3 かまどの火 ひとりの金貸しの男がいた。 男がまだ幼い頃、貧乏な両親が相次いで死んでしまった。だれも身寄りがいない少年は ほかに面倒を見てくれる人もなく、誰にも頼らずひとりで生きた。食べるために、人の嫌 がる仕事でも、危険なことでもなんでもやった。だが人々は汚い仕事をさせても、汚れて くさくなった少年がそばにくるのを嫌がった。笑いながらおいしい物を食べる人々の横で 泥まみれになりながら、自分を見下す連中をいつか見返してやると歯を食いしばって頑張 った。少しずつお金も貯まっていったが、下働きではたかが知れている。少年はしだいに 悪い仕事にはまっていった。とはいえ、なんとかこそ泥や万引き、スリのたぐいでとどま り、よりひどい悪事には手を出さず、その要領のよさで捕まらずにすんでいた。 領主に長男が誕生した。その日はちょうど、月に一度の市が立つ日と重なり近隣の村か らもおおぜいの人々が集まり、村はお祝いでお祭り騒ぎとなった。少年も違う意味でとて も喜んだ。広場は屋台や出店がならびごった返しとなる。露店ではおいしそうなにおいを ふりまきながら肉が焼かれ、きれいに飾られた甘いお菓子が誘うように並べられ、ご婦人 達の喜びそうな飾り物や小物から斧やなた、鍋、釜、馬や豚、ヤギやニワトリにいたるま でなんでも揃っていた。商人達は財布のゆるんだお客の前に大忙しだった。さらに広場の 中央では領主からワインの大樽が振舞われ、人々は大声で乾杯を叫び、その気前の良さを 褒めたたえていた。 酔っ払い大声で浮かれ騒ぐ人々はのなかを少年は泳ぎまわり、財布や金目になりそうな ものを抜け目なくこっそりとかすめ取った。 果物売りの屋台の店主が横を向き、客と話しこんでいるすきに少年はよく熟れた林檎を ひとつ盗った。と、そのときシャツの裾を引っ張られた。しまった! 恐る恐る後ろをふ りかえると小さな女の子が少年のシャツをつかんでいる。 少年はほっとしたものの、面倒はごめんだと思いその手を振り払おうとしたが女の子は 決して離そうとはしない。 しかたなく「どうしたんだ?」と訊くと「家がわからないの」女の子は泣きべそをかい た。 やっぱり迷子だ。少年は近くの大人に押しつけようとしたが、女の子は少年から離れよ うとしない。 どうして俺なんだ! 振って湧いた災難にまったくうんざりしてしまったが放ってはお けず観念した。親なり家なりを見つけ、さっさと厄介払いするんだ。 女の子の手を引っ張りお菓子売りの屋台に行くと、売り子が目を離した隙に甘いクリー ムの入ったパイをひとつ盗み、広場の片隅に行き並んで座った。 女の子は貰ったパイを食べ終わるとやっと泣きやみ、少年を見上げにっこり笑った。な んだか妙な気持ちになったが、それは少年にはわからない感情だった。 落ち着いて話をきこうとしたがさっぱり要領をえない。やれやれ。少年は女の子を立た せると服の汚れを払ってやった。着ている服は質素だがよい布地だ。裕福な家の子なのか も知れない。顔の汚れを自分のシャツで拭いてやるとさっきまで髪についていた赤いリボ ンが取れているのに気がついた。女の子と手をつなぎ広場に戻ると、小物屋に行き赤いリ ボンをさがし、ポケットからお金を出して払った。少年が人のためにお金を使うのは生ま れて初めてだった。 髪に結んでやると女の子は小さな声で恥ずかしそうに笑い「ありがとう」と少年の手を ぎゅっと握った。思わず笑い返している自分に気づき少年は戸惑いを覚えた。 それからしばらく広場の中をぐるぐる回りながら、女の子を知っている人がいないかと 尋ねてまわっていると、突然、青ざめた女が慌てて近づいてきた。 「お嬢様を放して!」その女はその一言を投げつけると薄汚れた少年を睨みつけ女の子を 奪いさって行った。あっけに取られた少年はしだいにむかむかしてきた。あたりの物をけ とばしながら村のはずれの川が流れているところまで行くと着ているものを全部脱ぎ川に 入り身体をごしごし洗い、服を洗濯した。川辺に裸のまま寝転がり身体と服を乾かしなが ら心を静めようとした。 まるで人さらいのように扱われた。