8 千年樹と〈小指の枝〉と善悪の魔女 ここからとても遠く離れた人も住んでいない静かで落ち着いた地に大きくて美しい湖が あり、そのほとりにとても長く生きた柳の樹が一本あった。どんな樹でも百年生きると意 識が芽生える。それからさらに長く生きると不思議な力を持つようになり、動けない自分 の代わり手足となる精霊を生み出すようになる。 長生きすればするほど精霊の数も増える。精霊達は自分達を生み出した樹を母親のよう に慕い、悪い虫を退治したり、枯れている葉を落としたり、落とした枯葉を集め栄養にな るように根の周りに敷き詰めたりと喜んで世話をした。それは小さな光る球で、はたから 見れば虫が飛びかっているように見えるかも知れない。満月の夜にガラスのように張りつ めた湖に映し出される、たくさんの光をまとった柳の樹の姿はとても幻想的で美しかった。 大抵の樹は途中で根切り虫にやられたり、雷や嵐に倒されたり、ときには人間に切り倒さ れるので長く生きることは難しい。 だから樹が千年生き残ると誰も知らない地の果てに住む善悪の魔女からお祝いが届く。 魔女はその不思議な力で樹の年齢を知ることができるらしい。そしてその贈り物は樹にと ってかけがえのないものだった。樹は千年生きると寿命が尽きる。その後はしだいに生命 力が抜けていき立派な枯れ木になる。だが魔女の与えてくれる魔法の力はさらに長く生き る力を与えてくれる。もちろん魔女は何の見返りもなしにその力を与えたりはしない。樹 の持っている精霊に百年間の奉公を求めた。 選らばれた精霊は無事奉公を終えると次の百年の生命力を持って帰る。最初の分だけが 本当の贈り物ということになる。そういうわけで千年生きた柳の樹にも魔女からの贈り物 が届き、樹は奉公に出す精霊を選び魔女のもとに送り出した。そして奉公から疲れはてて 帰った精霊を優しくいたわり次の精霊を送り出す。 今回は〈小指の枝〉と呼ばれ一番小さくおっちょこちょいだが誰よりもすばしっこい精 霊が選ばれた。もっとも〈小指の枝〉はその役目をあまり喜んでおらず、先に生まれたし っかりものの〈樹の幹の皮〉や几帳面な〈朝露に光る葉〉のほうが適任だと思ったのだが、 嫌とは言えない。名誉のある仕事だった。 魔女の住む場所は果てしなく遠く、いくつもの山や川、町や村を越えて行かなければな らない。〈小指の枝〉は早くもいままでののんびりと仲間とじゃれあっていた生活を懐か しく思い、まだ始まってもいない奉公にすでにうんざりしながら目的地へ向かった。悪い ことばかりではない。精霊は考えた。奉公から戻ったものは格が上がり大切にされる。そ れに実はほかにも目的があった。柳の樹はとても寂しがっている。仲間を増やし、湖を自 分と同じ柳の樹で囲みたいと願っていた。精霊に自分の枝を渡し地面に刺してもらったり、 根を伸ばし新しい芽を出そうと試みたがどれもうまくいかなかった。〈小指の枝〉は魔女 のところに行けば何かいい方法が見つかるのではないかと期待していた。それを持って帰 ったら柳の樹はとても喜ぶだろう。 目指す場所が見えてきた。そこは荒涼として草木が一本も生えず、生き物の気配のない、 ごつごつとした岩と石でできた高く険しい山だった。その頂上からは白い煙がもくもくと 出ており、ときおりすさまじい轟音とともに山全体が揺れた。その山肌にふたつの洞穴が 隣り合って並んでいる。下から登る道も、上から降りる道もなく人間には決して行けない 場所、その洞穴こそが魔女の住処。片方の洞穴には善の魔女、もう片方には悪の魔女が住 んでいる。 