4  大ガラス

 村のはずれの川向こうにある森の真ん中にある、一番大きくて一番高い木の上に大ガラ
スが棲みついた。  
 人間に化ける術を身につけたカラスだった。もとは遠く離れたところに棲んでいたのだ
が、食べるものがなくなり新しい棲み家をさがしていたところ、この森を見つけた。この
森には村とその先にある大きな町に続く道があり、旅人や行商人の主要な通り道だった。
 大ガラスはまず木の上に快適な巣を作った。それは木の枝や葉はもちろん、木材やレン
ガ、村に干してあった洗濯物や敷物、毛布、ありとあらゆるものを集め床や壁を作り、雨
に濡れないように屋根まである立派なものだった。巣が出来上がると隠していた宝物を運
んだ。大ガラスきれいなものや光るものが大好きだった。それも本物の宝石や金貨だけ、
ガラス玉や偽物は許せなかった。
 その中でも大切にしている大きな水晶のついたターバンを大事に置くと、次に必要なも
のを考えた。餌と身の回りの世話をさせるもの、このふたつはどちらも人間を指していた。
 新しい生活を始める準備が整うと次の行動に移った。それらはすべて、用心深くしなく
てはいけない。以前棲んでいた森では手当たり次第に狩りをしたので、人間達は怯えてし
まいすっかりいなくなってしまった。最初から巣を作り直すのは大変だし、今度はできる
だけ長く棲みたかったので、慎重に相手を選んで襲った。近くに住む村人はできるだけ避
け、旅人や外からくる行商人を狙う。条件にあった人間を見つけると誰も生かしておかな
かった。  
 お腹が満ち足りると空を高く飛びあたりを偵察し、ときには人間の姿で目立たぬよう村
を歩き噂を盗み聞きし用心は怠らなかった。
 大ガラスはきれい好きだった。仕留めた餌は近くにあるほら穴に運び、そこですべてを
かたづける。決して巣の中に持ち帰らない。生活が落着くと身の回りの世話をする人間が
欲しくなった。誰でもいいというわけではない、そばに置くのだから美しい女、それも輝
く金色の髪を持つ女というのが絶対条件だった。ちょっと足を伸ばし離れた村を回ってみ
たが大ガラスの目に叶うものはいなかった。
 そんなある日、偶然にもぴったりの女が森に迷い込んできた。若く、美しく、そして光
り輝く豊かな金色の長い髪を持っている。大ガラスは当然舞い降りた。突然目の前に現れ
た大ガラスに驚き、恐怖で動けない女をすくいあげると巣に連れ帰った。おびえる女を落
ち着かせるために人間の姿になり、危害を与えないと告げた。女は逃げ場のないことをさ
とり、その言葉を受け入れた。
 女に与えられたのは巣の掃除、宝石や金貨をいつもピカピカに磨きあげる仕事。大ガラ
スは昼間、いつも出かけているので、これらをその間にやっていればよかった。そして暗
くなる前に女の食べ物を持って帰ってくる大ガラスの羽をきれいに整えてやるのだった。
 しだいに女もその生活がそれほど悪くないように思えてきた。大ガラスは夜しかいない
し、慣れてみると巣での暮らしは安全で、快適だった。何よりきれいな宝石に囲まれてい
る、女は宝石が大好きだった。だが、巣にとどまった理由は他にもあった。それは大ガラ
スに初めて会ったとき、その目の中に女の美しさを賞賛する光を見たからだった。

 女とても美しかった。そして自分の美しさを一番よく知っていた。たくさんの男が群が
り、彼女の気を惹こうと必死なのを笑って見ていた。やがて言い寄る男達の中から一番お
金持ちの男を選び結婚した。
 真面目だけが取柄の野暮でさえない男だったが、女はお金さえもっていれば誰でもよか
った。働くことの嫌いな女は家の仕事をすべて使用人にまかせ、一日中鏡を眺めて過ごし
たが、夫の前ではいい妻の役を演じた。人のよい夫は妻を信じ、自分は幸運な男だと感謝
までしていた。
 じきに女には結婚生活が退屈になってきた。女の美しさを褒めたたえる取り巻きもおら
ず、贈り物を競って渡そうとする男達もいない。やがて夫が仕事で留守がちなのをいいこ
とに、男達のもとに戻って行った。
 しばらくは夫にばれないように気を使っていたが、しだいに大胆になっていった。しま
いには夫が帰ってきたときに女はいないことが多くなり、さすがの夫もおかしいと気づき
始めた。妻は見たことのない服や宝石を身につけている。問いただしても結婚前から持っ
ていたとそっけなく言うだけだった。女は自分をさらに美しくするために夫のお金をこっ
そり持ち出した。男達は女をちやほやしたが、女のために金を使ううことはない。女にあ
るのはただの美しさだけで他には何もなかった。  
 ある日、夫はいつものように仕事に行く振りをして家の陰に身を隠した。しばらくする
と、新しいドレスを着た妻が出てきた。気がつかれないように後を追うと、とある家の扉
をノックした。出てきた男はなれなれしい笑みを浮かべ妻を抱き寄せると中に入れた。
 夫はどうやって家に帰ったか覚えていない。気がつくと金庫から箱を取り出していた。
中にはこれから生まれる子供達のために貯めている金が入っている。金庫の隠してある場
所は妻しか知らない。夫は祈るような気持ちで箱を開けた――空っぽだった。
 女が家に帰ると薄暗い居間に幽霊のように青ざめた夫が座っていた。目の前に蓋の開い
た箱がある。夫は何も言わずに立ち上がると女を空箱とともに外に放り出し、扉に固く鍵
をかけた。
 女はののしりながらもすぐに取り巻きの中で一番お金を持っている男のところに行った
が、優しく追い返された。次も、その次も同じだった。言われる言葉はどれも同じ「君は
僕にもったいない」あるいは「僕は君に似合わない」
 女に同情するものはなく、どこにも行くところがなかった。――ろくな男しかいないわ
ね――。女は男達に見切りをつけ自分の価値をわかる男をさがすことにし、大ガラスと出
会った。

 女は大ガラスとの生活にすっかり馴染んだ。大ガラスは女が着飾っているのが好きだと
わかると、きれいな衣装と香水と鏡をねだってみた。大ガラスはそれらを持ってきた。そ
の上、巣の中にいる限りどんな宝石でも身につけることを許した。
 大ガラスにとって女は集めた物のひとつにすぎない、心も頭も空っぽのほうがよく、女
はまさにぴったりだった。
 大ガラスは女が逃げないことがわかると、餌を呼び寄せる囮に使った。女は妖艶に男達
を誘惑し、大ガラスのもとへと連れて行く。女はその役目をうまくこなした。自分の美し
さに男が惹きつけられるのはとても楽しかった。
