12 役者と呼ばれる男 男は町いちばんの立派な劇場の俳優だった。そしてすべてを取り仕切る支配人であり、 脚本家であり演出家であり劇場そのものだった。最初からそうだったわけではない。男が 初めてその劇場の舞台に立ったとき、この劇場は名ばかりの歴史を持つ、老朽化したただ のお粗末な建物だった。塗りの剥げた壁にはひびが入り、床に張りつめられていた絨毯は ところどころめくれ、深紅のフラシ天張りの座席はすっかり色褪せ、悲鳴をあげるように 軋んだ。劇場の持ち主は金持ちなのだが、もはやまともな人間が寄り付きもしない劇場に 新たな投資をするつもりはさらさらなく、朽ち果てるままにほったらかしにしていた。そ れでも取り壊しもせず、細々ながら目もあてられないような三流芝居を続けているのは祖 先からの言い伝えを恐れているからだった。 劇場を壊してはいけない。役者を絶やしてはいけない。芝居をやめてはいけない。これ らを守らなければ大きな災いが訪れるであろうと。 いままでにも維持するだけの収益どころか、経費ばかりかかる劇場を取り壊そうとした 祖先が何人もいた。ところが彼らは決まって病に倒れたり、事故にあったり、悪夢にうな されたりと、必ずひどい目にあったらしい。そんなわけで現在の持ち主は客が入ろうが入 るまいがどうでもよい、とにかく芝居を打ち続けろと言って、劇場を年老いた役者崩れの 男にすっかり任せ、ときどき馬車で前を通り過ぎながら約束が守られているか確認するだ けだった。 劇場を任された男は与えられた雀の涙ほどの予算で屑のような役者を雇い、素人芝居と しかいえないようなお粗末なものをただかたちだけ続けていた。 いつものように雨露をしのぐ酔っ払いしかいない客の前で、やはり同じように酔っ払っ た役者たちがだらだらと話の筋すら酔っ払ってしまったような芝居をする観客席の最後尾 に、ただひとり大きく目を見開いている男が座っていた。男の目は目の前で繰り広げられ ている茶番劇などは気にもとめず、その建物のつくりを眺めまわしていた。拍手もなく野 次もなくよどんだ空気のなかでいつのまにか芝居が終わり、ぼろぼろにほつれかつての色 の面影も留めない泥水につけたような緞帳が下りた。 男は口元にかすかな微笑を浮かべゆっくりと座席を立った。 劇場の年老いた支配人はかつて持っていた芝居に対する情熱をとうに失い、厳しい現実 をしっかりと受け入れることと、逃げることを同時にこなしていた。 観客と同じ、屋根の下にいれるというだけで留まっているくだらない役者たちが早々に 引き上げたあと、支配人は事務室で酒場に繰り出そうか、それともたまにはまっすぐ家に 帰ろうかと考えていた。つけるほどの帳簿もない。戸締りをしようがしまいがこんなとこ ろに入ってくるのはネズミか迷い込んだコウモリぐらいなもんだ。 寄り道をするのも面倒だと机のなかから酒の瓶を取り出したとき、もともと開いている ドアをノックする男がいた。 「なんだ、おまえは? くるところを間違えたんじゃないか? ここには盗るようなも のは何もないぞ」 「いえ、間違ってなどいない。あなたに用があるんだ」 男のたたずまいはきちんとしていて、どこかしら人を圧倒させる威厳がある。背は高く 恰幅のよい肩まで伸ばした褐色の髪はうしろにきちんとなでつけている。礼儀正しく気品 があり怪しい人物には見えない。 「オーナーの使いか?」支配人は口元をゆがめた。「とうとうここを壊す気になったの か?」 「誰の使いでもない。あなたはここがなくなるのを望んでいるのか?」 支配人は胡散臭い目を男に向けたあと、酒瓶を差し出した。 「相手になるか? あいにくだがコップがないんだ」 男はこの劇場で芝居を打ちたいと話した。自分の劇団を持っている。大道具も小道具も 衣装も宣伝もすべて自分たちで用意する。