1 シーラの願い シーラは毎夜、裏庭に横たわり空を見上げていた。 流れ星を探すために。 シーラのちいさな家は村のはずれにあり、まわりは牧場に囲まれている。残念ながらシ ーラの家の牧場ではない。豊かな村ではないが良質の織物の生産で名が知られ、もちろん 村の重要な産業だ。シーラは祖母のメグとふたりで住んでおり、両親の記憶はない。シー ラは捨て子だった。村のいちばんの金持ちは羊の牧場主であり織物職人を一手に束ねる地 主で、村のほとんどの女が織子だった。 シーラの祖母も布を織りシーラを育てた。当然、シーラも同じ。祖母はよる年波のせい で長い時間座るのが辛くなり以前ほどの仕事をこなせなくなっているが、いまでも村いち ばんの布地を織る織子だった。シーラは大雑把で辛抱強いほうではないのでまったく織子 にはむいてなかった。しかたがない。祖母とは血がつながっていないのだから。 シーラには恋人がいた。地主の息子、ジェイク。村いちばんのお金持ちの後取り息子。 シーラは若く美しかった。さらさらの長い髪は細い金の糸、瞳の色は人を惹きつける濃厚 なブランデー。肌は透き通るように白く、気性は荒馬のようだった。 ジェイクとシーラは幼馴染。ほかの大勢の子供たちと一緒に野山を駆け回っていた仲な のだが、年頃になり身体にそれぞれの特徴が現れる頃になると、お互いを異性として意識 しはじめた。 シーラはジェイクがほかの男の子たちと違い、田舎の農夫であるにもかかわらず品があ り、やさしく礼儀正しいところが好きだった。やはり育ちがいいのだろう。もちろん見か けはずば抜けていい。 誰もがみな、ふたりは結婚すると思っていた。素性がわからず貧しいシーラだが誰より も美しい。それにジェイクは生真面目で女の子をもてあそぶタイプではなかった。ジェイ クの両親は決してよく思ってはいなかったが、あからさまな態度でふたりを刺激しないよ うに慎重に様子を見ていた。 ジェイクの父親は自分が元気なうちに息子にしっかり商売を学ばせようと大きな町へ出 した。将来のためでもあり、もっと違う世界と違う女性を見せるためでもある。 はじめは何かにつけ帰ってきたジェイクだったが、次第にその間隔がひらいていった。 町の生活や仕事が忙しいという理由だったが、シーラは二人の間に違う空気が流れはじめ たのに気がついていた。 はじめからつり合う相手ではなかった。だけどジェイクは気にしていなかった。なのに、 いまになってシーラを避けるようになり、久しぶりに会ってもシーラをまともに見ようと しない。心はどこか違うところをさまよっている。会えば必ず褒め称えていたシーラの髪 を見向きもしなくなった。結んでも編んでも帽子で隠しても気がつかないようだ。いっそ ばっさり切ってみようかと思ったが、結果はわかっている。試してみても馬鹿を見るだけ だ。 そしてとうとう恐れていたその日がやってきた。ジェイクは村に戻ってきた。両親に紹 介する娘をつれて。 シーラはこそこそと自分を避けるジェイクに激怒した。卑怯者! 堂々と言い訳しなし なさいよ。 村を見下ろす小高い丘で夕暮れの静かなひとときを仲睦ましく過ごすふたりに詰め寄っ た。シーラとジェイクがいつもふたりでいた場所だ。よくもこの大切な場所に違う女をつ れてくるなんて! もちろんジェイクはうしろめたそうにたじろいだ。シーラはその様子に意地悪な喜びを 感じたが、横にいる娘はまるで違う世界の生き物を見るようにシーラを眺めた。 シーラが田舎の娘丸出しの格好をしているのに対して、娘は町のいいとこのお嬢さんそ のもの。まるでジェイクの屋敷の客間にある暖炉の上に飾ってあった外国製の陶器の人形 のようだ。一度入っただけだったが、あのときはずいぶん居心地の悪い思いをした。この 娘だったら自然にくつろげるのだろう。そう思うとなおさら惨めに思えた。そういえば町 の娘につき添ってきていた女中でさえシーラのよそ行きの服よりずっといい服を着ている。 娘は無邪気な顔でジェイクに尋ねた。「この方がいつもあなたが話していた人ね?」横 で青ざめるジェイクを無視して続けた。「いつもつきまとわれて迷惑してるって」 シーラは怒りのあまり頭が真っ白になった。