 大ガラスと女はそれぞれ望むものを手に入れ、満足した日々を送っていた。そんなある
日、女は子供ができたことに気がついた。どうしていいのかわからずにいたが、大ガラス
が何も言わないのでそのままにしておいた。月日が満ち元気な男の子が生まれた。ただ頭
がカラス、身体が人間ではあったが。女はおののいた。大ガラスは生まれたばかりの赤ん
坊をつかむとどこかに連れていった。
 女はほっとして何もなかったように暮らした。しばらくするとまた子供ができているの
に気がついたが、なるようにまかせた。今度は、頭が人間、身体がカラスの男の子だった
が、やはり大ガラスは赤ん坊をどこかへ連れて行った。女は気にもしなかった。
 三度目に子供ができたとき、女はうんざりしてしまったがそのままにするしかなかった。
生まれたのは頭も身体も人間の女の子、ただ、背中に黒い羽が生えているだけだった。大
ガラスはいつものように連れ去ろうとしたが、赤ん坊の髪の毛が光を浴び金色に輝くのを
見て気が変わった。それきり子供はできなかった。
 女は赤ん坊の面倒をまったく見ないどころか名前すらつけなかった。大ガラスもまた存
在を忘れたかのように無関心だったが、幸いにも泣き声を聞きつけた森に住むサルの群れ
が見るに見かねて世話を始めた。大ガラスの一番の好物は人間だが、餌に困るとなんでも
食べることをサルは知っているので、日が暮れる前には消え去った。赤ん坊は人間の言葉
より先にサルの言葉を覚え、持ち前の強さですくすく育った。赤ん坊が大きくなりその存
在を無視するのがむずかしくなってくると、女はサルを追い払い、自分のやっている仕事
をさせたが、大ガラスの世話だけはまかせなかった。 
 子供は大ガラスを嫌い、帰ってくるのを感じると――大ガラスの存在を身体で感じてい
た――寝たふりをしてひたすら避けた。昼間、子供が宝石や金貨を磨いている間、女は手
鏡を見つめ宝石を身につけながら子供に向かって何度も繰り返して言った。自分がいかに
美しいか、どれだけ男達にもてはやされたか。巣の中の生活しか知らない子供にはまるで
わからなかったが、そんなことはどうでもよかった。女は自分が満足すればよいのだから。
 子供は成長するにつれ自然と人間らしい好奇心が芽生えてきた。――なぜ?なぜ?なぜ
?―― 女は何も教えてくれない。大ガラスとは話したこともない。となるとあとはサル
しか残っていない。サル達とは女が追い払ってからしばらく会っていない。
 子供は女が昼寝をしているときや大ガラスと餌の囮として出かけているときにサルをこ
っそり呼び入れるようになった。サルと子供は久しぶりに会えたことをとても喜んだ。サ
ルは賢く、行動範囲も広く、子供にいろいろ教えることができた。大ガラスのこと、人間
のこと、森の先にたくさんの人間が住む村があること、知っていることはなんでも話して
くれたが、嫌っている女のことは何も知らなかった。
 サルの話は面白かったが見たことがないものは理解できない。子供の抱える謎は謎を呼
ぶばかりだった。
 月日がたち、子供は巣での世界しか知らないまま年頃の娘になった。
 その頃になると、森には何か恐ろしいものが出ると言う噂が広がり人々は森を避けるよ
うになっていた。大ガラスは餌を求めて遠くまで出かけ、何日も帰らない日があった。サ
ルが木の実や果実を持ってきてくれたが、人間にはそれではとても足りない。
 お腹が空くと女は横になり動かなかった。娘も女からできるだけ離れ、屋根のない空が
見える場所を選び、寝転んだ。空高く飛んでいる鳥を見上げていると突然飛び起きた。自
分には羽がある!  なんでいままで考えなかったのだろう。
 娘は慎重に行動を起こした。女が深く眠っているのを確かめると、羽を広げ静かに動か
してみた。初めは硬くこわばりぎこちなかったが次第になめらかに動かせるようになった。
次は飛んでみよう。いつしかサルも見物にきていた。まずは地面に降りること。
 巣のへりに立つとゆっくり羽を広げた。深く息を吸うと勇気を出して地上を目指した。
羽は空気を包み込み娘を優しく地上に降ろした。信じられない気持ちで娘は大地を踏みし
めた。サルの群れもすぐに降りてきて一緒に喜んだ。
 しばらくあたりを歩いて、生まれて初めて踏む地面の感触を存分に楽しむと、心残りで
はあったが巣に戻ることにした。娘にはそのままどこかに飛んで行くなんてことは思いつ
きもしなかった。
 上に飛ぶにはよりいっそうの力がいったが、娘は若く羽には力がみなぎっている。なん
の問題もない。
 女がまだ眠っているのを見てほっとするともとの場所に横になったが、興奮はおさまら
なかった。
 いままで大ガラスはどうにかふたりが飢え死にする前に帰ってきたが、この先どうなる
かわからないとずっと不安だった。これでどうにかなるかも。
 それから毎日、女が昼寝をすると下に降り、サルに案内してもらいあたりを探検した。
大ガラスが餌を運んで食べるほら穴を見たときはそのおぞましさにぞっとした。大ガラス
はもう長いことこの森に住んでいたので、そんなほら穴をいくつも持っていた。大小さま
ざまな白骨が山積みにされている穴もあれば、まだ少しは人の形が残っている穴もあった。
いずれにしても二度と近づきたくはなかった。
 ある日、木漏れ日の中で飛びかう蝶の群れに出合った。娘の住む木の上まで蝶は飛んで
こない。時がたつのも忘れその華やかで幻想的な蝶の羽の軽やかな舞に見とれてしまい、
巣に戻るのが遅くなってしまった。
 あせって戻ると女は起きて鏡をのぞいていたが、ちらりと娘を横目で見るとすぐに自分
の世界に戻っていった。
 ほっとして何食わぬ顔して過ごしたが、大ガラスに告げ口されないかと恐ろしかった。
女は何も言わなかった。
 実は女はずいぶん前から娘が外へ出かけているのを知っていた。そしていつもそのまま
戻ってこなければよいと願っていた。娘が目障りになっていた。いつもは寝たふりをする
のだが、その日はなかなか戻らず、寝るのにも飽きてしまった。そんなとき娘は帰ってき
た。女は知らん顔をした。
 女が何も言わないとわかると娘は前々から考えていた計画を実行する決心をした。村ま
で飛んで行こう。娘は興奮した。
 次の日、娘ははちきれんばかりの好奇心で胸をいっぱいにし、黒い羽を思いっきり広げ
ると空高く飛び上がった。どこまでも飛んでいける。娘にはわかっていた。