給料は出来高払いでよいから、支配人は入り口 でチケットを売るだけでよいと。 「ここにはもう役者がいる」 「さっき見せてもらった。素晴らしくて涙が出そうになった。このまま彼らが僕たちに 取ってかわっても誰も気がつかないだろう。だがじきにここは生まれ変わる。わたしはこ の劇場に入りきれないほどの観客を呼んでみせる」 支配人は眉間にしわを寄せ、男が口をつけない酒瓶を取り返すと、男をゆっくりと見据 えながら瓶を傾けた。これ以上悪くなりようがない。それに退屈な毎日にうんざりしてい た。 「いまいるやつらを解雇しないとな」 「ああ、残りたいやつは引き受けよう。使いものになるかどうか怪しいものだが」 「いつからはじめられる?」 「準備に一ヶ月くらいかかる。やり残した仕事もあるし会いたい人もいる」 話は決まった。契約書もなかった。 約束どおり男は仲間を引き連れ戻ってきた。そんな話があるもんかと馬鹿にしていた古 い役者たちは自分たちの居場所がなくなることにやっと気がつき激しく抗議した。 支配人は酔いどれの三文役者たちが相手をしているのがただの雑用係ではなく全権を握 っている自分だと彼らに思い出させ、その権限を行使した。支配人は初めてまともな仕事 をしたという満足感を覚えた。かつては自分も芝居を愛する男だった。いつからこんなな さけない人間になってしまったんだろう。支配人の心にちいさな希望が芽生えた。あの男 なら何かやってくれるかもしれない。まあ、いまは海のものとも山のものともしれないた だのどさ回りの旅役者にしか見えないが。 そのどさ回りの旅役者の男はひとりほくそえんだ。思いどおりにことが運んだ。たまた ま通りかかった町のこのおんぼろの劇場に足を踏み入れたのは偶然の出来事だった。だが 建物に入ったとたんに奇妙な感覚に捕らわれた。それは……劇場から両手を広げてあたた かく包みこまれるような心地よさ。 なかでやっているものは目もあてられないような代物。役者もくずなら観客もくず。こ れではさすがに劇場も悲しむだろう。たとえ建物がお粗末でも、天気を気にしなくてよい 屋根があるし、舞台も座席も備え付けであるではないか。もったいない話だ。 男は腕を組んで全体を見回した。この劇場にいると落着く。胸がときめき興奮した。 そろそろ地に足のついた安定した生活を望んでいた。ここで成功して妻を迎え家庭をつく ろう。そのためにもこのチャンスを逃すわけにはいかない。いままで様々な仕事をし、そ れにあわせて様々な自分を演じてきた。そうするうちに役になりきるのは彼の天性だと思 えてきた。自分ならできる。 芝居がはねるとさっそく、責任者に会いに行った。いかにも有能で自信に満ち溢れた男 を身にまとった。 この劇場に男は自分も持てる才能と情熱を惜しみなく注ぎ込んだ。これまで十人そこそ この彼の旅回りの仲間と一緒にすべてをやってきた。大工仕事も裁縫も宣伝もなんでもで きる。彼の仲間たちは変わってしまった生活に戸惑いを覚えたがすぐに慣れた。なかには 仲間内で所帯をもっているものもいる。劇場の近くに住まいを構え、移動せず、地道な暮 らしに落着くと、彼らは新たな将来に希望を持つようになり、さらにいっそう仕事に真剣 に取り組むようになった。もとは世間からはぐれた者たちの寄せ集めのようなものだった。 男に乗せられて集まった烏合の衆だったのがいつのまにか旅をしながら芝居をしていた。 もちろんあわなかったものはすぐに出て行く。だから残っているのは芝居が好きで器用な 者ばかりだった。 男は劇場のなかのほこりにまみれた物置を片付け住み込んだ。支配人は外に家を持って いるので夜は男ひとりきりになる。がらんとして不気味ともいえる劇場を怖いとは微塵も 思わなかった。むしろ長年住み慣れた我が家のようにくつろげた。 