声を出すこともできず、ただ口がパクパク と動くのを感じた。まるで釣り上げられた魚のようだ。息を止め、つぎに大きく吸う。や っとまともに呼吸ができるようになると娘を横目で睨みつけジェイクににじり寄った。ま るで暴れ馬をなだめるような仕草をするジェイクを殴り倒すとうしろを振り返らずにいっ きに丘を駆け下りた。頭のなかは空っぽで何も考えられない。 その日から毎夜、流れ星を探している。願いを叶えるために。 願いを叶えるためには星が消えるまでに三回願いを唱えなくてはいけない。つっかえて も、もごもご言ってもいけない。シーラは短い時間に正確にはっきりと言えるように何度 も練習した。長い文章はだめ。的確で短くないと。 流れ星が願いを叶えてくれるなんて信じている人はほとんどいない。でもシーラはそれ が本当のことだと知っている。祖母のメグは流れ星に願いをかけてシーラを呼び寄せたの だ。 結婚せず、天涯孤独だったメグは子供が欲しかった。そこで流れ星に願いをかけてみた。 その夜はたくさんの流れ星がいっせいに降る夢のような夜だったらしい。前もって心構え などしていなかった祖母は狙いを絞ると「赤ちゃん、赤ちゃん、赤ちゃん」と叫んだそう だ。なのに流れ星はその気持ちを理解した。次の日の朝、目覚めるとベッドのとなりにと ても愛らしい赤ん坊がすやすやと眠っていた。 本当は母親といえるのだが、メグは自分がそれには年を取り過ぎていると思い祖母にな った。 成長するにつれシーラの気性が激しく、いい加減でずぼらなのがわかるとがっかりした ようだった。あのときもっと細かく注文すればよかったと何度も嫌味を言った。だがそう はいっても本当はシーラをとても愛している。それはシーラだってよくわかっている。な んせ赤ん坊の頃からの付合いだ。 毎晩、裏庭の草の上に夜露でぬれないように毛布を敷き、横たわって暗くなっていく空 を見る。口のなかで願い事をぶつぶつと練習する。望んでいるときに限って星は流れない。 ジェイクとうまくいっているときはふたりで数え切れないほどの流れ星を見た。運からも 見捨てられたのだろうか? ついうとうとしてしまった。はっと目を覚ますとまさに流れ星が目の前を横切っている。 とっさに願いを唱えたが間に合わなかった。 「チクショウ!」思わず舌打ちするとせせら笑うような声を聞いたような気がする。い や、確かに聞いた。「クソッ」もう一度舌打ちした。メグに聞かれていたらたしなめられ ていた だろう。メグはシーラが汚い言葉を使うのを許さない。そんな言葉を教えた覚えはないと。 シーラだってメグから学んだわけではない。捨て子のシーラが生きていくには町のお嬢さ んのように上品ではいられない。 「失敗したわ」 「また一晩中外にいたんだね」メグが心配して顔を曇らせる。 「うっかり目をつぶってしまった。クソッ」うっかり言ってしまった。 メグは眉をひそめてシーラを咎めた。「いけない言葉だ。いい加減にあきらめたらどう だい? おまえに言い寄ってくる男はほかにもいるだろうに」 「わたしはこけにされたの。このままではすませない。泣き寝入りするなんてごめんだ わ」 「どんな願いをかけるんだい?」祖母は心配になってきた。 「ちょっと思い知らせるだけよ」シーラはにっこりと笑った。 地主の息子は町の娘とめでたく婚約した。話はすこぶる円満に進み地主夫妻も大喜びし ている。シーラとしてはそんな話は聞きたくもなかったが、ちいさな村のなかで耳をふさ いでいるのは難しい。噂話は最大の娯楽だ。 娘の名はアンナ。町の大きな貿易商のひとり娘らしい。アンナがジェイクにひとめぼれ をして強引に言い寄った。あるいは暴漢に襲われたアンナをジェイクが助け、ふたりは恋 に落ちた。または生まれたときからの許婚だった。あることないこと、どうでもいいこと を村人は同情するような顔をしてシーラの耳に入れその反応を楽しんでいる。シーラは関 係ないと言う顔をしながら胸のなかで悪態をつく。みんな、クソッたれ! こんな底意地 の悪い人々のなかで上品に暮らすのは無理。確かにジェイクは見てくれもいいが頭もいい。 