何をしてるの?」考えてみるとアルは何をしているのだろう。 「まあ、いろいろとね」アルは曖昧に答えた。 なんだかおかしい。ここにはやることがいっぱいあるように見えるが、アルが何かをす るようには見えない。ティモシーの考えを見透かしたようにアルはつけ加えた。 「ときどき魚を釣ってくる。君も食べただろ。向こうの池に結構魚がいるんだよ。いつも 罠にウサギがかかるとは限らないからね」 アルは、どうやら見かけどおりのお気楽な人間らしい。それでもまともに話せるアルが 戻ってきたのはうれしかった。 「そうそう、鍋を火から降ろしてくれる? 焦げついたら困っちゃうからね」アルはティ モシーに頼んだ。 「なぜ火を消さないの?」 そのとき、エマが入ってきた。いつものように対のカエルの置物を動かすとアルに言っ た。 「色男、帰ってきたんだね」 「おはよう、エマ。今日もうるわしいね」 エマは鼻をフンと鳴らし、ティモシーをちらりと見ると無視した。 テーブルの上のお菓子を見ると「村はどうだった?」と訊いた。 「相変わらず平和なもんだったよ。花は咲き乱れ、子供達は楽しそうに走り回り、村人は 真面目に働いて、恋人達は木陰でキスをして……」 エマはもう一度大きく鼻を鳴らした。 アルは澄まして話を変えた。「そういえば、謎の盗賊団はまだ捕まってはいなかったよ。 でも時間の問題だろうと村の人々は話していた。領主は誠実な人だし、特に跡継ぎの息子 は賢く立派で村人から信頼されているから、すぐに解決すると思うよ」 領主の噂はティモシーも聞いていた。近頃はあまり外に出ず、もっぱら息子がかわりを 勤めているということだ。その息子はとても美しいが、その姿に似合わずとても真面目で 上辺にとらわれずに人を見抜く目を持っているらしい。 「もう少しの我慢だね」誰にともなくそう言うとエマは何も食べずに出て行った。 「緊張するよ」ティモシーはアルにぼやいた。 「なぜだい? ただの偏屈なおばあさんだよ」 「僕を嫌がっているのかな? 避けられているような気がするんだ」ティモシーはなんと なく感じていることをアルにぶつけてみた。 「そう? まあ、君は特殊だからね」 「僕のどこが特殊なの?」それを言うならあきらかにアルのほうがおかしい。道化師の格 好をしている小人なんだから。 「扉のカエルは中に入れる人を選ぶ。ちゃんとした願いを持たずに入ったのは君だけだ。 それとも何か隠しているのかな?」アルは目を細めた。 「そんな扉だとは知らなかった。僕はただ入りたかったんだ。」本当のことだ。 「ところで」アルは突然話を変える。「僕がいない間にお客さんがきたようだね。広間に 新しい置物があったよ」 「どんなの?」ティモシーはまだ見てなかった。 「カエルだよ」アルはげんなりして言った。 きのう見たあのへんてこな夢は番ガエルが大騒ぎしていたからだ。全然気がつかなかっ た。誰がきたんだろう。気にはなったが目が覚めなくてよかったかも知れないとも思った。 真夜中にエマと得体の知れない誰かが……想像するだけで怖かった。 「大丈夫かい?」気がつくとアルがその恐ろしい顔でテイモシーを覗きこんでいた。 「ああ、カエルばかりだね」とんちんかんな答えだった。「皆、どんな人だったんだろ う?」 「ほとんどはカエルに変わっているけどそうでないものもあるんだよ」 「そうなの?」ティモシーは意外だった。 「たとえば、このかまどの火」アルはかまどのそばに近づくとその青白い炎に話しかけた。 「やあ、今日も素敵な火だね、いつもスープを温めてくれてありがとう」それからティモ シーのほうを向いた。 「この火は消したくても消せない、もとは人間だったんだ」 TOP BACK NEXT HOME Chap.2