男がはじめた芝居は宣伝の効果もあり、すぐに噂となって広がっていった。興味本位で 覗きに来た人々が何度も足しげく通うようになった。劇場がかつてとは違う、まともでき ちんとした身なりの人々で賑わうようになると支配人も生き返ったように張り切った。毎 朝きちんと髭を剃り、よれよれでくたびれた服をしわのないスーツにかえ、真っ白で糊の きいたシャツの襟をピンと立て、靴は顔が映るまでピカピカに磨きあげ、背筋を伸ばして 窓口に立った。 まもなく支配人は劇場のオーナーに劇場の修理、改装を願い出た。かねがね噂を耳にい れていた持ち主は自分の目で確かめるためやっと重い腰をあげた。 男の芝居を観たオーナーは満席の観客と一緒に腹を抱えて笑い、滝のように涙を流した。 芝居が終わり満足げな最後の観客が劇場をあとにすると、薄暗い事務室の破れた長椅子 に座ったオーナーはお互いの紹介もはじまらないうちに、目の前に立っている男に向かっ て言った。 「なぜ、緞帳がないのだ?」 「わたしがここに来たときにあったものは、もはや緞帳といえるものではありませんで した。まるで雑巾を吊り下げているようなものです。あれはこの素晴らしい劇場にはあい ません」 「ここが素晴らしい劇場だと?」オーナーは男を値踏みするように目を細める。横で立 っている支配人はやきもきしながら落着かない様子で手をもみしだいている。 「ええ」にこやかだが、厳粛な面持ちで男は続ける。「そう……、いまはまだそこまで いえないかもしれませんがじきにそうなります。この劇場は着飾った人々でいつも満たさ れます。わたしと仲間たちは彼らの期待を決して裏切らない。するとこの建物のみすぼら しさがかえって目につくようになる。そして誰かほかの……お芝居好きなお金持ちがわた したちのためにもっといい劇場を用意してくれるかもしれない。すると、貴方は大きな損 失をこうむることになる」 「まるでわたしを脅迫しているようにも聞こえる」オーナーは苦虫を潰したような顔を して言った。 「とんでもない。貴方は賢い方だから目の前にある利益をみすみす他の者の手に渡した りはしないでしょう。それにわたしはこの劇場が好きです。ここを離れたくない。だから 貴方に少しばかりこの建物を見栄えよくするよう考えていただきたいと願っています」 オーナーはしばらく黙ってしみの浮き出した天井を見つめていた。 「すべてを一度には無理だ。少しずつ。そう君たちの働き次第、あがった利益の一部を 修繕費として計上していこう。どのみち、この建物を壊すことも芝居をやめることもでき んのだ。ところで君の契約書を見せてもらえんかね。支配人はわたしの許可なく君らを雇 ったようだ」 額に油汗を浮かべている支配人をちらりと見たオーナーはにやりと笑ってつけくわえた。 「もっとも彼にまかせっきりだったから文句を言う筋合いはないのだがな。初めて仕事ら しい仕事をしてくれたよ。さあ契約書を出してくれ」 ないものは出せない。呆れたオーナーは実業家らしく、後日、きちんとした契約書をつ くった。その内容はすべて男の仕事次第でよくも悪くもなるという厳しいものだったが、 男は大喜びした。自分には自信がある。この劇場の後押しがあればきっとすべてがうまく いく。 それにオーナーは気前よく新しい緞帳をつくってくれた。ワイン色の緞帳の生地は上質 とはいえなかったが舞台は見違えるように立派に見えた。まったくよい幸先ではないか。 そして男は成功した。 いまでは劇場はまるで新品のように輝いていた。劇団員も増え、小道具も大道具も衣装 もいまではすっかり専門の職人がつくっている。濃厚なワイン色の重くどっしりとした緞 帳には金のふち飾りがついており、音も立てずなめらかに動く。 あっという間に二十年近くの年月が流れていた。 男はまるで取り憑かれたように働いた。