田舎者で素朴で垢抜けなくても……いや、町に行ってすっかり変わった。自分にどうお金 をかけたらいいかもしっかり学んだようだ。 お人好しでやさしい若者だった。きっとそこにつけこまれたに違いない。シーラは恨め しい思いで仲良くよりそうふたりを遠くから眺めた。そう、お似合いのふたりだ。意地悪 く思った。シーラを裏切った男とバカにする女。どっちもどっちのいい組み合わせ。でも そう……許せない! そうして七日目の夜、いつものように、ジェイクと名前も呼びたくない女のことを考え ながら横たわっていると胸騒ぎがした。今日は現れる。なぜかわかった。シーラは空を睨 みつけながら口のなかで願いを繰り返し練習した。何度も何度も呪文のように。 目の隅でひときわ明るい星がシーラを誘うように揺れた。シーラがその星に目を移すと 何事もなかったかのように動かない。シーラは目を離さなかった。まるで我慢比べをして いるようだ。気を抜いたら負ける。いい加減に観念したら? シーラの心を読んだかのよ うに星は小さくブルッと震えるとすごいスピードで尾を引きながら夜空を横切った。 星が消えてもしばらくの間シーラは空を見上げたままじっとしていた。星が消える間際 に「クソッ!」と悔しがる声を聞いた気がする。いや、確かに聞いた。シーラはひとりほ くそえんだ。 次の日、村は大騒ぎだった。みんなが途方にくれている。何万匹といる羊が丸裸で群れ ている。その仕事はまるで熟練の毛刈り人がやったようだった。村いちばんの器用な男で もこんな隅々まできれいに刈り取れまいというほどすべての羊がつるつるしていた。それ もたった一晩で。 「誰がやったんだ!」落ちくぼんた目を血走しらせて地主が叫んでいる。いつも赤らん でいる顔がたるんですっかり色をなくし、はちきれんばかりの太鼓腹はしぼみ、いっきに 百歳ぐらい老けたように見える。「羊の毛はどこに行ったんだ!」誰も答えることができな い。 シーラは予想外の出来事に驚いた。どういうこと? ジェイクを捜したがみつけること ができなかった。 数日のうちに羊の毛は村中総出でいっせいに刈り取られる予定だった。いつもだったら それが終わるとお祭りになる。そのときにジェイクとアンナの婚約披露宴も開かれる予定 だった。今年はこれまでにないほど大きなお祭りになるはずで、振舞われるお酒やご馳走 に胸をふくらませて村人はとても浮き足立っていた。 もちろんいまの村人の足は地面にめり込むほど重かった。お祭りどころではない。村の 存続さえ危なくなってきた。このままではみんな飢え死にしてしまう。 シーラは急いで家に帰ると祖母を捜した。メグはのんきに裏庭で洗濯物を干している。 「シーラかい? たまにはこの毛布も洗わないと」地面に広げたままの毛布をあごでし ゃくった。 「それどころじゃないの! ああ、どうしよう」シーラは天を仰いだ。 シーラの話を聞いたメグは年の割にしっかりした眉をあげた。祖母は髪の毛がすっかり 真っ白だったが背筋はまだしゃんとしており、目には輝きがあった。若い頃はさぞかし美 人だったであろうと思われる名残りが十分に残っている。 「おまえはどんな願い事をしたんだい?」 「それが、違うのよ。わたしはこんなことを望んでいない!」 「で?」 「ただ…『ふたりがうまくいきませんように』って」 メグは首を振りながら空を仰いだ。「なんとも曖昧な願いだね」 「そうかしら? どこが悪かったのかしら?」シーラは首をかしげる。 祖母はやれやれというように鼻を鳴らし、ため息をついた。「まだまだ何か起きそうだ ね。覚悟していたほうがよさそうだ」 「そう思う?」シーラはうんざりした顔で言った。 「ああ、でもなんでおまえはもっと素直な願いをしなかったんだい?」 「素直な願いって?」シーラはとぼけた。 「まったく……」祖母は呆れた顔でシーラを見た。 川の水は川下に向かって流れていく。物事は悪いほうへと流れていく。ジェイクとアン ナは破局を迎えた。これは望んでいたこと。村も破滅に向かって進んでいた。これは望ん でいないこと。 生活の糧を失った村人はなすすべもなく呆然としている。地主は寝込んでしまった。