6 画伯 わしはここより遠く離れた大きな町に住んでおった。町の中心を流れる大きな川に架か った橋の上の舗道で描いた絵を並べ売っておったが、食べるのにもこと欠く毎日だった。 それでもまだ若かったし自分はいつか有名な画家になると信じておった。そのうち、毎日 前を通る近くの仕立屋のお針子と仲良くなった。わしはなかなかの男前だったからな。彼 女は真面目な働き者で、いつか海の近くの田舎に帰り店を開きたいと、こつこつお金を貯 めていた。 わしはというと、とうとう部屋代も払えなくなってしまい彼女の部屋にころがりこんだ。 彼女は「あなたはしかたない人ね」と笑いながら部屋代の代わりに彼女の絵を描くこと を条件に受け入れてくれた。食べるのには困らなくなったが、絵は相変わらず売れない。 わしはだんだん投げやりになっていった。なぜこのきれいな絵がわからないんだとな。 その頃わしは行ったことも見たこともない風景を想像だけで描いていた。いま思えばい かにも作り物らしかったし、稚拙だった。やけになったわしは昼間から酒場に入りびたる ようになり賭博に手を出すようになった。まあ、お決まりだな。彼女には場所を変えたと かなんとか色々嘘をついていたが、わかっていたと思う。それでも何も言わなかった。わ しの絵には惹かれるものがあると言ってくれていた。きっとうまくいくと。そしてわしは 賭博で大負けをした。払わないとひどい目にあわせられる。 わしはとうとう彼女が一生懸命貯めていたお金に手をつけてしまったんじゃ。これには さすがに彼女もすぐ気がついた。そのときの彼女を思うといまでも胸が痛むよ。彼女の夢 をつぶしたんじゃ。 今度ばかりは許してくれなかった。「あなたはどうしようもない人ね」そう言ってわし が描いた彼女の絵を残して田舎に帰った。わしはしばらくの間、何も考えられんかった。 だがやはりわしは絵を描くしか能がない。いつか彼女の目にもとまる絵を描こうと決心 した。 わしは以前の舗道に戻り、また貧しい生活に戻ったが煮詰まっておった。自分の描いて いる絵が空っぽで虚しく思えた。何も描けないで何日もただぼんやり座っていると、ぎこ ちない、付き合い始めたばかりの恋人達がわしの絵を冷かしにきて、一枚の絵をじっと見 つめた。それは彼女の絵。ただ一枚の人物画。男のほうがわしにふたりの似顔絵を描いて くれないかと声をかけてきた。画家のプライドが頭をもたげたが空腹には勝てない。出来 上がった絵を見たふたりはお互いの顔を見合わせ、とても満足そうじゃった。男が気前よ く支払いをするとふたりはとても幸せそうに寄り添って行った。 それから次々と似顔絵を描いてくれという人がくるようになった。恋人同士が、片思い の男や女が内緒で好きな相手を描いてくれと。これには苦労した。まず見つからないよう に相手を観察しなくてはいかんからな。後でわかったがどうやらわしの描く似顔絵には気 持ちが現れるらしい。もっとも本人だけにしかわからんのだが。この噂は密かに広がって おったようじゃ。ある日、立派な紳士がわしのところにきて妻の肖像画を描いて欲しいと 言った。久しぶりにまともな絵が描けると思いわしは喜んで引き受けた。街はずれに立派 な屋敷を構える裕福な商人だった。紳士の妻は若く美しく、わしのことは何も知らんよう じゃった。 その紳士は絵を描いているところを一度も見ようとしなかったばかりか、出来上がった 絵に覆いをかけるように言った、あとでひとりでゆっくり見たいからと。 変わった奴だと思ったが大金を払ってくれたんで気にしないことにした。それからも似 顔絵を頼む客は絶えることはなくお金も貯まっていった。だが、情けないことにわしの本 職である絵のほうはさっぱりだったよ。 そんな中、わしの人生を大きく変えた事件が起こったんじゃ。 あの裕福な商人の屋敷が火事で焼けてしまい、若い奥さんが焼け死んで、旦那は行方が わからんようになった。妻の浮気に腹をたてた夫が火を放ったという噂が飛びかったが本 当のところはわからんかった。 わしは恐ろしくなって有り金をかき集めると街を離れた。そしてあてもなく世界中を見 てまわった。ただ見るだけ、絵筆はにぎらんじゃった。美しい景色や時間や空間を目の奥 に焼きつけた。 途中とある海辺の村で偶然、子供を抱いた彼女にあった。彼女はわしを見ると微笑んで くれた。いまも絵を描いているかって。幸せそうじゃった。彼女がわしのことをどう思っ ているかは絵を描かんでもわかった。 それからしばらく地上をさまよっていたが、もう一度描きたくなった。有名になるため ではなく、お金のためでもない。自分自身が満足する絵が描きたかった。わしももう先が 長くない年になっておった頃、この館の噂を聞いた。そしてエマに会いにきた。 「画伯の話は面白いだろう?」アルはティモシーに言った。「でも、そんな話だっけ? この前となんか違うような気がする。それになんだか聞いたような話が……」 「ふん、本当に物覚えの悪い奴じゃ。わしの考えごとの邪魔しおったくせに。どっかに行 く途中だったんじゃろ、さっさと行っちまえ!」 「そうそう、魚を釣らなきゃ。今日のスープは物足りなかった」そう言って手をひらひら 振ると出て行こうとしたが、ふと何かを思いついたように戻ってきた。 「画伯はいろんなところへ行ったんだよね。象をみたことある?」 「ああ、あるとも」 「ちょっと、描いてみて。お願い」アルは子供みたいにねだった。 画伯はしぶしぶ描いた。それはまるで見えない人間がすごい速さで筆を使っているよう だった。何もなかったキャンバスにたちまち長い鼻と大きな耳を持った動物が数頭現れた。 「こんなふうなんだ。なんだかつまらない色だね」アルはつぶやいた。 絵をけなされた画伯はすごい勢いで白い絵具を塗るように絵を消しながら怒った声で言 った。 「とっとと消えちまえ!」 アルは悪びれもせずとっとと出て行った。 残ったティモシーはそっと訊いてみた。「あの……画伯は彼女を描いた絵を見て何かわ かったの?」 「わかったさ」画伯は遠くを見つめるように言った。「絵の中の彼女はわしをとても好い ておった。だがそれは愛情にまでは育たなかった」 ティモシーのどがむずむずするのを感じた。フィルが何かを言いたがっている。ティモ シーの口が勝手に動こうとしたとき、エマがやってきた。 「アルを見なかったかい?」なんだか慌てている。 「釣竿もって池に行ったよ」 「お客がきてるんだ。アルを連れてきておくれ」そう言うと急いで戻って行った。 「何かあったのかな」 「ほう、珍しいな。ここにお客がくるなんて。あとで何があったか教えておくれ」 画伯は好奇心が強いらしい。 TOP BACK NEXT HOME Chap.6