芝居のアイデアは湧き出るように浮かんでくる。 身体が追いつかないほどだ。 大切な何かを忘れている。だがそのことに気がつくのはもっとあとになってからだった。 役者でもある男は舞台にも立つ。はじめからいる仲間が嘆く。身体が昔のようにいうこ とをきかないと。確かにみんなの髪には白い物が混じってきているし、すっかり禿げ上が ったものもいる。そしていまではその子供たちが舞台に立つ。 男は相変らず劇場のなかに住んでいた。もちろん以前とは違い台所からお風呂まですべ てが備わった豪華な部屋に。 夜、ひとりきりになると大きな姿見に向かって自分の姿を確かめてみる。仲間からおま えはなんで年を取らないんだとよくからかわれる。そのたびに看板スターの特権だと言い いかえすだけで、それほど意識したことはなかった。 だが、こうして見ると明らかにおかしい。頭の毛はふさふさとしており、薄くなる気配 も白髪の一本もない。肌のつやもよく筋肉の衰えもたるみもない。どんなに無茶をしても、 疲れが翌日に残ることもなく毎日が元気いっぱいだ。ちっとも悪いことではない。むしろ 喜ぶべきことだ。いつまでも若く、元気でいられるなんて、誰もがうらやむのは無理もな い。だけど……不気味だ。 男は姿見の前に椅子を運ぶとゆっくりと腰を下ろし片方の足首を反対の膝に乗せ背もた れにもたれる。顎に手を添え鏡を見つめた。 「おまえはいくつだ。もう中年といってもいい年ではないのか? なのにちっとも変わ らない、昔のままのではないか。どういうことだ?」心なしか言葉がセリフめいてしまう がしかたない。それよりも、もっと気になることがある。何か大事なことを忘れている気 がしてしかたがない。何かとても大切な約束を……。 じっと見つめていると鏡のなかの自分がにっこりと笑った。 『あなたならやってくれるとわかっていたわ』 鏡の像がゆらめき、ぼやけたかと思うと美しい女性の姿に変わった。 男はぎょっとして立ち上がった。その勢いで倒れた椅子の音が静まり返った建物に響く。 鏡のなかの女性も遅れて立ち上がるが、その動きは男と違って落着いて優雅でもったいぶ っている。 まるで神話の女神のような衣装に身を包んだ女性の顔には大袈裟な化粧が施されていた。 「おまえは誰だ?」囁くような声で尋ねながらも、男にはその正体がわかっていた。ず っと男は彼女と一緒にいたのだ。朝も夜も。彼女に包まれ、守られてきた。 「わかっているでしょうに」艶然と微笑み男に向かって手を差し伸べてきた。 鏡から突き出た手をそっと握ると、まるで額縁の絵が抜け出すように鏡のふちを越えて男 の前に立った。まるで影に彩色を施したようなその姿、感触はまるで霧を固めたように冷 たかった。 「うれしいわ。こうやってあなたと話ができるなんて」女はにっこりと笑う。「わたし はあなたのような人が現れるのを待っていたの。それはそれは長い間」つないだ手を引っ 張って部屋の外へいざなう。 つれていかれたのは舞台の上だった。そこで女は男の手を離すと軽やかにくるっと回っ た。 「すてき!」天井を、舞台の両袖を、そして静かな観客席を見回してため息をついた。 「わたしは昔、ここで輝いていた。誰もがわたしに夢中になった」そして男に近づき、 ぎゅっと抱きしめた。男の身体にはその凍えるような冷たさに震えが走った。 「あなたのおかげでここが蘇った。このわたしの劇場が」 「君が力を与えてくれていたのか」 「そうよ。あなたをひとめ見たときからわかった。あなたにはその才能があると」そう 言うと男に向かって目を細めてにっこり笑った。「あなたはわたしのものよ」 彼女は劇場そのもの。女が姿を現してからはいつも空気のように男のそばにまとわりつ いているのを感じとれるようになった。女は男をとても大切にした。