ジ ェイクがひとりなんとかしようと奔走しているが誰もどうしていいかわからない。 アンナは家につれ戻された。ちょうどいいタイミングでもっと素晴らしい良縁が舞い込 んできたそうだ。相手は取引先の大金持ちの商人で当然とても羽振りがよく、やもめで、 実際の年よりずいぶん若く見える年寄りらしい。 もちろん嫌がるアンナだが監禁されてしまい泣き暮らしているそうだ。これも村人の噂。 ジェイクはげっそりとやつれはて、若いのに年寄りのようだ。シーラはどうしてこうな ったのかわけがわからない。 いつもだったら人々が一日の仕事を終え、今日も一日無事過ごせたことを感謝し、明日 もまた無事過ごせることを願うゆったりとした夕暮れのひととき、シーラは村が見渡せる 丘に行った。 そこには肩を落としうなだれるジェイクがいた。 シーラが静かに近づきそっと肩にふれると、ジェイクははじけたように振り向いた。だ が、それが誰の手だかわかると一瞬輝いた目の光がまたたくまに翳っていった。 「君か」そのうつろな声に以前のような力強い快活さは微塵もなかった。 「大変なことになってるわね」ほかに言葉が浮かばなかった。 「ああ、まったくどうなっているんだかわけがわからない」ジェイクは途方にくれてい る。「何か悪いことをしたんだろうか? これは何かの罰なのか?」 まあ、あたっているかも。シーラは思ったがそれでもやましさはある。「どうするの?」 「それがまったくわからないんだ。いろいろ手は尽くしてみた。助けてくれる人はいな い。このままでは誰かにこの村を売り渡すしかない。どうしたらいいかわからないんだ!」 ジェイクは頭を抱えた。「いったいぜんたい羊の毛はどこにいったんだ?」 それについてはシーラにもわからないので正直に答えた。「わからない」 「君を責めているみたいだった。ごめん」 二人の間に沈黙が流れた。 「責められるのは僕のほうだな」ジェイクは擦り切れた革靴を見ながら言った。「僕は 君にひどい仕打ちをした」 「気がついていないと思っていた」シーラの声にはなんの感情もこもっていない。 「怒っているよな。悪かった。僕は浮かれていたんだろう。すべてがうまくいっていた」 ジェイクはためらいながら言葉を続けた。「君のことは好きだった。これは本当だ。だけ どアンナに出会ってすべてが変わった。彼女以外には何も見えなくなった」 「彼女とわたしとはどこが違うの? もちろん育ちが違うのはわかってる」 「そんなことは関係ない」ジェイクはしばらく空を見上げて考えていた。 こんなときでも夕空は壮大で美しかった。落ちる太陽に赤く染められた雲が群れる羊の ように空一面に浮かび輝いていた。 「彼女は親のいいつけを守って育ってきたか弱く上品なお嬢さん育ちに見えるかもしれ ない。だけど意外にもとても強いんだ。芯のしっかりした女性だ。君と彼女は案外似てい るかもしれない。彼女は確かに家柄はいいし金持ちだ。だけど幸せではなかった。ああい う女性は年頃になるといい条件の結婚相手が現れたら相手が年寄りだろうが、ちょっとば かり頭がおかしかろうがかまわず嫁がされる。彼女もそういう運命だとあきらめていた。 だけど僕と出会って逆らうことに決めたんだ。必死の思いで両親を説得した。彼女の父親 から見れば僕は望む結婚相手とはほど遠い。ただの田舎のちいさな地主の息子だ。だが、 母親が後押ししてくれた。娘に自分と同じ思いをさせたくなかったんだろう。しぶしぶだ けれども父親も許してくれた。僕の将来の可能性を期待すると言われ、僕は必ずそれに応 えると言った。なのにこんなことに……すべてなくなってしまった。 彼女は僕を必要としている。僕は立場上、精一杯虚勢を張っている。だけど本当は心細 くて自信がないんだ。いまはただ子供のように泣きたくてたまらない。ここにきたのも誰 にもみつからないようにこっそり泣くためだよ」そう言うと泣くかわりに潤んだ瞳で苦笑 いをした。 確かにこれにはちょっとまいった。ジェイクはいつも自信たっぷりで堂々としていた。 だがまてよ。まだみんなで泥のなかを転げまわって遊ぶほどちっちゃかった頃、群れのボ スはいちばん強いシーラだった。