少年は礼を言われるべきであって、あんな目で見ら れる筋合いはない。まるで大切なお嬢様とやらが汚れるといわんばかりの勢いでひったく って行った。だいたいあの子はもう十分汚れていたではないか! 気持ちはなかなかおさ まらなかった。煮えたぎる思いのまま「きっと見返してやる」そう心に深く誓った。それ から少年はますますせっせと仕事に励んだ。もちろん、まっとうな仕事ではない。 それからまもなく女の子と偶然出会った。髪に赤いリボンをつけている。あのときの女 が一緒だ。その日女の子は買い物についてきていたのだった。女の子は少年を見るととて も喜んだが、女のほうはとても同じ気持ちには見えない。それでもこの間の話を女の子か ら聞いていた女は「あのときは悪かったね」そう言って少年に少しばかりのお金を渡した。 少年はその足で川に行くと貰ったお金を投げ捨てた。そしてふたたび身体と服を洗った。 それからもたびたび女の子に出会った。女の子の父親は腕のいい飾り職人で立派な家を 持っていることがわかった。いつも一緒にいる女は病気がちな母親の代わりに女の子の面 倒を見ている女中だった。女中はいつも目が届くように、買い物や用事にはいつも女の子 をつれてまわっていた。女の子は少年に出会うのを楽しみにしていた。少年はというと女 の子に会うたび川に行くのでだんだん清潔になっていく。もともと顔立ちがよく体格もよ かったのでずいぶん見栄えがよくなっていった。 少年は着るものにも気を使うようになり、以前とは見違えるようになっていった。村の はずれに古ぼけた空き家を見つけると、壊れたところを修理しながら住処を作った。そう やってやっと人間らしい環境を整えながら仕事に励みお金を貯めていった。 そして相変わらず女の子は少年を慕っていた。ひとりで出かけられる年になると、少年 をさがした。少年としては迷惑だったのだが、女中の付きそいなしにふたりで会うのは結 構楽しかった。素直で純真な女の子にとって少年はすさんだ心の持ち主ではなくとても優 しい人だった。だから少年もそう振舞った。 穏やかともいえる日々を送りながら少年は青年を過ぎ一人前の男となり、女の子は少女 から娘になった。 その間、娘の母親は亡くなり、女中が父親の後妻となり弟が生まれ、多少の状況は変わ ったが、ふたりの関係は変わらなかった。 もちろん娘は男がまっとうな仕事をしていないことをうすうす気づいていたが、男が話 したがらないのであえて追求することはなかった。ただそれとなく父親の仕事を手伝わな いかと持ちかけたりしていた。 実際、男もそろそろ何か自分で仕事を始めようと思っていた。いつまでもいまの生活を 続けようとは思っていない。とはいえいまさら人に使われるのは真っ平だ。 こつこつ貯めたお金も結構な額になっていた。何か商売を始めたい、でもせっかく貯め たお金を物に代えるのは嫌だ。そこで金貸しになった。 その仕事を男はとても楽しんだ。高い利子で金を貸し、返せないものには情け容赦なく すべてを奪った。あとのことなど知ったことではない。 もともと抜け目なく計算高い男だったので商売はうまくいき、男は新しい家を建て立派 な身なりの紳士として裕福な人々の仲間入りをした。陰でなんと言われようと金はその口 を塞ぐことができる。 いままで見向きもしなかった人々が手の平を返したように男の機嫌を取るの心の底から 楽しんだ。 娘は変わって行く男を悲しい思いで見ていたが、男に対する気持ちは変わらなかった。 やがて男と娘は婚約した。娘はとても喜んだ。娘はいつも静かに男のそばにいて見守って いた。男はそれが当たり前のように思うようになり、自然の成り行きであった。 仕事に没頭し世間に疎い娘の父親は相手がただ裕福なのに満足し、継母になったもと女 中はまるで男を信用していなかったが、娘の気持ちを知っていたのでしぶしぶ祝福した。 すべてが順調だった。だが、お金は男の望みを叶えたが、心を安らかにはしなかった。 ふと、男のなかに暗い影がさしだした。――これでいいのか?―― いまの男には欲し いものはなんでも手に入る。――あの娘でいいのか?―― 娘は何も言わないが、男のや っていることをよく思っていないのがよくわかる。