 村の方向はサルに聞いていた。追い風に乗り、思ったより早く着いた。用心して、まず
空の高くを旋回しながら全体をゆっくり眺めた。たくさんの家とたくさんの人間、女以外
の人間や地面の上にある家を見るのは初めてだった。
 ――素敵!―― 村はとても活気に満ちあふれていた。村が見下ろせる小高い丘の木に
とまり村を注意深く観察した。娘は一日中、木の上で村を眺めて過ごした。
 それから何日もの間、村に近づくこともなくただひたすら飽きることもなく村を見つめ
続けた。そろそろ先に進まねば。だが、娘は不安になっていた。たくさんの人がいる、子
供、老人、男、女、太ったの、痩せたの、背が高いの、低いの、あらゆる種類の人間がい
る。だけどいくらさがしても娘のように羽を持つものはひとりもいない。娘は村の中に入
ってみたかった。村の生活はとても楽しそうに見える。
 巣に戻るとこっそりと女の持っているドレスの中から一番地味なのをさがしハサミで羽
を通す穴を開けた。いま着ている女のお下がりは古びてはいるけど、村の人々の着ている
ものに比べると、とても派手だった。羽はマントに見えるようにたたみ方を工夫した。首
にひもを結べば着ているように見えるはず。髪の毛はスカーフで隠した。靴は持っていな
いのでしかたない。
 準備は整った。娘は村を目指し羽ばたいた。
 村から少し離れたところに降りると、ドレスとスカーフに泥をつけできるだけ色を目立
たなくした。
大丈夫。勇気を振り絞ると村に向かって歩きだした。行くところは決めている。広場のベ
ンチ、まずはそこから始めよう。村にはいくつかの広場があったが、村のほぼ中央にある
一番大きな広場では月に一回、市が立ち多くの人で賑わう。また、様々な催し物やお祭り
はここで開かれるのであった。
 広場の中央にはもとの鮮やかな色の面影を残す古ぼけた大きな動物の像がある。いまで
も乗ったり蹴飛ばさしたりと子供達には人気があった。娘はベンチに座ると一日中、目と
耳を大きく開きあたりを観察した。そうやって、何日も人々の生活を見続けた。座るのに
飽きてくると村中を歩き回り、どこに何があるか、誰が住んでいるか覚えた。娘は忍耐力
があり、記憶力がよかった。
 村人はそんな娘を遠巻きに見ながら気持ち悪がっていた。毎日どこかから現れ、誰とも
しゃべらず、じっと座っているかと思ったら突然動き回る。魔女の館からきたに違いない。
そんな噂が飛びかい誰も近づこうとはしなかった。
 娘はそんなこととは露とも知らず、思うがままに動き、次の行動を考えていた。
 人々はお金というものと物を交換している。色は違うけれど似たような丸いものが巣に
たくさんある。それを試して食べ物を手に入れよう。それが最初に村を訪れようと思った
目的だったのだから。
 こっそり持ち出した金貨を握りしめ、広場のベンチに座った。目の前のパン屋に行きた
いのだが動けなかった。村人は娘をまるで見えないのではないかと思えるほど無視する。
なかなか決心がつかずためらっていると、ひとりの青年がこちらのほうに歩いてくるのが
見えた。鍛冶屋の息子だ。娘が鍛冶屋の前を通ると必ず目が合った。娘を見ることができ
る唯一の人間だった。娘は密かに好ましく思っていた。
 一方青年は娘が気になってしかたがなかった。謎めいている。青年は声をかけずにはい
られなかった。ほかの人がなんと言おうと知ったこっちゃない。いつものように広場のベ
ンチに座っているのを見つけるとそばに行った。ほとんど肌が見えないようにすべてを覆
っているが、それでも美しさが滲み出ている。
「こんにちは。最近よく見かけるね、君はどこからきたの?」青年は娘を見つめながら横
に座った。
 娘は飛び上がらんばかりに驚いた。まさか話しかけられるとは思っていなかった。すっ
かりあがっていまい青年が何を言っているのかわからなかった。
「君はどこからきたの?」青年はもう一度ゆっくり優しく話しかけた。
 今度は何を言っているのかわかったが、女以外の人間と話したことがない、村人の話に
耳をかたむけていたので知らない言葉もだいぶ覚えたが、うまく話せる自信はない。しゃ
べる練習を忘れていた。 
 しかたなく娘はピカピカに輝く金貨を見せ、パン屋を指差した。
 それは見たことのない金貨だった。「君が磨いたの? ピカピカだ」手に取ると重かっ
た。上質の金だ。娘の手に金貨を戻すと一緒にパン屋へ行った。
 娘を見たパン屋は顔をひきつらせたが青年はかまわなかった。
「どれがいい?」娘が決められず悩むのを見て、「甘いお菓子? それともチーズ入り?」
話しながら適当に選ぶと、自分の財布からお金を払い包んでもらった。
 娘は金貨を差し出したが、青年は受け取らなかった。「そんなにしない。さあ、食べな
よ、あそこのパンはおいしいよ」広場のベンチに戻ると青年は娘と一緒に座った。娘は一
番小さいパンをかじった。大ガラスの持ってくるものとは大違いでふっくらして温かかっ
た。「ありがとう」青年を見上げて小さな声で言った。
 青年は喜んだ。「君はしゃべれないのかと思ったよ、名前はなんて言うの?」
  娘は名前を持たないことに気がついた。巣での生活に名前など必要ではない。「わた
しは……」言葉を濁した。
 青年は言いたくないんだと思い、それ以上訊かなかったがやはり気になる。しばらくお
いてさりげなく言った。「どこからきたの?」
 娘は正直に言っていいのか迷った。青年は親切で優しい、だけど村で耳に入ってきた噂
が気になる。やめておいたほうがいい。娘はつらくなってきた。
 娘は突然立ち上がると「もう帰らなくては」つぶやくと、残ったパンを大事に抱え歩き
だした。
 青年は「また明日会える?」慌てて声をかけた。娘は振り向くと小さくうなずき、森の
ほうへ歩いて行った。
 何かまずいことを言ってしまったのだろうか? 青年の心に何かひっかかるものがある。
娘は森のほうへ帰っていた。――森へ!――
 村にはある噂が広がっていた。森に謎の盗賊団が住みついて、通り抜けようとする者を
皆殺しにしている。確かに近頃、森を抜けてくる行商人はめっきり減った。たどり着く人
々は皆、森を避けるようにして遠回りしてきている。村はじわじわと孤立していた。ただ
それらがあまりにもゆっくり進んでいたので人々はなかなか気づかなかった。この噂は領
主の耳にも届いていた。領主は幾度か内密に森へ人を送りこんだのだが、誰ひとり戻らず
頭を痛めていた。