シーラは男の子たちをこき使った。とりわけジェイクは お気に入りだった。ひょろっとしてチビで泣き虫だけど言うことをよくきくし、やさしか った。それぞれが家の手伝いや仕事をしなくてはいけない年になると自然と群れは解散し た。やがてシーラは村いちばんの器量よし、ジェイクはたくましい青年となった。ジェイ クはやはりシーラのお気に入りのままだった。 あの頃から変わってないんだ。大人になり見かけがよくなっても中身は同じ、二人の関 係も同じだったんだ。シーラはジェイクがそばにいてやさしいのをあたりまえだと思って いた。だけどジェイクに守られる必要はなかった。一緒にいたのは生活の延長。ずっとそ うだったから。でもそれはたんなる習慣。感情ではなかった。いや、もちろんいちばん大 好きだ。でも愛情とは違う。 シーラはジェイクを見つめた。大好きなジェイク。でもわたしのものではない。 「きっとなんとかなるわ。きっと……たぶん」 ふたたびシーラは流れ星を探した。前と同じだけの熱意を持って。 そして流れた。 「もとに戻して! もとに戻して! もとに戻して!」 そしてシーラは毛布をたたむと部屋に戻りベッドに入った。ほかにもうできることはな かった。眠りにつく前に流れ星が最後にあげた叫び声を思い返した。 「クソッ! なんだってまた!」そのあと、――パンッ―― ちいさな音を立てて流れ 星ははじけた。 流れ星はまるで生きているようだ。シーラは確かに聞いた。 次の朝、目覚めるとすべてが変わっていた。 地主の納屋の外には入りきれない羊の毛があふれだしていた。家を抜け出したアンナが お付きもつけずたった一人でぼろぼろになりながらジェイクのもとに逃げてきた。アンナ の両親はかわいい娘の熱意に負けて二人の結婚を認めた。たまたま新たな結婚相手の愛人 が嫉妬のあまり刃物沙汰を起こしたという噂もある。 村は浮かれてお祭り騒ぎとなった。 丘の上で村を見下ろすシーラの心は空っぽだった。シーラの望みどおりもとに戻った。 みんな幸せ。だがシーラはひとり。シーラには何もない。 村のみんなを睨みつけると勢いよく立ち上がりスカートについた草をバシバシと払った。 しかたがない。自分で望んだことだ。ぐずぐず思い悩むのはまっぴらだ。下りて行って、 ジェイクとアンナをからかってこよう。きっとふたりは嫌がるだろう。 何日間も村の興奮が続いているのとは裏腹に、さすがのシーラも落ち込んでいた。人前 では決してそんな姿は見せないが、家に帰るとどんよりとしている。すべてを知っている メグはシーラを気づかって何も言わないが、これ以上何かをしでかさないように毛布を納 戸の奥にしまい込んだ。織り機に座り使いものにならない得体のしれないぼろぎれを上の 空で織るシーラを横目で見ながらしばらく放っておくことにした。時間に癒してもらうし かない。辛いだろうがまだ若いし美しい娘だ。もっとお似合いの相手が現れるだろう。 夕餉のあと、誰もがぼんやりする時間、唐突にシーラはメグに尋ねた。 「メグはなぜ結婚しなかったの? とても美人だったはず。いまでもそれがわかる。誰 か言い寄ってくる人はいなかったの?」 率直に疑問を投げかけてくるシーラに思わず苦笑いを浮かべながらメグは言った。 「おまえはねぇ、もっとそう、ふんわりとしたやさしい言い回しはできないもんかね」 「ふんわりってどんな風に?」 「とにかくなんだか問いつめられてるようで、聞き心地が悪い」 「そんなつもりはないんだけど……」 「まあ、いいさ。確かに結婚しなかった。でも好きな人はいたんだよ。約束した人がい たんだ」 初めて聞く話だ。シーラは先をうながすように眉をあげた。 「たまたま村を訪れた行商人だった。いや、まだ若く見習いだった。めったにない大雨 のせいで一週間ほどこの村に足止めされた。そのとき、その行商人はチャンスとばかりに 地主の屋敷に入りびたっていた。まだ先代が生きていた頃だよ。一生懸命地主に商品を売 り込んでいたようだけど駄目だった。まあ、無理もないけどね」 「何を売っていたの?」 「『自動毛はげ薬』とかなんとか言ったっけ。 