それは愛情にも似て おり、男は喜んでそれを受け入れた。ふたりは一体となってさらに劇場を盛り立てた。男 は駆り立てられるように芝居をつくり続け、成功し、その建物はかつてのみすぼらしい面 影をすっかり消し去り、宮殿のようにきらびやかに飾り立てられ、夜にはまるで蛾を引き 寄せる炎のように光り輝いていた。 男は栄光の中心で輝いていた。 かつての仲間が死んだ。人間が時の流れとともに迎える自然な終わりだった。はじめか ら苦楽を共にした仲間だった。男とそれほど年が違わないにもかかわらず、見た目は親子 以上に離れていた。ほかの仲間はみんな引退し、孫に囲まれ、のんびりした生活を送って いる。死んだのはつれあいもおらず男と最後まで現役でいると語り合った最後の仲間だっ た。 深い悲しみのなかで見回してみると、男の回りにいるのは知らないものばかり。かつて のように気心のしれた仲間といえるものはひとりもいない。みんな男を尊敬しているとと もに恐れている。男は自分たちとは違う、何か違う生き物だというように。 夜も遅く、自分の部屋でひとり酒瓶を傾ける。うしろ向きにして置いてある姿見のほう は見ないようにして劇場で過ごした日々を思い返す。充実した日々だった。男は成功と栄 光を手にした。町に出れば男は畏敬の目を向けられる。女たちは彼の気を惹こうとあの手 この手でよってくる。ある者はヒロインになろうとする。ある者はパトロンを求める。 だが、男はひとりきりだった。 「何を考えているの?」やさしげな声がする。「わたしをここから出してくれない?」 劇場に取りつく女は男にさわらないとこちら側にこれない。 「どっかにいってくれないか? ひとりで考え事をしたいんだ」 「無理よ。わたしの居場所はここだもの。新しいお芝居のこと? 新しいあの女の子は やめさせたほうがいいわ。あんなくさい芝居見ちゃいられない。それにあなたに馴れ馴れ しすぎる」 「黙っていてくれないか! それはわたしが決めることだ」 女は沈黙した。しばらくすると男の様子をうかがうように囁いた。 「どうしたの? 何があったの? あなたおかしいわ?」 「わたしがおかしい? そうだとも! わたしはまったくいかれてる。わたしを見てみ ろ。仲間が次々に死んでいくというのにわたしは変わらない、昔のままだ。やがてみんな がいなくなってしまう。わたしはひとり残されなにも残らない」 「何言ってるの。わたしがいるわ。それにこの劇場があるじゃない」 「ああ、君がいる」男の声は苦々しく響いた。 「わたしをここから出して。あなたを抱きしめさせてちょうだい」 男は黙って部屋から出て行くと、寒々とした外に出た。 それからしばらくは何も変わらないように過ぎているように見えた。以前の情熱を失っ たものの男はきちんと仕事をこなした。ただ、姿見はうしろを向いたまま、姿を見ずに話 しをする。女の要求にはきちんと耳を傾けた。それはもっぱら壁の色を塗り替えて欲しい だの、汚れた椅子を張り替えて欲しいなど、まるで女性が新しいドレスや靴を買ってくれ と言うようなものだった。 男は新たに雇い人をいれた。役者ばかりでなく事務をする者、その者たちに仕事を任せ るようになると舞台にも立たず寡黙になっていった。 ある日、オーナーに話があると男から連絡が入った。年を取り引退したオーナーは息子 にすべてを譲り、悠々自適の生活を楽しんでいる。そしていまでは男の芝居を欠かさず観 るほど入れ込んでいる。息子はそれほど芝居好きでもないが、それでも劇場を維持すると いう伝統はしっかり守っていた。以前のみすぼらしかった時代など知らないし、いまや大 きな利益をあげる劇場をどうかするつもりなど露ともなかった。わずらわしい経営は男が すべてやってくれる。男にすっかりすべてを任せオーナーの息子は遊び呆けていた。 