 そういえば……青年は思い返していた。娘の着ているものは古びて汚れていたが、上質
なものだった。それにあの金貨……あんなものは見たことない。それでも、どうしても娘
は盗賊団の一味だと思いたくない。明日くるかな? いまはただもう一度娘に会いたかっ
た。会って確かめたかった。
 仕事場に戻る途中、村人の視線を感じた。娘といたことはすぐ伝わる。母親が待ち構え
ている姿が目に浮かぶ。やれやれ、またうるさくつきまとわれる。しだいに足取りは重た
くなっていった。 
 娘は青年と別れたあとも、森の入り口まで羽をしっかりたたんで歩いたがふと気がつい
た。――森の入り口、なんてこと! ―― 気が動転してうっかりしてしまった。変だと
思っただろうか? せっかくいい人に出会ったのに……怪しんでいるかも知れない。もう
青年に会うのはやめたほうがいい。
 次の日になるとやはり娘は村に行かずにはいられなかった。広場のベンチにはすでに青
年が待っていた。
「また会えたね。こなかったらどうしようと心配してたんだ、何か悪いこと言ったんじゃ
ないかって」青年の瞳は濃く深い茶色で、同じ色の髪の毛とよく合っている。そしてその
澄んだ瞳でいつもまっすぐに娘を見つめる。
 娘はどきどきしながら「急に森の近くに用事があることを思い出したの」用意していた
話をした。「きのうはちょっと驚いて……、あまり人と話をしたことがないから」
 青年は何気ないふりをして訊いた。「おかしな人だね、君はどこからきたの?」
 娘は一晩中、考えた嘘を慎重に話した。「魔女の館から」村人の話では魔女の館は恐れ
られていて、誰も近づかない。思ったとおり青年は驚いている。慎重に様子を見ながら話
を続けた。「魔女の館からきたと言うと怖がられると思って言えなかったの」
「君があの魔女なの?」不思議と怖くなかった。
「いいえ、魔女の館に住んでいるだけ。だけどいままで館から出たことがなかった。小さ
くてここまでひとりでこれなかったの。それにここにきているのは内緒なの。魔女はわた
しが外に出るのを嫌がるから。でもわたしはどうしても村を見てみたかった」すべてが嘘
ではないから話すのは楽だった。
「魔女はどんな人?」魔女のことは誰も知らない。青年は好奇心から訊いた。
「とても恐ろしい生き物よ。絶対に近づいてはいけないわ」娘は大ガラスを頭に入れて言
った。
「君は大丈夫なの?」
「わたしには手を出さない。でもこれ以上は訊かないで。ここにもうこれなくなるから」
早くこの話をやめたほうがいい。
 ――君は魔女の娘なの? ―― 青年は最後にもう一つ訊きたかったが、娘は帰ってし
まいそうなのでここはひとまず話を変えた。「今日は何をするの?」
 ふたりは村をぶらぶら歩いた。青年は娘がなんにでも興味を持ち楽しんでいるのがよく
わかった。まったくどんな暮らしをしてきたのか、娘の好奇心に大きく開かれたその濃く
青い瞳はときには黒く輝き青年を釘付けにした。
 だんだん村人の好奇の目が煩わしくなったので、人気のない川辺に移動した。ゆっくり
腰を降ろし途中で買ったスモモを食べた。さわやかな日で、優しい風がふたりの間を通り
過ぎていく。 
 娘は初めて心が穏やかな気持ちで満たされてゆくのを感じた。口数の少ない娘にかわっ
て、青年は家族の話をした。父親、母親、たくさんの兄弟、姉妹。それは娘の知らない世
界。
「お母さんってどういうもの?」娘は訊いた。
「うちの母親は強くたくましく働き者で、世話好きだ。そしていつもうるさい。僕はもう
いい大人なんだけど、いつまでも子供だと思っている」あれからずっとつきまとっている
母親を思いながら言った。「君のお母さんは?」さりげなく訊いてみた。
「わたしには……あなたの言うような母親はいない」慎重に言葉を選んだ。「わたしはサ
ルに育てられたの」
「サルに?」
「そうね、わたしにとって、あなたの言う家族みたいなもの」
 魔女の館というのは本当に変わったところだ。
「お父さんは?」
「……父親はいない、きょうだいも誰も」
 娘はもちろん女と大ガラスが両親だろうとうすうす気づいていたが、それを認めたくは
なかった。それに彼らでもそう思っているとは考えられない。
 娘は自分のことは話したがらないが、青年は一緒にいるだけで満足した。あせる必要は
ない、いずれ話してくれるだろう。
「君のマントはよく見たら羽でできているんだね。とても不思議な色だ」黒いマントは光
を反射して青く光っている。まるで娘の瞳のようだった。
「ええ、脱ぎたくても脱げないの」
 これも謎のひとつだ。どういう意味だろう? 青年は不思議な娘にますます惹かれてい
くのをとめられない。
 娘と別れると、青年はしぶしぶ仕事場に戻る。途中、村の人々の目は無視できるが母親
はそうはいかない。
 母親にはしかたなく娘は領主のところに滞在している客だと言っておいた。領主にはふ
たりの息子がいるが長男を見たものはいない。次男はこの世の物とは思えないくらい美し
い上に勇敢で立派な人物らしいがあまり表に出たがらない。領主の家族もまた謎に包まれ
ている。そこから村を見物にきていると言えば少しばかりおかしくても怪しまれないはず。
あとは何も知らないで通した。
 母親はもちろん納得いかないが息子が頑固なのはよくわかっているのでしかたなく様子
を見ることにした。父親は母親が見ようとしない息子の一面を心配していた。息子が好き
になる女性はいつもどこかが変わっている。最後に付き合っていた娘の手には水かきがあ
り肌が透き通るように白かった。足にも水かきがあったかどうかはわからない。つまらな
い喧嘩をして別れたらしい。たまたまどしゃ降りの雨の日で彼女が飛び跳ねながら去って
いくの見たのが最後だそうだ。その前の彼女は会う度に瞳の色が違う娘。瞳の色に合わせ
て気性が変わる。別れ話をした後は顔中引っ掻き傷だらけだった。そのとき何色の瞳だっ
たかはわからない。いずれにしてもどれも長く続かなかった。
 今回の娘は一見普通に見えるが、これまでになく一番変わっている。それだけ息子は夢
中になるはずだ。いま、何を言っても無駄だろう。結局、父親も見守るしかなかった。
 そんな両親の心配をよそに、息子は何も言わずに娘に会っている時間の仕事の遅れを取
り戻すため、もくもくと夜遅くまで働いた。誰にも邪魔されずに娘のことを考えられるの
で、そのほうがよかった。
 青年は確かに変わった好みを持っていた。それはだいぶ前、村にやってきたサーカス団