昔からそうだった。娘は何もかも知っ ていながら決して批判を口にはしない。けれど、その瞳はいつもすべてを語っている。 男はだんだん娘が疎ましくなってきた。娘は消してしまいたい惨めな過去を一番よく知 っている。娘が決して失わない純真さや素直さが男には重荷になってきた。いまの男のま わりにはもっときれいで軽い女がいくらでもいる。そのほうがもっと楽しく生きていける のでは……。 娘は男が冷たくなっていくのを感じていた。男が世間ではよく思われてないのはわかっ ている。でも、娘には優しかった。心の中にはもっと温かいものがあるはず、そう信じて いた。 そんな中、事件は起こった。 いつものように遅くまで仕事に励む娘の父親の前に、濡れたように黒く輝くマントを身 につけ、大きな水晶の飾りのついた黒いターバンをかぶった年配の男が現れた。ターバン についた水晶はその澄んだ光で、男のまわりを明るく照らしていた。あたりはもう薄暗く なり、丁稚達は帰った後だった。 「ごきげんよう。わたしは旅の者で我が故郷に帰る途中なのだが、たまたまおぬしの噂を 聞いた。とても腕のよい飾り職人だそうだが?」尖ってはいるが端正な顔立ちといえない ことはない。ただ、耳障りな甲高い声をしていた。 突然現れた奇妙な男に父親は驚いたが、褒められて悪い気はしない。もちろんそうだと 答えた。 「ひとつお願いがある。故郷でわしの帰りを待っている愛する妻に土産を持ち帰ろうとし ておるのだが、ちょっとした不注意で壊してしまった」黒い男はそう言うとマントの下か ら宝石をはめこんだ金の歪んだ王冠を取り出した。「これを修理して欲しい。ちょっと急 いでおるんじゃ。我が妻がわしの帰りを首を長くして待っておるんでな」それからちょっ と間を置くと「だが、本当はもっと素晴らしいものを贈りたい。おぬしは余分な宝石を持 っておらぬか?」と続けた。 確かに王冠を飾る宝石の数は少なかった。正面に大きいルビーがひとつ、その両横に小 さなガーネットがひとつずつ並んでいるだけだった。父親は客から預かっている宝石をい くつか持っていた。だがいくら世間知らずの職人とはいえ、見ず知らずの男に見せるわけ にはいけない。 黒い男は見透かしたようにマントの中に手を入れると取り出した袋から大量の金貨を父 親の前に積み上げた。「うまく出来上がればこれの倍の金貨を出そう」 父親は頭の中で考えた。いまある宝石で頼まれた物は後回しにできる仕事だ。このお金 でもっといいものを買いなおせばお客も文句を言わないだろう。父親は仕事を引き受けた。 「三日後に取りにくる」黒い男は闇に溶けるように静かに消えた。 考えてみればおかしな話だ、あのような立派な男が供も連れずにひとりでくるなんて。 まあ、何かわけがあるのだろう。父親はあまり深く考える性質ではなかった。 父親はさらに夜遅くまで働いた。職人の家族は父親が仕事に没頭するのはいつものこと で、家庭で仕事の話はしないので気にとめることもなかった。飾り職人は宝石やお金、大 事なものをすべていつも身につけていた。寝るときも身体から放すことはない。もちろん 頼まれた王冠もきちんと箱に入れしっかりと胸に抱いて寝た。 三日後の夜、目を真っ赤にした父親の前に約束どおり黒い男が現れた。飾り職人は誇ら しげに箱から王冠を出すとよく見えるように黒い男の前に差し出した。 黒い男は王冠を手に取ると満足そうにうなずいた。そして突然ニヤッと笑うとマントを 大きく広げ、目を丸くした飾り職人を包み込んで闇の中に消えて行った。それきり飾り職 人は戻らなかった。 何も知らない娘達は途方にくれた。父親が消えてしまった。その噂が広がると宝石を預 けていた客達がどっと押し寄せてきた。だが、父親が消えたということはすべてが消えた ということだ。こうして娘はすべてを失っただけでなく、大きな借金まで抱えてしまった。 金貸しの男は娘をなぐさめた。本当はほとんど面識のない父親などどうでもよかった。 なぐさめながら考えていた。娘はもう何も持っていない。それどころか借金まで抱えてい る。