善の魔女は白銀に輝く絹糸のような長い髪を腰までたらし、真珠のようになめらかな肌 をしたしなやかな身体を流れるような白いドレスに包み、顔は大理石を彫ったかのように 美しく、白いまつげが縁取る瞳の色は血の色をしたルビー。ひとかけらの温かみもなかっ た。 洞穴のほとんどを占めている広い仕事部屋の中には岩をくりぬいた棚が部屋全体を取り 囲むようにしつらえてあった。そこには色も形もさまざまなガラスのビンが所狭しと並び、 その中には珍しい色とりどりの花や名の知れない虫や動物、石や砂や金属、液体から気体、 この地上にある全ての美しいものがつめこまれていた。その上、棚には入りきないビンが 床の上に無造作に置かれているが不思議とだらしない感じはしない。 部屋の中央には大きな銀のお盆のような鍋が青白く燃える火にかけられている。その中 には虹色に輝く液体らしきものが煮えたぎり濃厚な甘い香りを放っていた。善の魔女はそ こでさまざまな幸運を調合し、地上のあらゆるところにばらまいていた。 それは道端に落ちているお金を拾う運から、大金持ちになる運、楽しい夢を見る運、た ぐいまれなる美しさを持つ運、好きな人に思いが通じる運、ひどい事故にあいながら怪我 ひとつしない運、願いがすべてかなう運、思いつく限りのすべての幸運があり、人々は気 づかずにそれを拾っているのだった。善の魔女はただ作ってばらまくだけ、そのあとどん な結果になるかなんて考えることはない。いつも新しい幸運を生み出そうと頭を悩ませ楽 しんでいた。 悪の魔女はその正反対の存在だった。もじゃもじゃにからみ薄汚れて灰色になった髪を 腰までたらし、泥水で洗濯しやすりで削ったように擦り切れたドレスを引きずり背中を丸 くして歩いた。ただ、岩を削って作ったような顔についている瞳の色は同じように凍るよ うなルビー、そっくりだった。 こちらの洞窟の造りも隣と同じ造りだが置いてあるものがまったく違う。棚に並んだビ ンには何か恐ろしく、気味悪いものが入り雑然としていて、何年も掃除してないかのよう に埃だらけだった。やはり部屋の中央に使い込まれた大きな鉛の鍋が置かれ中でなにやら 得体の知れないどす黒い液体が、陰気な火にかけられいやなにおいを放っていた。 当然ながら悪の魔女の仕事は悪運をばらまくことだった。それは探し物が見つからない 運から道でつまづきひざから血を流す怪我をする運、得体の知れない病気にかかる運、家 が火事になり一文無しになる運、恋人に振られる運、仲たがいをする運まであらゆる運が あった。悪の魔女は善の魔女より頭がよく仕事熱心だったのでより多くの仕事をしていた が、やはりそれらの運が招く結果を気にしたことはなかった。 ふたりは双子の姉妹。それぞれの洞穴の奥にはふたつの洞穴をつなぐ通路がありその中 間に共有の部屋があった。部屋のちょうど真ん中に岩を削り取ったテーブルがひとつ、そ して向かい合わせにそれぞれの椅子がひとつづつ置いてあり、部屋は線を引いたように真 ん中でその様子を変えていた。善の魔女が座る側はテーブルも壁も床もなめらかに磨かれ ぼんやりと白く光っている。悪の魔女が座る側は岩がむき出しのままだった。部屋の壁の 一面には大きさや形がひとつとして同じでない鏡や時を現す様々な機械が所狭しとかけて あるのだが、それが何を表しているのかわかるのは彼女達だけ。ふたりはそこでそれぞれ 自分の用意したお茶を飲み楽しいときを過ごした。善の魔女はなめらかに磨かれたテーブ ルに水晶のカップに入れた香りのいいお茶を上品に置く。悪の魔女は表面がでこぼこした テーブルに出来損ないの陶器に入った変なにおいのするどす黒い液体を置く。お互いに相 手の飲み物に口をつけることはなかった。それどころか相手の身体にさえふれることはな い。