を見に行ったときに自覚した。大きな水槽の中で優雅に泳ぐ美しい人魚にすっかり魅了さ
れてしまった。夢にまで見て、もう一度会いに行ったときにはサーカス団は消えていた。
青年はいつか自分だけの個性的で魅力的な女の子をさがすようになっていた。
 大ガラスの娘は行きも帰りも慎重に遠回りをすることになったが、青年に会えるのなら
喜んでそうした。途中、空から魔女の館がぽつんと建っているのが見えたが、そのときは
まさか本当にそこに行くようになるとは思いもしなかった。
 ふたりはいつも、人目を気にしなくてよい川辺で会うようになっていた。娘の姿をもっ
と見たい、せめてスカーフを取ってみたいと思う青年の願いは思いがけないかたちで叶え
られた。
 木陰で心地よい小川のせせらぎを聞きながらさわやかの風が吹くなか、座って取りとめ
のないおしゃべりをしているといきなり激しいつむじ風が吹き付けてきた。
 青年は飛ばされそうになる娘を守ろうとしたが、娘は忽然と消えていた。いなくなった
娘をさがし振り返ると、娘は空中に浮いていた、黒い羽を広げて。
 ――しまった! 油断していた―― 羽が風を受け止めてしまった。姿を見られてしま
った娘は青ざめた顔で、最後に青年の姿を眼に焼きつけようと青年をじっと見つめ、羽を
ひるがえした。
「待って! 行かないでくれ」青年は慌てて叫んだ。
 娘はしばらくためらっていたが、やがて青年の前に降り立ちその澄んだ瞳を見つめた。
「怖くないの?」
「本物の羽だったんだね」青年は娘に近づき優しくスカーフを取ると、金色に輝く豊かな
長い髪が流れ落ちた。
「なんてきれいなんだ」青年はそっと髪にふれた。
「きれい?」娘は自分の容姿など考えたこともなかった。「わたしが怖くないの?」もう
一度訊いた。
「怖いわけがない。それよりも本当の君がわかってとてもうれしい。想像していた以上だ。
さわってもいい?」娘の羽を見た。
 答えるかわりに羽を青年のほうへ広げると、青年は優しく羽をなで、娘に微笑みぎゅっ
と抱きしめた。「なんて素敵なんだ」
 娘は信じられなかった、こんなことがありえるなんて、喜びで心がはちきれそうになっ
た。この人ならきっとわかってくれる。すべてを話そう、本当の森の秘密を……。

 青年はその暗く青い瞳に吸い込まれるように娘の話を静かに聞いた。なんという恐ろし
い運命、なんという純粋で無垢な娘。
「あなた達の世界がとてもうらやましかった。でもわたしには入れない。このマントは脱
げないの。わたしも皆と同じになりたい」娘は悲しげに笑った。
「なんで皆と同じじゃなきゃいけないんだ」
「村の人達はわたしを怖がるか無視する」
「僕は君を恐れたりしない。いいかい、聞いて」青年はなんのためらいもなく決心した。
「僕はもういい加減、独立して家を持ってもいい年だ」 娘をまっすぐ見つめて言った。
「よかったら僕と一緒に住んでくれないか? ……つまり……結婚してもらえないか?」
 娘は心臓が止まるのではないかと思わず両手で胸を押さえた。「でも……」何も言えな
い。
「僕じゃ嫌かい?」
「まさか……そんな」
「僕は君もその姿も大好きだ。毎日こうして会うのが待ち遠しくてたまらない。こんな気
持ちは、初めてなんだ。このまま君が飛んで行ってしまったら……。お願いだ、いいと言
ってくれ」
 娘は天にも昇る気持ちなのだが、簡単に答えられない。
「ありがとう、とてもうれしい。わたしには夢のような話……だけど大ガラスはそう簡単
にわたしを手放しはしない。いまだってこうやってこっそり出てくるのが精一杯……でも
なんとかしたい……」どうしたらいいのだろう。女はいいとしても、大ガラスは恐ろしい。
でもこのままだと一生巣の中で終わってしまう。それに大ガラスと娘は身体の中に流れる
同じ血によってお互いの存在を感じることができる。どこに逃げても見つかってしまう。
 これは言えない。青年を危険な目にはあわせたくはない。
 ふたりはそれぞれの思いに沈み、黙り込んでしまった。
 ――なんとかしてみせる―― 青年は娘のほうを向いた。
「村に行こう。前から気になっていたんだ」突然の言葉にわけがわからないまま、娘は羽
をたたみスカーフを巻こうとした。
「そのままでいい」青年は優しく微笑み手を取った。
 娘はためらったが青年の言うとおりにした。もちろん村の人々は皆、目を丸くして注目
した。青年が平然としているので、娘も輝く金の髪を黒い羽の上に広げ、その美しい顔を
下げることなく堂々と歩いた。青年とつないだ手はとても心強かった。青年はまっすぐ靴
屋に向かった。
「この娘に合う靴が欲しいんだ」
 靴屋の目は娘の美しさと異様さに釘付けで何も聞いていなかった。青年と娘は勝手にい
くつかの靴を試し、柔らかくなめした皮のブーツを選んだ。靴屋は上の空でお金を受け取
り、ふたりは森に向かった。
「だいぶ前から気になっていたんだ、君が裸足なのが。これからは歩くことが増えるだろ
?」
「そうね、わたしは必ず地面に降りる。そして、この靴をはいてあなたと歩く」
 別れるのはつらいけど、明日また会える。これからのことは何かよい方法を考えよう。
話し合いながら森の入り口まで歩き、そこで青年は娘が力強く飛んでいくのを見送った。
 さて、母さんが待ち構えているだろうな。帰る足取りはやや重くなったものの、青年の
心は望みが叶った喜びであふれていた。
 娘は靴をスカーフにくるみ巣に持ち帰った。近頃では女とまともに口をきくこともなく、
ときどき持ち帰る食べ物を受け取りはするが、どうしたかなどと尋ねられもなかった。
 巣に戻ると見つからないように靴を隠し、いつものようにそしらぬ顔で仕事を始めた。
ふと見ると床に女の手鏡が落ちている。娘は青年の言葉を思い出し、手鏡を手に取ると自
分の顔を映してみた。ひどく曇っているのでぼやけて見えない。宝石を磨いていた布でご
しごしこすり、もう一度鏡を見るとそこには子供の頃いつも見ていた女の顔があった。思
わず女のほうを見てみると、そこには年老いた娘がいる。改めて自分が誰の子供であるか
を思い知らされた。
 女は寝たふりをしながらずっと娘の様子をうかがっていた。このごろの娘はとても生き
生きとしている。ため息をつき沈んでいるかと思うと口元に微笑を浮かべ楽しげにしたり、
そのひとつひとつが女にはとても癪にさわる。いま、ひとつの花はしおれ、枯れようとし
ており、もうひとつの花は輝かんばかりに大輪の花を開こうとしている。女が見ようとし
