9 取引 一緒に働いた仲間に別れの挨拶をすると〈小指の枝〉はおお喜びで家路についた。もち ろん、魔女から持たされた最後の仕事とともに子宝に恵まれる運の種をしっかりつかんで。 帰り道は行きよりずいぶん遠く感じた。すっかりくたびれ果てている上に多くの荷物を 抱えている。それでも魔女から言われたとおりきちんとかたよらないように悪運の種をま いた。ただ、もはや自分がどんな種を持っているのか興味はなかった。 半分は過ぎただろうと思うあたりで〈小指の枝〉は一休みすることにした。ちょうど下 のほうに池が見える。故郷の湖に比べればずいぶん貧相で美しくもないが水のそばに行き たかった。水辺に生えた草の葉に腰を落ちつけやれやれと一息ついた矢先、背後に嫌な気 配を感じた。はっとして振り向くとそこにあるのはカエルのぱっくり開いた大きな口。 〈小指の枝〉は気がつくと暗いカエルの腹の中にいた。―― しまった! 油断しちまっ た!―― 精霊達は虫とよく間違えられ食べられる。〈小枝の指〉はカエルが口を開ける のを待ち飛び出そうとしたが、まるで見えない壁があるかのようにはじき返されてしまっ た。――どうしちゃったんだ!―― 〈小指の枝〉はあせった。そのとき真っ黒く光る球 がふんわりと近づいてきた。悪の魔女のところにいる一番古い使い魔だった。 『やあ、お前さんにことづけを持ってきた』そう言って取り出した小さな灰色の球を目の 前でぱちんとはじいた。 そこからでできたのは悪の魔女の声。〈小指の枝〉は冷や汗が出てきた。 『お前さんは約束を破ったね。自分のために種を使ってはいけないと言ったはずだよ』 「自分のためじゃない、柳の樹のためだ」〈小指の枝〉は抗議した。 『同じことだよ。まあ、主人を思う気持ちに免じて持ち帰ることは許してやろう。だが、 罰は受けなくてはいけない。しめしがつかないからね。お前は誰かかわりにそこに閉じ込 められる人間を見つけるまでカエルの中から出られない。いまからその相手をさがすんだ、 ただし騙してはいけない。』 ――まあ、ねえさんったら意地悪ね―― 善の魔女の涼し い笑い声が混ざる。『そのかわりお前がいまもっている種はすべてお前にやろう。好きに 使うがいい。無理にそこから出ようとするんじゃないよ。もしそんなことしたらお前は二 度と柳の樹のところへは帰れない』 ―― なんてこった! ―― 〈小指の枝〉は頭を抱えた。実際に頭を抱えたのはカエ ルだったが。 カエルは単純なのですぐに支配できたが、本能だけは抑えられない。突然カエルの本能 が動き出した。どこかへ向かっているらしい。着いたところは大きな館の中庭にあるベン チの上だった。しばらく待っているとひとりの女がやってきて何も言わずに横に座ると、 袋からお皿を出し、その上に細かく切ったゆで肉とくだいたお菓子をのせカエルの前に置 いた。カエルがその長い舌を出し食べ物を食べるのを気のないそぶりで見ていたが、やが てまるでカエルに言い聞かせるように話し始めた。 「まったく嫌になってしまう、本当に。ここには何も面白味がない、退屈なところなのよ。 いつまでここにいなくてはいけないのかしら。まったくお父様は何を考えているのか。領 主はあんなに年上だというのに。いくらお父様の甥だと言ってもお父様と同じくらいの年 じゃない。見栄えもぱっとしないし、おつむのほうもそれほどよいとは思えないし……」 話はこんな調子で延々と続いた。カエルは食べ物を貰ったお礼なのかそれとも次に貰うた めの儀式と思っているのか、食べ終わっていてもじっとしていた。 女はひとしきりしゃべり、気がすむと空になった皿をさっさとかたづけ、カエルをちら りとも見ずに館のほうに帰って行った。そしてカエルも池に戻った。 そんな出来事が一週間続き〈小指の枝〉にも話の内容がだいたい飲み込めてきた。 あの女は父親が領主の嫁にするために連れてきた娘らしい。領主というのは結構いい年 なのに結婚にまったく興味がない。仕事と狩りが趣味で、周囲から跡継ぎを望まれている のになかなかその気になる気配がない。