いまや娘はもう男にとって厄介な荷物にすぎない。 まもなく男は婚約を解消した。娘は何も言わなかった。 男は仕事に没頭し、ますますその財産を増やしていった。 ある寒い夜、いつものように書斎で金貨を数えていると娘の継母が訪れてきた。継母は しばらく見ないうちにすっかり老け込んでいた。そして、男に娘が死んだことを告げると 小さな箱を押しつけて帰った。 男は部屋に戻ると箱を開けた。そこには色の褪せた小さな赤いリボンが入っていた。 男を取り巻く時間が凍った。ふと我に返ると、身体が震えているのに気がついた。――寒 い―― 暖炉に新しい薪をくべたが、温まらない。狂ったように次々と薪を投げ入れたが 震えはとまらなかった。 男は凍えた指ですべての金貨を袋に詰め娘の家へと走った。小さなあばら家の扉を叩く と継母が出てきた。横にいる貧しい身なりのやせっぽちな男の子が言った。「誰?」 驚く継母に無理やり袋を押しつけると、男はその足で丘の上にある魔女の館に向かった。 「エマは男をかまどの火に変えた、温かくなるように。でもいつも震えているんだ。なか なか温まらないようだね」アルは言った。 炎はいつも震えている。ティモシーは思った。 「でもとても役にたってくれている。いつも感謝しているよ」アルが青白いかまどの火に 向かって言うと、炎は小さくなった。 ティモシーはふと思った。かまどの火は褒められたいなんてこれっぽっちも思っていな いのでは?本当に必要としているのは、大声でののしられ、責められ、嘲りの言葉を浴び せられることなのでは……。だとしてもティモシーにはそれができない。 「マチルダがいたらいいのにね」思わずつぶやいた。 「何か言った?」ティモシーが首を振るとアルは続けた。「気にすることはない。彼はそ の気になればいつでももとの姿に戻れるんだよ」 テイモシーは耳を疑った。「どういう意味?」 「つまり、彼は自分が十分に温まったと思い、満足すればいいんだ。かけられたまじない は解ける。判断するのは本人自身、だから彼はいつでももとの姿に戻れるんだよ。エマの まじないをかけられた人ははそれを解く方法も知っている。ここにいる人々は皆、望んで ここにいるんだよ」 ティモシーは驚いきのあまりしばらく口がきけなかった。やっと出た言葉は「なぜ?」 「エマが教えてくれるからだよ」アルが答える。 「だからなぜ?」 「エマは変わっているんだよ」 そのとき後ろでカタッと小さな音がした。 「また、あの子達が動いてる。まったく困ったもんだよ」アルが呆れた顔をした。 「あの子達って?」 「エマがいつも動かしているカエルだよ」 ティモシーはいつも不思議に思っていた。エマがいつも入ってくる扉の壁に備えつけら れた飾り棚には一対のカエルの置物がある。エマは厨房に入るたびにその置物の向きを変 えていた。絶対にさわるなと念を押されていたので、そばにも行かないようにしていた。 噛みつかれるかも知れない。この館にあるものはすべて怖かった。 「よく見てごらん、片方のカエルに羽根があるだろう。彼女は大ガラスの娘なんだよ」 近づいてよく見ると確かに右側のカエルには背中に黒い羽根があった。だけど女の子と まではわからない。 「なぜ、動いちゃいけないの?」 「なぜ? なぜ? なぜ? 君の頭の中には小さな子供のように疑問符がいっぱい詰まっ ているんだね」アルは笑いながら言った。 ティモシーは恥ずかしさで赤くなり部屋を出て行こうかと思ったが、好奇心のほうがま さっていた。「僕はここのことは何も知らないんだ。しかたないだろ!」 「ちょっとからかってみただけだよ。そうかっかしないで」アルは笑っている。 「このまじないはふたりがキスしたときに解ける。だからそうならないようにエマはいつ もふたりが向き合わないように変えているんだよ。幸いこのふたりは少しづつしか動けな い、だから助かっているんだ」 「でも、誰でも好きなときにもとに戻れるって言ったじゃない」 「確かにそう言った。でもこのふたりはまだ駄目なんだ。ふたりの命がかかっているんだ よ。なのにこのふたりときたらまったく……」 TOP BACK NEXT HOME Chap.3