なかった現実が目の前に置かれている。
 最初から邪魔な子だった。大ガラスが食べちまえばよかったのに。ふつふつと湧き出て
くる憎悪はとどまることがない。
「ずいぶん浮かれているようだね」
 女に話しかけられ、娘は驚いた。
「そうしていられるのもいまのうちさ」女の目は異様にぎらぎらと輝いていた。
「大ガラスがお前を見る目を見てみな。いまにも涎を流しそうだよ。この頃は餌を取るの
が難しくなっているようだ。そろそろお前の番だよ、覚悟しとくんだね。まったく何でい
ままで取っておいたのか、お前より先に生まれた赤ん坊はさっさと食っちまったくせに」
「わたしより先に?」娘は女の言葉に耳を疑った。
「ああそうさ、男の子がふたり。生まれてすぐ大ガラスが食っちまったがね」
「ああ、なんてこと。あなたの子供でしょ」
「冗談はよしとくれ、皆、化け物だよ」
 この女は狂っている。この女はとっくの昔に人間でなくなっている。大ガラスと同じ恐
ろしい化け物だった。
「かわいそうに」娘は初めて女をまともに見つめた。「どうしてこんなことになったの?」
 娘の哀れみは女を逆上させた。「何言ってんだ! 何様のつもりだ! ただの餌のくせ
に。お前が毎日どこかに出かけていることも大ガラスに言ってやる。お前は化け物なんだ
よ! ここでおとなしく食われるのを待つんだね。」
「やめて!」娘は思わず叫んだ。女に近づくと「そんなことしたら許さない」女の肩を揺
さぶった。そのとき、娘が持っていた手鏡が床に落ちた。そこには老いさらばえた女と若
く美しい娘のふたりの顔が映っていた。
「これは……」女は手鏡をつかむとそこに映る自分を見た。「お前はなんてことをしたん
だ」大きく見開いた目で娘を見つめると、女は手鏡を胸に抱き、巣から外へ飛び出した。
 娘すぐさまあとを追ったがもちろん間に合うわけはない。粉々になった鏡の破片の中で
血まみれの女が倒れていた。
「どうして?」娘は呆然と女のそばにたたずんだ。
 人間の姿をした大ガラスがそばに立っているのに気がついたとき、あたりは薄暗くなっ
ていた。
「どうやって降りた?」娘の背中の羽を見れば訊くまでもなかった。いままで大ガラスが
帰る頃には、娘はいつもすみにうずくまって寝ていたので注意を払ったことはなかった。
 娘は大ガラスに話しかけられるのは初めてだった。「この人が、あの……落ちたんです
……自分で……、だから……」
「もういい。巣に戻れ」娘を見る目は氷のように冷たかった。
 飛ぶ姿を見られるのはとても嫌だったが、しかたなく巣に戻った。大ガラスはなかなか
帰ってこない。何をしているのか考えるのも恐ろしかった。逃げようかとも考えたが、す
ぐに捕まるのはわかっている。ただ待つしかなかった。少なくともいまはお腹はすいてい
ないだろう。
 やがて大ガラスが帰ってきた。娘は恐怖で身体が震えるのを感じた。
 大ガラスはすぐさま人間の姿になると目を細めて娘の姿を見つめた。そしてそばにある
はさみを手に取ると後ろを向くように命令した。娘は逆らうこともできず言われるままに
なった。背中に鋭い痛みを感じた。ああ、なんていうこと! 大ガラスは娘が飛べないよ
うに羽を切ったのだった。
「逃げようと思うな。お前がどこにいようとわたしにはわかる」大ガラスは念を押した。
 その夜、娘はいつもの場所で横になり眠れぬ夜を過ごした。たった一日ですべてが変わ
ってしまった。もはや娘は青年に会うどころか巣からさえ出られない。これから女のよう
にここで朽ち果てて狂っていくのだろうか。嫌だ! そんなことには絶対ならない。何か
方法があるはず。
 ――あの人に明日また会う約束だったのに!――
 それからは以前と変わりない日々が続いた。ただ女がいないだけだった。大ガラスは相
変わらず朝出かけると夕方戻ってきた。ときどき娘を見つめるが話しかけはせず、娘は大
ガラスを無視した。娘はすっかり打ちひしがれてはいたが、泣いて諦めたくはなかった。
まず、巣から出る方法を考えなくては。切られた羽は時間がたてばもとに戻るだろう。だ
がまた大ガラスに切られるに決まっている。それにそんなに待てない、一日でも早くここ
を出たい。うまく巣から出られても大ガラスは追ってくる。でもあの青年ならきっと一緒
にやっつけてくれるかも知れない。何よりも青年に会いたい!
 大ガラスは、宝石や金貨、そのほか色々な宝物がなくなっていないか調べた。無造作に
置いてあるように見えるが大ガラスはすべてを把握しているのがわかった。村での買い物
はすべて青年が支払い、娘に金貨を使わせなかったことに感謝した。
 大ガラスは女の持っていた衣装にあまり関心がないのに気づくと、布地を裂いてロープ
にすることを考えた。ハサミは取り上げられていたし、女の衣装は柔らかく薄い布地が多
く、身体を支えられるだけ強くするのは難しいだろう。それでも何もしないよりはまし。
やるしかない。すぐに取りかかることにした。手で裂くのはなかなかうまくいかない、サ
ルにとがった石を取ってきてもらい、根気よく布地をより合わせ丈夫なロープを作ってい
ったが、それはとても気が遠くなるような作業だった。
 一方、青年は現れない娘をずっと待っていた。次の日も、またその次の日も、そうして
一週間が過ぎると心配になってきた。何かあったのでは。
 青年は意を決すると仕事場に戻り、静かに腕を組んで考えた。そしておもむろに地金を
選ぶと熱く燃える炉の中につっこんだ。剣が必要だ。これまで何度も頼まれて剣を鍛えた
ことはあったが、今度のは自分の人生をかけたものになるかも知れない。青年は休むこと
も忘れ一心不乱に打ち続けた。
 やがてかつてないほどの見事な剣ができあがったとき、やっと力を抜いた。ずっと陰か
ら様子を見ていた両親は心配のあまり気が気でなかったが、声をかけられる状態ではなか
った。だいぶ夜もふけた頃、青年は両親を振り返った。「僕は休むから、父さん達も休ん
で。心配しないで、僕は大切な物を守りたいんだ」そう言うと剣を布に包んで出て行った。
 青年はつかの間の休息を取り、夜明けとともに出かける仕度をすませ家族が起きだす前
に出発した。森へ向かって。
 娘の話を頼りに大きな木をさがした。だいたい森の真ん中、道よりそうはずれていない
ところにあるはずだ。人が通らなくなった道は荒れ果て、進むのが困難な場所もあり、す
んなりとは行かない。森に入ってずいぶんたつが目的の木はわからず、あせりを感じだし