「いったいどうしたんだ。話なら劇場でもできただろうに。わしは毎日のように足を運 んでいるんだぞ」オーナーは顔をしかめながらいった。口ではそう言いながらもオーナー は劇場で男に会うのを避けていた。 「息子は元の支配人を迎えに行っている。すぐにくるだろう。みんなを集めて何か重要 な話でもあるのか? どうだ、いっぱい飲むか?」 オーナーはグラスにブランデーをつぎながら、勧めた椅子には座らず窓辺で外の景色を 眺める男を盗み見た。屋敷の前にある大きな楓の樹は冬に入る準備をしていた。 この男はちっとも変わらない。シミの浮き出た自分の手を見ながら思った。相変らず背 筋を伸ばし、堂々とした居住まい、いまにもその口から深くよく通る声で気の利いたセリ フが飛び出しそうだ。オーナーはこの男と劇場を恐れながらも惹きつけられずにいられな かった。 「君は変わらんな、まったく。何か特別な秘訣でもあるのかね?」 男はゆっくりと振り返ると首をかしげ片方の眉をあげた。「貴方のほうがその秘訣とや らを知っているんじゃないですか? ああ、ふたりが着いたようだ」 間もなくオーナーの息子とすっかり足が弱ってしまい杖に頼らないと歩けない元支配人 が部屋に入ってきた。 「久しぶりだな」男は腰の曲がった支配人に寂しげな顔で挨拶した。 一同はオーナーに勧められるままに腰を下ろしたが、顔を見合わせようともせず、メイ ドがお茶を置き下がるまで黙り込んでいた。 「それでこうやってみんなを集めた訳を聞かせてもらおうか?」オーナーが口火を切っ た。 「あの劇場のことを訊きたいのです。あの劇場にまつわる話をすべて」男の声は深く落 着いていた。「わたしがあの劇場を初めて見たとき、あそこはいつ壊されてもおかしくな い状況だった。貴方はあそこになんの関心もなかった。お金ばかりがかかる邪魔なものだ ったはずなのに、かたちばかりに屑のような芝居を続けていた。なぜですか?」 オーナーはどうしたものかと考えあぐねているような神妙な顔をしていた。 「父さんは僕にあの劇場はどうあろうとも続けなくてはいけないといったよね。そして あの劇場を壊そうとした祖先がどんな不幸に見舞われたかも教えてくれた。だけどそれ以 上は何も言ってくれなかった。僕も知りたいな、何かいわくがあるなら」息子は単純に面 白がっている。 まるで干からびた置物のようにじっとしていた元支配人がかさついた声でオーナーに話 しかけた。 「貴方はわたしにまかせっきりであの劇場を避けていた。実際、あの頃は陰気で湿っぽ い嫌な場所だった。私自身うんざりしていた」ここで口を湿らすように震える手でお茶を 一口飲み、男に微笑んだ。「だがこの男が足をいれたとたん劇場の空気が変わったの。そ う……よどんだ空気が払われはなやいだ雰囲気に満ち溢れた。劇場はこの男を待っていた んだと思ったもんだよ」これだけの言葉でどっと疲れたように長椅子に沈み込んだ。 「君もあの劇場になにがあるか知らないんだな?」男は元支配人に話しかけた。 「ああ、役者崩れのわたしはただあそこに置かれているだけだった。だけど、あの劇場 から嫌われているような感じがしていた。君のようにあそこに住み着こうなんて死んでも 思わなかったな」そして考え込むように言った。「ときどき何か気配を感じるんだ。イラ イラしているような、睨みつけられているような。いたたまれなくなって劇場から出よう としたがなぜか引き戻される。相手もしかたないという感じだったな」 元支配人はかなりわかっていたんだ。自分がきて劇場から解放されたわけだな。男は苦 々しく思った。 「そう、そしてわたしがいまあの劇場に捕らわれている。昔何があったのかを教えて欲 しい」男はオーナーに有無を言わせぬ口調で詰め寄った。 「君はあの劇場にずいぶん入れ込んでいたではないか? 