早くに両親を亡くした領主の後見人として幼い頃 から面倒を見てきた女の父親であり叔父は、自分の娘をどうかと思いそれとなくそばにお いているのだが、お義理で話す程度で相手にはされていようだった。その態度に女はとて も腹をたてていた。女が考えるにはいままではつりあう男性がいなかったけれど、自分も 少し年を取ってしまったから少しは妥協しなくてはいけない。領主の妻でもまあいい。本 当はもっとお金持ちの商人がいいのだけれど。商人は領主よりお金をたくさん持っていて 贅沢に暮せるらしい。だが女が言うとおりなら商人には素性の怪しい年寄りか変人しかい ないから領主のほうがましだという話だった。 〈小指の枝〉が見たところ女はまずまずの美人だが確かに若くはない。その神経質そう できつい性格は顔にも表れている。人を見下す態度を取るところが容易に想像できる仕草、 そして何よりもプライドの高さは一目瞭然だった。 相手にされず女は意地になってる。これを利用できないだろうか? 〈小指の枝〉は眠 りについたカエルの中で手持ちの種を確かめながらゆっくり考えた。 次の日いつものようにベンチで女が出した食べ物をカエルが食べ終わるのを待った。カ エルの本能である食欲は止めることができない。〈小枝の指〉は辛抱強く待った。毎日よ くこんなうんざりした話が聞けるもんだ。だが食べ物がいつまでも出てくるのならカエル は一日中だって聞いていただろう。 ようやく食べ終わった。やれやれ、そろそろ始めるか。〈小枝の指〉はカエルの身体を 女のほうに向けその顔を見つめた。女は気にもとめなかった。 「ご婦人よ。わたしは毎日あなたの話を聞いてきた。わたしならあなたの悩みを解決して あげられるのだが」 突然カエルに話しかけられ女は耳を疑い、凝視した。その隙に話を続けた。 「わたしなら領主をあなたに夢中にすることができる。あなたはまだまだ若く聡明で美し い。わたしがあなたに少しばかり力を貸せば領主はすぐにそのことに気がつくだろう。い かがかな、今度はわたしの話をあなたが聞くというのは?」 女は呆けたように口を開け、大きく見開いた目をカエルから離さないようにしながら急 いで袋の中にお皿を突っ込むと、後ろを振り返らずに逃げるように走り去った。 やれやれ。 次の日もその次の日も女はこなかった。〈小指の枝〉とカエルは辛抱強く待った。そし てとうとう女はやってきた。何もなかったような顔をしていつものように食べ物を置き、 黙ってカエルをじっと見つめた。カエルの食欲が満たされると〈小指の枝〉はゆっくり女 のほうを向いた。 「わたしの話を聞く気になりましたか?」 女は気丈にも平然とした態度を保っていた。「あれからゆっくり考えたの。あなたは話 せるくらいだから何か特別なことができるんだろうって。領主がわたしを好きになるよう にできるの?」 「もちろん」 「結婚したいと思うほど?」 「保障する」 女はしばらく考え慎重に口を開いた。「それで……あなたの要求は?」 「あなたはさすがに聡明でいらっしゃる。簡単なことです。最初に生まれた子供をいただ きたい」ほんのささいなことのようにさらりと言った。 女はその聡明といわれた頭で慎重に考えた。子供は好きじゃない。子供を生むなんて本 当はぞっとする。でも領主と結婚すればそういうわけにはいかない。どうせぼろぼろと子 供を生まなくてはいけないだろう。ならばひとりくらいやったっていいのでは?それで本 当に領主の妻になれるなら。それにたとえこれが嘘でもいまのわたしには失う物は何もな い。女は領主や跡継ぎなどどうでもよかった。いまの自分が一番大切だった。 この結論を出すのにそれほど時間はかからなかった。女はカエルに言った。 「いいわ、その話に乗るわ。で、どうすればいいの?」 〈小指の枝〉はカエルの顔でできる限りの微笑を浮かべた。 「あなたにとても小さな種を渡します。これを領主の飲み物の中に入れてください。そし てこれが一番大切なことです。忘れてはいけません。領主がそれを飲み終わったとき、必 ず目の前にいるように」そう言うと腹から出した黒いゴマのようなものを舌にのせ、女に 差し出した。 女はこわごわとカエルの舌の上から種をつまみあげると、落とさないようにそのままゆ っくり戻っていた。