たとき、突然ぽっかりと開けた場所に出た。
 そこには巨大な木を中心にちょっとした広場のような空間になっていた。足元に広がる
木漏れ日と静かな森の囁き、まるで別の世界に迷い込んだのかと思った。この木に違いな
い。だが木は思っていた以上に高いうえに葉が邪魔をして上はまるで見えない。「おーい
!」叫び声はむなしく森に吸収されていった。
 そのとき、あたりの木々がざわざわしだしたかと思うと数匹のサルがどこからともなく
現れた。
 娘の話していたサルだ! 青年はサルに向かって話しかけた。「背中に羽のはえた女の
子を知っているだろ? アー……いや、鍛冶屋の息子がきたと伝えてくれないか」いまさ
らながらお互いの名前を知らないことに気づくのだった。
 サル達はわかったというように姿を消した。
 娘はせっせとロープを作っていた。娘のいる巣のところまで地上の様子は伝わってこな
いが急にあたりのサルがなにやら興奮し始めた。そこへ現れた別のサルから青年のことを
聞き耳を疑った。青年がここにきている! だが声が届かないのはわかっている。青年は
サルの言葉がわからない。なんとかここにいることを伝えなくては。娘はふと思いたちサ
ルに青年に買ってもらった靴を片方渡した。
 地上で待っていた青年はサルから渡された靴を見て喜んだ。
 だがどうやって登る? この巨木は胴回りがとても太いし、枝ははるか上のほうにしか
ない。そのときロープのような物がするすると降りてきた。だがそのロープは青年の頭上
はるか上でとまった。
 青年はいざと言うときのために持ってきたロープをサルに見せると結んでつなげるかと
訊いた。サルは青年のロープを取るとスルスルと木を登り消えた。ずいぶん長い時間がた
った気がする。駄目だったかと諦めかけたとき、頭上のロープがするすると青年のところ
まで伸びてきた。そのロープをつたって降りてきたサルを青年は感激のあまりぎゅっと抱
きしめ感謝した。
 ロープを引っ張りその強度を確かめると、運を天にまかせてゆっくりと登って行った。
仕事で鍛われた青年の身体でも木は果てしなく高く、頂上は遠かった。腕がしびれ握力が
あやしくなった頃、やっと巣の床らしいところに着いた。さてどうやって中に入ろうかと
考えあぐねていると、頭の上の部分にぽっかり穴が開き娘が顔を出した。
「ああ、会いにきてくれたのね!」
「君をずっと待っていた。なのにこないから何かあったんじゃないか思ってといても立っ
てもいられなくなってしまって君をさがしにきたんだ。ああ、心配したよ。無事でよかっ
た」
「大ガラスに羽を切られて飛べなくなってしまったの」
 サル達の力を借りて青年を巣の中に引き上げると、娘はいきさつを話した。
「大変なことになったね。でももう大丈夫だ。僕と一緒にここを出よう」
「そう簡単にいかない。大ガラスとわたしはお互いを感じる。だからすぐに居場所がわか
ってしまう。あなたの命も危険にさらされる」
「僕のことは何も心配しなくていい。たかがカラスだ。それに君は僕が守る」
 娘は青年の瞳を見つめた。そこには誠実で温かく力強い意志の光があった。
 夕闇が近づいており、いま行動するのは危険だと判断し、ひとまず青年は地上に降りた。
明日、大ガラスが出かけたら娘がロープを使って降り、ふたりで村まで歩いて行く。大勢
の人がいる中では大ガラスも簡単に手を出せないだろう。青年は名残惜しげに娘と別れた。
 なんせとても高い木なので時間はかかったものの、降りるのは登るのに比べればずいぶ
ん楽だった。サルに大ガラスの古い餌置き場のほら穴に案内してもらい一晩過ごした。そ
こは今ではもう使ってないのでなら安全だそうだが、たくさんの白骨と夜を共にするのは
気分のいいものではない。できるだけ物言わぬ犠牲者から離れたところで横になると剣を
握りしめ気を落ち着けようとしたが、明日のことを考えると眠れそうになかった。
 巣の上の娘もやはり眠れぬ夜を過ごしていた。青年が去ると急いでロープを引き上げ見
つからないようにかくすと、穴をふさぐと女の持っていた香水をふりまき匂いを消した。
これはときどきサルの匂い消しにも使うから大丈夫なはず。まもなく大ガラスが帰ってき
たが、鼻を鳴らしただけで何も言わなかった。娘は平静を装っていたが心臓は飛び上がり
そうで、ずっと息を詰めていた。大ガラスが眠ると娘はやっとまともに息ができるように
なった。――早く明日になって! ―― 果てしなく長い夜過ごした。
 次の朝、大ガラスが出かけるとすぐに青年のところまでサルを使いに出し、娘はロープ
降ろすと大きく深呼吸をして慎重につかまった。力が強くないが体重は軽く、飛べない羽
でも広げればさらに腕にかかる負担を軽くしてくれる役にたつはず。ゆっくり羽を広げる
と痛みが走った。はるか下には青年が待っている。娘はためらうこともなく巣を離れた。
 気持ちはあせるばかりでロープは永遠に続くのか思えた。やっと青年の頭上までくると
娘はその広げられた手に飛び込んだ。
「やったわ!」青年の胸に顔をうずめると目を閉じ深いため息をついた。
 青年は手に持っていた片方の靴を差し出した。「さあ、行こう」
 荒れた森の道を歩くのは、慣れてない娘の足では思いのほか時間がかかった。途中何度
も休み、手を引かれ、最後には青年に背負われる羽目になった。
「空を飛ぶのとは大違いね」
「そのうち慣れるさ」青年はなぐさめてくれた。ようやく森の出口に着いたときはすでに
薄暗くなり始めていた。
「どこに行くの?」
 青年はすでに考えていた。「僕の家に帰るわけには行かない。領主のところへ行こうと
思っているんだ。大ガラスの存在は村の問題でもある」青年は少し間を置くとためらう
ように訊いた。「その……、大ガラスは君の父親なんだろ? もし、僕が……」
「あいつは父親なんかじゃない」本心からの言葉だった。
「そうならいい。僕は大ガラスをやっつけるつもりだ。もし君が気にしたらと思ったんだ」
「それこそがわたしの望んでいること」
 その頃、大ガラスは胸に妙なざわつきを感じながら巣に戻る途中だった。何か変だ。は
たして、どこにも行けるはずのない娘がいない。どうやって逃げた? 羽を切ったのに。
すぐにサルが隠していたロープや穴を見つけだした。大ガラスは感覚を研ぎ澄ませると娘
の居所をつかもうとした。
 村の方角だ。水晶のついた黒いターバンを嘴にくわえるとすぐに飛び立った。大ガラス
