10 願いを叶える石


 その昔とてもたぐい稀なる力を持った男がいた。素晴らしく強大な力を持ち、望めば世
界をその手に納めることもできた。だが世界の片隅でその力の虚しさを知り、最後には平
凡でつつましい農夫の暮らしを選び、妻をめとり望みどおり穏やかに暮らした。その偉大
な力をひそかに質素な生活を維持するためだけに使い、自分自身に対して厳しい規律を課
してその力を制限した。だが、それほどの力を持っていてもやはり死からは免れない。自
分の寿命が尽きるのを悟った男はそれを当然として受け入れた。だけどただひとつ、残さ
れる一人娘のことがとても心配だった。年を取ってなした子なのでまだ幼い。母親がいる
し困らないだけの蓄えは残しているのだがこの先何が起こるかわからない。男は妻に自分
の力を明かしてはいなかった。すべてにおいて平凡な女で申し分のない妻だったが、あま
り賢いとはいえなかった。男は悩みながらも娘のためにと最後に持てる力をすべて注ぎ込
んで特別な石をつくった。
 見かけは無骨でどこにでも転がっているように見えるのだがそれは願いを叶える石、こ
の世にふたつとない奇跡の石だった。
 臨終のとき、男は娘を枕元に呼び寄せると石の力を教えた。いい年をした大人でも分別
はない、ましてや幼い娘には物事の良し悪しの判断などつくわけがない。思うがままに自
分の願いを叶えても堕落するだけだ。規律が好きな男は簡単にその力を使われないように
慎重にたくさんの決まりごとをつくった。
 まず石を使うための儀式。石に願いをかけるときは手に持った石を空高く放り投げなく
てはいけない。そしてふたたびその石をつかむまでに願い事を正確にはっきりと三回繰り
返す。一度かけた願いは取り消してはいけない。そんなことをしたら石は消えてしまう。
そうすれば軽はずみに願いをかけることなく慎重に考えるだろう。ほかには人の不幸を願
ってはいけない。石を利用して物を破壊してはいけない。馬鹿げた考えを願ってはいけな
い。事細かに思いつく限りの規律を娘に言い聞かせ最後に締めくくった。
 「娘よ、何より大事なのはまず自分で努力することだ。簡単に望みを叶えようとしては
いけない。そんなことをしたらおまえは堕落する。心から願っているときだけに使うんだ」
 これらを娘の頭に刻み込むと、この特別な石をふたりだけの秘密にして男は永遠の眠り
についた。
 幼過ぎた娘はほとんど理解できないまま石を自分の宝箱のなかにいれ、その教えを頭の
隅に追いやり子供らしい毎日に明け暮れた。
 つぎに石を取り出したのはそれからずっとあと、家庭と家計が切迫した状況に陥りにっ
ちもさっちもいかないところまで押し迫ったときだった。死んだ父親はふたりが贅沢にと
はいかないまでも、堅実に暮らしていけば一生困らないだけの財産を残してくれていた。
ところが夫が死んだあと、まだ十分に若かった母親は言い寄ってきた男の人柄と見かけの
良さに引かれ再婚したのだが、これが大はずれだった。結婚したとたんに誠実とやさしさ
と勤勉の衣を脱ぎ捨て、寄生虫のようにふたりにへばりついた。ぐうたら男は酒と女と賭
博に明け暮れ、外で愛嬌を振りまきながらふたりの財産を食いつくしていった。
 死んだ夫は妻にもいろいろな決まりごとを叩き込んでいた。そのなかに再婚してはいけ
ないというのはなかったが、できない約束をしてはいけない、一度した約束は必ず守らな
ければいけないという立派な教えがあった。そういうわけで母親はろくでなしの男との結
婚を破ることができず、嘆きながらもただ耐えていた。
 その頃には物事の判断がつくほど成長していた娘は、自分たちの置かれた状況が崖っぷ
ちまで追い詰められているのが十分に理解できた。だけどどうしたらいのかわからない。
毎日、思い悩む夜が続いた。
 いつものように眠れないままベッドの上で大きく目を見開いていると、枕もとの小棚の
片隅がぼんやりと光っているのに気がつき、不思議に思い手に取ってみた。幼い頃、子供
らしい感傷で集めたがらくたが入った箱だ。中にはリボンの切れ端やガラスのかけら、き
れいな虫の羽なんかが入っているはずだ。あの頃には大切な宝箱だった。いやそれだけで
はない、もっと何か大切なものが入っている……。それは長い間あまりにほったらかしに
されている石が娘の注意を惹こうと呼びかけたのだった。
 箱を開けると胡桃ほどの大きさの石がぼんやりと光っている。手に取ると光は消えた。
特別にきれいでもない、なんの変哲もない普通の石だ。なぜこんなものを宝箱にいれてお
いたのだろう? 娘はすっかり忘れてしまっていた。ふと衝動に駆られ石を天井に届かん
ばかりに放り投げてみる。石がふたたび娘の手に戻ったときにはすべてを思い出していた。
 娘は慎重に考えた。父親が刻み込んだ教えは娘が賢明であること。娘はそれを守るつも
りだった。そうとは言ってもなんでこんなにこむずかしくしたんだろう。
 石を空高く石を放り投げ、落ちてくるまでに三回願いを唱えるなんて。娘は記憶に残る
父親の顔を掘り起こした。確かに生真面目でこむずかしい顔をしていた。
 思いがけない力を手にいれた娘は似たような石で高く放り投げる練習をしながら、願う
言葉を考えた。
 気持ちのよい天気の日を選んだ。澄んだ空、すがすがしい空気だが、風はない。小高い
丘のひらけた場所に太陽を背にして立つと空を仰いだ。うまくいくのだろうか? 娘は目
を閉じると緊張で震える手が落着くまでぎゅっと握り、ゆっくりと深呼吸した。
 目を開け覚悟を決めると石を空高く放り投げた。
 「彼が母を捨てますように。彼が母を捨てますように。彼が母を捨てますように」
 うまくいった! 娘がふたたび石をつかむまでに少しゆとりがあるほどだった。娘は大
喜びで興奮を抑えられないまま家に走って戻った。走りながら考えた。念のために「永遠
に」という言葉をつけておけばよかった。
 律儀な母は自分からあの男とは別れられない。ならば男に出て行ってもらえばいい。そ
れが娘が出した結論だった。そうすれば母がやましい思いで苦しまずにすむだろう。 
 すべてがうまくいった。願いをかけてみたものの半信半疑だった娘は喜びながらも驚い
た。継父は酒場の女と駆け落ちしてどこかへ消えた。おまえらのつまらない顔はもう見飽
きた。ふたりに最あとの捨て台詞を残して。
 平和な生活を取り戻したふたりはそれから地道に暮らした。娘は必要に迫られたとき、
生活を維持するためにだけに石の力を使い、決して無茶をしなかった。母親は三度目の結
婚を望んだが、娘は石の力でその男が母親を大切にすることを願いそれは叶った。
 いろいろな制約のなかで願いを唱えるのは難しい。願いばかり考えていると生活がおろ
そかになってしまう。娘は考えるよりも身体を動かすほうが好きだし、知らないあいだに
叶えられる願いは実感がわかない。何か違う、達成感や手ごたえがないのだ。不思議な石
の出番はますますなくなっていった。
 娘は普通の人々と同じように人生を送り、年頃になると性格のいい男と結婚した。質素
でつましい生活だったが娘は十分に満足していた。そのまま平凡な一生を送るはずだった
娘の身の上に、普通の人々と同じように不幸が起きた。ある日、まだ結婚して間もない頃、
夫がささいな怪我から感染症にかかり死にかけている。もはや医者もさじを投げてしまっ
た。嘆き悲しむ娘は震える手で願い石をぎゅっと握りしめ空高く放り投げた。
 「彼を助けて! 彼を助けて! 彼を助けて!」
 石は戻ってこなかった。呆然とする娘を残して消えてしまった。