羊の毛を刈る頃にこの薬を飲ませれば あーら不思議、あなたが目覚めたときにはあたかも羊が自分で洋服を脱いだかのように豊 かな毛が枕元にたたんであるでしょうといったもんだった」 「すごく、胡散臭い」シーラは鼻を鳴らした。 「まったく」 「で、どうなったの?」 「地主に叩き出された。試しに薬を飲ませた羊はお腹を壊して死にそうになるし、夜中 にこっそり忍び込んで毛を刈ろうとした見習いは見つかってしまうし」 「馬鹿じゃないの? よく捕まらなかったわね」 「娯楽のない牧歌的な村の牧歌的な出来事だよ。みんな結構楽しんでた」 「おばあちゃんはそんな人が好きだったの?」シーラは呆れた。 「憎めない人だった。村を出て行く前に傷やら痣やらを手当てしてあげたんだ。地主の ところに織りあがった布を持って行ったときに出会ったんだよ。彼は自分のやっているこ とが十分わかっていた。話術を磨くための修行だと言っていた。それと生活費を稼ぐため のね。どんなほら話でも信じさせることができるような役者になりたいと言っていた」 「詐欺師の間違いじゃないの?」 「そう、どっかずれてる。でもとても面白い人だった。おたがいに惹かれた。またわた しに会いにくると言って別れ、本当にやってきた。へんてこな商売を続けながら。その頃 には村人も笑って彼と話すようになっていた。奇妙なやつだってね。そして本当に彼は役 者になった。最後に会ったのは彼が自分の旅回りの一座を率いてやってきたとき、村のみ んなを最高に楽しませてくれた。彼の役は羊の王。なんだか笑ってしまうよね。でも彼は 本当に格好よかった。まるで別人のようだった。村の娘はみんなすっかりのぼせてしまう し、男たちもやっかみを覚えるほどだった。彼はこれが最後の旅回りにすると言っていた。 都会の大きな劇場を捜すんだと」メグは一息ついて遠くを見つめた。 「それで終わったの? 捨てられたの?」 シーラの言葉に祖母は頭を振ってため息をついた。 「おまえはねぇ…」もう一度大きくため息をつくとあきらめたように話を続けた。「彼 はまた戻ってくると言った。今度はわたしを迎えにくると。……これでおしまい」祖母は 口を閉じた。 「もしかしてまだ待っているとか?」 「まさか! わたしだってそんなに間抜けじゃない。いまもひとりなのはそれからいい 人が現れなかっただけ。でもわたしにはおまえがいる」 シーラは切なくなった。「なんでわたしではなくその人のことを流れ星に願わなかった の?」 「彼は気が変わったのかもしれない。わたしより好きな人ができたのかもしれない。い ずれにせよこなかった。無理やり呼んでやってきてもうれしくはない。わたしもいい加減 年だったし現実的な人間だから子供が欲しかった」 シーラは嘘だと思った。かなり尾を引いている。ああ、まるでわたしと同じ。かわいそ うなおばあちゃん。かわいそうなわたし。わたしもいつか流れ星に赤ちゃんを注文するの だろうか? 部屋に戻る前にそっと訊いてみた。 「その人はハンサムだった?」 「ああ、とても」 「彼の名前はなんて言うの?」 メグは答えなかった。その名前を言うのが辛いのだろう。 シーラは眠れないまま何度も寝返りを打ち、羊を数えたが柵を越える羊が宙返りやあか んベーをしはじめたので眠るのをあきらめた。メグを起こさないようにこっそりと裏庭に 出ると夜空を見上げた。月は満月でそばをたなびく雲をやさしく照らしている。見慣れた 動かない星がシーラに微笑みかける。流れ星はどこから湧き出るのだろう? もう一度願いをかけてみる? 今度はなんと? 願い事はたくさんある。ということは どれもたいしたものではないということなのだろう。もっと切羽詰ったときのために取っ ておこう。もしかしたら願い事の回数にも制限があるのかもしれない。 メグもまた眠れない夜を過ごしていた。さっきの話に忘れかけていた昔を思いださせら れてしまった。いや、忘れようとしただけだ。あのとき、彼を追いかければよかったのだ ろうか? 彼にはやむにやまれない事情があり、きたくてもこれなかったのでは? ああ、 ずいぶん昔の話だ。いまさらどうしようもない。 TOP NEXT HOME Chap.1