お皿がベンチの上にぽつんと残った。 さあて、カエル君。君には悪いがもう食べ物はもらえないよ。しかたがないさ、おいら を食った君が悪いんだよ。 それから女は忙しくてそれどころではなくなった。すべてがカエルの言うとおりになっ た。女が用意したお茶を飲み終えたとたん、領主の目は女に釘付けになった。いい年をし た男がまるで少年のように頬を赤く染めさえした。 それから話はとんとん拍子に進み、女と領主は結婚した。女はすべてを当然だと思うよ うになり都合の悪いことはすべて忘れた。〈小指の枝〉は思いどおりに運んでいることを 確認すると池に戻った。後は待つだけだ。柳の樹ももう少しくらい大丈夫だろう。 まもなく女は子供を宿した。それがわかったとき、やっと女はカエルとの約束を思い出 した。 なんていうことを! けれどあれからカエルの姿を見ていない。あれは夢だったに違い ない。そう言って自分をごまかそうとした。 〈小指の枝〉はちゃんと知っていたが、女の気が変わるのを恐れて姿を見せはしなかっ た。虫を食べ、飛び跳ね、泥の中を転げまわり、池で泳ぎ、また虫を食べ、眠りひたすら 待った。 子供の誕生を心待ちにしている領主は、妻がお腹が大きくなるにつれ眠らなくなり、ち ょっとした物音にもおびえているのに気がついた。初めてだから神経質になっていると言 う妻の言葉を信じていたが、血走った目の下に大きなくまを作り、一歩も部屋から出ずぶ つぶつつぶやくようになるとさすがにほうってはおけなくなった。 「愛する妻よ、いったい全体どうしてしまったんだ。何か心配事でもあるのか?」 「大変なことをしてしまいました。生まれてくる子供がこんなに可愛いとは思いもよらな かった」とうとう女はひとりでは耐えられなくなりカエルとの取引をすべて領主に話した。 領主はあまりの愚かさに言葉も出なかったが、大事な子供を渡すわけにはいかない。ど うしたらよいか必死に策を練った。 約束の日がきた。その日は朝からぐずついた暗い天気で、本来ならめでたいはずなのに 陣痛に苦しむ女を包む空気は陰気で重かった。領主は産婆のほかには誰も部屋に入れなか った。 風が強く吹き始め、雷鳴がごろごろ鳴り最初の稲妻が走ったとき、女は男の子を生んだ。 産湯につけられきれいになった赤ん坊を女がその腕に抱いたそのとき、しっかり閉めたは ずの窓が突風と共にすごい勢いで開き、一匹のカエルが入ってきた。 「ご婦人よ、約束のものをいただきに参りました。よもやお忘れではありませんな?」そ う言いながら女のベッドに近づく。そばにいる領主やおびえる産婆には気にもとめなかっ た。 カエルは赤ん坊を抱いたままあとずさろうとする女を見据えながらベッドにぴょんと飛 び乗った。そして自分の身体より広げた大きな口で一気に赤ん坊を飲み込もうとした。 領主は驚きのあまり金縛りにあったように立ちすくんでいたが、はっと我に返った。赤 ん坊しか目に入らないカエルにそっと後ろから近づくと、用意していた蛇の皮を縫い合わ せて作った袋をしっかりとかぶせた。危うく手遅れになるところだった。額につたわる冷 や汗を手で拭いながら、袋の口をきつく幾重にも縛った。カエルは中でじたばたと暴れ何 かわめいていたが、袋は頑丈に作ってあったので何を言っているのかわからない。領主は たたりを恐れてカエルを殺すのをやめ、重石をつけて池に沈めた。 産婆はこのことを他言したら命がないと硬く口止めしたうえで大金とともに暇を出し、 この出来事を知るものは誰もいなくなった。 生まれた男の子はフィリップと名づけられ、その後領主と女との間に子供が生まれるこ とはなく、たったひとりの跡継ぎとなった。 いきなり袋に閉じ込められた〈小指の枝〉はまたもや油断をした自分を呪った。カエル はパニックに陥りそのまま深い眠りに入ってしまった。深い池の底に沈みながら〈小枝の 指〉は、必ず約束のものを手に入れると心に誓った。〈小指の枝〉は気づいていなかった のだが袋の中で暴れたときに〈執念〉の種をこぼしたのだった。 TOP BACK NEXT HOME Chap.9