 「そしてわたしはここにいる」星の女王は話を締めくくった。
 「叶えることができない願いもあるの。死は扱えない。ほかにも壮大すぎるものとかい
ろいろとね。万能ではないのよ。だけど、彼女の願いを叶えてあげられなかったのはとて
も悲しかった。わたしは空高く舞い上がり長い間ひとり落ち込んでいた。でもわたし願い
を叶えるためにつくられた、誰かの願いを叶えたい。だからこの世界をつくったの」目の
前のお茶に口をつけるといかにもまずそうに顔をしかめた。「わたしもこの世界をつくる
にあたっていろいろな決まりごとをつくった。そういう性質が身に染みついているから。
だけど決まりごとがないとこの子たちは暴走してしまう。節操がないからね」女王はじろ
りと流れ星を見た。
 横で流れ星が澄ました顔で「ごもっとも」と相槌を打った。
 「この子たちはまあ、わたしが生み出したようなものなのだけどいまではすっかり独立
した存在なの。自分たちで考え行動する。たくさんの流れ星がいるのだけどそれぞれに個
性がある。特にこのシルベスターはそれが強い」
 「それほどでも」優雅な仕草でカップを口に運びながらそっけなく言う。
 「あなたには本当に感心しているの」女王はシーラのほうを向いて微笑む。「この子は
本当に扱いにくいでしょ」
 よくおわかりで。思わず口から出そうになったが問題の男がシーラの足を軽く蹴りけん
制した。
 「僕たちはうまくやっていますよ。実に相性がいい。ところでそろそろ行かなくていい
んですか? みんな女王の登場を待っていると思いますよ」
 「そうね。あなたも楽しんでいってね。普通の人間にはこれないお祭りよ」
 女王においとまをつげるとシーラと流れ星は自分たちで玄関に向かった。あの間の抜け
た男は現れなかった。


                            TOP  BACK  NEXT  HOME                        Chap.10
inserted by FC2 system