は暗くなると視力が悪くなる。だがターバンをかぶるとその水晶の力がその弱点を補って
くれる。村からちょっと離れた大きな屋敷に続く道の途中で娘の姿を見つけたがひとりで
はなかった。監視が足りなかった。あたりはだいぶ暗くなってきている。大ガラスはふた
りの前に降り立つ前に人間の姿に変わり、行く手をはばんだ。ターバンをかぶったその姿
は、見ようによっては裕福な異国の商人に見えないこともない。
「勝手にどこへ行く」大ガラスは娘に向かって凍るような冷たいまなざしを向けた。
 青年は娘を守るように前に進み出た。「この娘は自由だ。どこへでも好きなところへ行
く」
「お前は誰だ?」大ガラスの瞳はガラス玉のように光った。
「僕は……」青年は娘を見た。「この娘の恋人だ」
「ふん、お笑いだな」大ガラスの身体が蝋のように溶けたかと思うと獰猛な嘴と鋭い鉤爪
を持った化け物に変わり、青年に飛びかかった。青年は剣を抜いたが相手の動きは速い。
大ガラスはその鋭い嘴で獲物の目を狙う。青年はやみくもに剣を振り回すが、身を守るの
に精一杯で攻撃にまではいたらない。服のあちこちが引き裂かれ血が滲みでてきた。
 かたわらで立ちすくんでいた娘は青年が不利なのを見て取ると、とっさに隠し持ってき
たひと掴みの宝石と金貨を大ガラスに投げつけた。
 大ガラスの習性は宝物を無視できない。一瞬それらに気を取られてしまった。青年はそ
の隙を逃さず、剣を振り下ろしたが、すんでのところでかわされてしまい致命傷にはいた
らなかった。
 ひざまずき胸からあふれる血を押さえながら大ガラスは呻いた。「逃げられると思うな。
傷が治ったら真っ先にお前らを引き裂いてやる」ふたりを睨みつけると残った力をかき集
め飛んで行った。
「大丈夫? 血が出てる」娘は青年に駆けよった。
「たいしたことない。君のおかげで助かったよ。やれやれ、やっつけるどころかやられる
ところだった」青年は苦笑した。「しかし厄介なことになったな」
 大ガラスの傷はどれくらいで治るのだろう。問題はあいつが生きている限り、この先お
びえながら生きなくてはいけないということだ。そんなのは真っ平ごめんだ。とにかく最
初の予定どおり領主の館に行こう。
 門番は娘を見るとその姿に目を丸くした。青年が大声で用件を告げるとやっと門番は青
年が血だらけなのに気がつき急いで取次ぎに行った。
 好奇心に満ちあふれた使用人の目を受けながら広間に通されると、そこには初老の領主
が椅子に座っていた。以前村で見た領主はとても恰幅がよく堂々としていたが、いまここ
にいる領主はひとまわり小さくなり、疲れはてているように見える。そのかたわらに信じ
られないほど美しい青年が立っていた。こちらは質素なシャツにベストを着ただけの地味
な服装をしていたが、赤い紐でひとつにまとめた輝く長い金髪と誠実そうな明るく輝く青
い瞳に惹きつけられた。領主にはとても美しい息子がいると聞いていたがこれほどまでに
とは思わなかった。横にいる娘ですらかなわないだろう。だが領主の息子は男だ。この美
しさは必要だろうか。それにもうひとり息子がいるのではなかっただろうか。青年の考え
は緊張のあまり勝手な方向へ走って行ったが領主の声ではっと我に返った。。
「森のことを話しにきたそうだな。あそこで何が起こっているか知っておるのか?」領主
の声はしわがれていた。
「はい、わたしは村の鍛冶屋の息子で、こっちは……」青年は横の娘を見ながらなんと言
うべきか考えた。
「わたしは森に住む忌まわしい大ガラスと縁のあるものです」娘の声は落ち着いていた。
 ふたりはいままでのことを、娘の生い立ちからすべて話した。話がすべて終わったとき
には真夜中になっており、館を包む静寂は重く沈んでいた。
「いままで気づかなかったとはまったくうかつだったな」領主はますますしぼんで見える。
「大ガラスはとても用心深く、狙う相手を選んでいたようです」青年は言葉を添えた。
「さて、どうしたもんかな? こちらも慎重に動かねばなるまい」
 そのとき、静かに控えていた息子が領主のそばに歩み寄った。
「父上、この件はわたしにおまかせください」
「お前に何かよい策があるのか?」領主は息子を見上げた。
「まあ……考えがあります」
「そうか、そうだな。お前ならなんとかしてくれるだろう。お前が頼りになる男になって
くれてわしはうれしいぞ」息子の肩を叩くと、ほっとしたように自分の部屋へ戻る領主を
息子は複雑な表情で見送った。
「領主は何か病気なのですか?」青年は思い切って尋ねた。
「いや、そういうわけではないんだ。色々なことがあってね、落ち込んでいるんだ」
「さて……」領主の息子はふたりのほうを向くと「まず君達を安全なところに移さなくて
はいけない」美しい顔の眉間にしわを寄せて言った。
「安全なところ?」ふたりは首を傾げた。
「ああ、大ガラスに見つからないところ。君達の話だとそいつの怪我はひどいようだが、
そういう奴ほどだいたいしぶとい。思ったより早く回復するかも知れないから早く手立て
を考えなくては。だが君達が加わる必要はない。すべてが終わるまで隠れていたほうがい
い。今日はもう遅いから怪我の手当てをしてゆっくり休み、明日早く出発するんだ。悪い
がそこまでは自分達で行ってくれ、手紙を準備しておくから」領主の息子は別室に控えさ
せていた衛兵を呼ぼうとした。
「待ってください」青年は慌てて言った。「どこに行けばいいんです?」
「ああ、言わなかったか? 魔女の館だ」

「そうしてふたりはここにきてエマにこの趣味の悪い姿に変えてもらい、大ガラスから隠
れているんだよ」アルは優しい目で置物を見たがさわりはしなかった。
「大ガラスはどうなったの?」ティモシーは訊いてみた。
「まだ生きてる。だけど領主の息子がなんとかするさ、あいつは頼りになる」
「アルは領主の息子と知り合いなの?」
「いや、噂で聞いたんだよ」
 なんだかはぐかされたような気がする。アルいつでも掴みどころがなく、いい加減で頼
りない感じがする。
 そのとき、大ガエルが入ってきた。アルはすぐさま用事があるとかなんとかぶつぶつ言
って出て行った。
「君は何と引き換えにその姿になったの?」ティモシーは話しかけてみた。大ガエルはア
ルが出て行った扉を見つめて「ケロッ」と鳴いただけだった。


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