それでもふたりはとても仲のよい姉妹だった。 「あらまあ、あの銀杏の木はもうすぐ千年をむかえようとするのに根切り虫にやられてし まったわ。姉さんの仕業?」善の魔女が時計のひとつを見ながら訊く。 「違うね」悪の魔女はお茶をすすりながら言う。 「あら、あの花がやっと咲いたわ。前から目をつけていたのよ。早速誰かに取りに行かせ なきゃ。ほら姉さん、あそこにさまよえる魂がいるわ。呼び寄せましょう」 「あたしが貰うよ」悪の魔女がボソッと言う。 「そんな、姉さんのところにはいっぱいいるじゃない」 「あんたより仕事しているからいつも手が足りないんだよ」 妹は顔をしかめた。「しかたないわね、でも次はわたしが貰うわよ」 そんな何気ない話をしながら共通の仕事の確認や、相手の話の中に何か新しいひらめき がないか考えるのだった。 〈小指の枝〉は悪の魔女のもとで働くことになった。前任者が善の魔女のもとにいたの で今度は反対ということだ。 魔女が大鍋になにやら得体の知れないものを次々と入れ、ぶつぶつとつぶやきながらか き混ぜると中からどす黒く光る泡がひとつ、またひとつと出てくる。その泡が空中でぽん とはじけると中からゴマのような小さな黒い粒が出てくる、それが悪運の種だった。 魔女のために働くのは〈小指の枝〉のような働く期間の決まった精霊だけではなかった。 永遠に契約しているものもいる。精霊にもいろんな種類がおり、獣のにおいのする精霊や、 心を残しさまよう人間の魂もいる。すべてまとめて使い魔と呼ばれ、それらが地上のいた るところに運の種をばらまくのだった。種は次から次に生み出され途切れることがない。 決して楽な仕事ではなかったが自分から望んでやっているものもいた。 〈小指の枝〉は薄緑に光る球なのだが、皆、それぞれの性質を表す色を持っている。だ が、長くいるにつれ色がにごり、しまいには皆同じような黒く鈍く光る球になってしまう。 そんな精霊もたくさんいた。 悪運の種は粒のくせにとても重い。〈小指の枝〉は小さいのであまり多くは運べないが、 大きくて力の強いものはたくさんの種を遠くまで運ぶかわりになかなか戻らない。いつも 手が足らず大忙しの状態だった。 種を運ぶ使い魔はそれを気まぐれに落として行く。種はそばにいるものや、あるいはあ たりを漂いながら手近かなものに相手を選ばずに取りつく。その力はすぐ現れる場合もあ れば何年後、何十年後という場合もある。またすでに結婚しているのに一生結婚できない 種がつくとその力は無効になってしまうし、恋人と別れたがっているときに恋人に振られ るという悪運にとりつかれ、もはや悪運とはいえなくなってしまう場合もある。良運の種 も似たようなものなので、消滅する運も数多くあった。 〈小指の枝〉はしばらくして自分がどんな役目を持つ種を運んでいるのかがわかるよう になると、こっそり善の魔女の洞穴に忍び込み求めているものをさがした。 ある日とうとう見つけた。それは〈子宝に恵まれる種〉これさえあれば柳の樹の願いも 叶うに違いない。魔女は自分のために種を使うことを決して許さないのでこっそり隠して おいた。 約束の百年が過ぎた。入れ替わりに〈朝露に光る葉〉がやってきた。 「やあ兄弟、久しぶりだね。元気だったかい?」〈朝露に光る葉〉は言った。 「ああ、何とかね。皆は元気かい?」そう言う〈小指の枝〉の色はとてもくすんでいた。 悪の魔女のところに約束の〈百年の生命〉を貰いに行くと、帰りながらまくようにと悪 運の種をたくさん持たされた。 「ずるをして一度に捨てるんじゃないよ。きちんと満遍なくまくように」ねぎらいの言葉 もなかった。 TOP BACK NEXT HOME Chap.8