君のおかげであそこはどこに も負けない素晴らしい劇場になった。それは君が望んだことではなかったのか?」 「ええ、そうです。確かにわたしは一旗あげようとこの町にきてあの劇場に足を踏み入 れた。ああ、ずいぶん昔のことのように思える。だけど違うんだ。こんなふうになるのを 望んだわけではない。わたしは大切な何かを忘れてしまっている。それが思い出せない。 あそこから出ようと思ってもあいつはわたしを離してくれない」苦悩のあまり興奮して立 ち上がる男をみんなは目を丸くして見た。 こんなときでもまるで悩める男を主題にした芝居を観ているようだとオーナーは密かに 思ったものの、いい芝居ほど共感を呼ぶ。男の苦悩はオーナーの心にも移った。 「君はあの劇場に捕らわれているのだな」おもむろに話す口調はやはり芝居じみている。 「そうだ、あの女はわたしを利用している。すべてはあの忌々しい劇場のために」 ふたりの芝居を観る観客の役割を振り当てられた息子と元支配人は心ならずもわくわく した興奮を覚えた。目の前で深刻な劇がはじまる。こんな機会はめったにない。 「あの劇場はあるひとりの女のために建てられたものだと聞いている。わたしの曽祖父 はある女優に入れ込んで、とうとう彼女のために劇場まで建てた。だがそのときすでに曽 祖父は結婚していたし、妻と別れてまで一緒になる気はなかった。彼女に残されたものは あの劇場だけだった。君はその女優を見たのか?」いまやオーナーは立ち上がり深刻な面 持ちで男に話しかけている。 「ああ、話もしている。その女優はどうなったんだ? その……最後は」 「だんだん年を取り、化粧で化けるにも難しくなるとだんだん気難しく扱いにくくなっ ていった。あとじまいをしていたひとりの掃除人が若かりし頃の、そう、彼女が絶頂期の 衣装を着て鏡の前で微笑んでいるのを見たのがを最後らしい。彼女は消えてしまった」 「いつまでもヒロインでいたかったのか? 愚かな。年をとってもその年齢にあった素 晴らしい役柄がある。それが芝居を引き立てるのだ」 オーナーは男の姿をまじまじと見ると口を開いた。「君がそう言ってもなあ」首を振り ながら話しを続ける。 「それを機会に曽祖父は劇場を閉鎖しようとした。くたびれた年寄りのヒロインの芝居 を観にくるもの好きはそういない。その頃にはあの劇場はもうやっかいものになっていた。 お金がかかるばかりでなんの魅力もない。ところがそうはいかなかった。ある夜、曽祖父 が導かれるように劇場を訪れ女優の楽屋に足をいれたところ、正面に大きな鏡が置いてあ った。思わず覗き込むとそこには派手な化粧をして着飾った女優がまるで恋人に会えたの を喜ぶかのように微笑んでいた。曽祖父は思わずあとずさりし逃げようとしたが金縛りに あったように動けなかった。女が鏡から差し出す手からやっとで逃れると女はむっとした 顔をして曽祖父に告げた。この劇場を壊そうなんて気を起こしたら許さない。そんなこと をしたら末代までも呪ってやると。女が消えると曽祖父は震えながら家に帰った。それか らも何度か劇場を壊そうと試してみたが、ちゃんとひどい目にあった」 「どんな目にあったの」息子が好奇心一杯で尋ねる。 「原因不明の高熱。悪夢。身体が動かなくなる。階段から落ちたというのもあるな」オ ーナーは考えながら言った。 「父さんも試したことはあるの?」 「ああ、一度な。体中にぶつぶつができて痒くて死にそうな思いをした」 「ぞっとするな。それよりなんで僕にそんな大切な話を教えてくれなかったの」 「いずれは話すつもりだった。あそこはいますこぶるうまくいっている。壊す必要など なくなっていた。」ちらりと男のほうを見る。「だが状況が変わりつつあるようだ。君は どうしてもあそこを出たいのか?」 「さっきも言ったがわたしは何か大切なことを忘れている。それを取り戻したいんだ。 だがあの女はわたしを離さない」眉をひそめて考える。「誰か……わたしのかわりになる ような者をみつければいいだろうか?」独り言のようにつぶやく。 「君は稀にみる素晴らしい仕事をした。それに君はとても魅力的だ。彼女は君自身が気 に入っているのだと思う。難しいかもな」元支配人が気の毒そうに言う。 「わたしはもともとそれほど冴えていたわけではない。見かけも並みのちょっと上とい うところだ。ほとんどがはったりだった。まあ、いまもだが。いまのわたしをつくり上げ たのは彼女かもしれない。だとしたら本当のわたしはどこにいったのだ?」 芝居じみたセリフは新しいお茶のポットを持ってきたメイドの登場で水を差された。 「とにかくわたしは劇場をやめる。あとのことは貴方に任せたい」 「わたしはもう引退している。それを決めるのは息子だ。だが彼女が君をそう簡単に手 放すだろうか?」 男は忌々しげに眉をひそめる。「ああ、彼女と話し合って決着をつける。君はいいかな?」 オーナーの息子に訊いた。 「しかたないんだろうな。君を見てると気の毒に思えて駄目だとは言えない。その彼女 が気に入るようなかわりがいるといいんだろうが」 「君はどうだ? 君は彼女が愛した男の子孫だ。きっと似ているだろう。彼女は喜ぶか もしれない」 「冗談はよしてくれ。恐ろしい化物に取り憑かれるなんてごめんだ。それに僕は何度も あの劇場に足を運んでいる。そう親父もだ。それなのに何も感じなかった」それから思い ついたようにつけくわえた。 「このまま逃げてしまえばいいんじゃないか?」 「何度も試した。それができないんだ」男は陰鬱な顔で笑った。 いつものように幕が降り、つかの間の夢に包まれた観客が興奮冷めやらぬ様子で町の雑 踏のなかに散らばっていく。最後の従業員が劇場の戸締りを終えると事務所にいる男に報 告し帰る。夜間の警備員は置いていなかった。まるで劇場は難攻不落の要塞のようにどっ しりとそびえていた。 男は身仕舞いを正すと自分の部屋に向かった。 姿見は部屋の片隅にある小道具のついたてのうしろで鏡面を壁に向けて置いてある。そ ちらのほうにうんざりとした目を向けると、意を決したように足を向けた。 「ふん、ずいぶんな扱いだったわね」女は怒りまくっていた。「これでもわたしはあな たに敬意を払っているのよ。わたしはこの劇場にある鏡のなかならどこへでも姿を現せる。 でもあなたがわずらわしいだろうと思って遠慮しているのよ」 「知っている。鏡を見ていると、ときどき君の影が見える。それにこの劇場のすべての なかに君がいる。君はこの劇場そのものだからな」 「そうよ。この劇場はわたしだけのために建てられた。すべてがわたしのもの。そして あなたもね」女はにっこり笑った。 「よしてくれ」男は吐き気がしてきた。「わたしがここにやってきたのは芝居をするた めだ。芝居で身を立てるためだった。君に奉仕するためではない」 「ええ、あなたは素晴らしい芝居をした。でも、それが自分ひとりの力だと思っている の? とんでもない。あなたはちょっといかしたどさ回りの三文役者でしかなかった。わ たしがあなたをより素晴らしく気の利いた男にしたのよ」 「はったりをより強化してくれたわけだ」 「そうね。まあ、もともと素材が悪くなかったわ」 「礼を言うべきなのか? だがそれ以上に君につくしてきた。このへんでわたしは退場 しようと思っている。この建物は君自身なのだろう? もう十分美しくなった。誰もが素 晴らしいと褒め称えている」 「駄目よ!」女は金切り声をあげ取り乱した。「まだまだよ! まだあちこちに手をい れないといけないところがある。化粧室の鏡はもっと大きなものに取りかえないと。それ に緞帳に金糸の刺繍をいれたいわ。それに……」女の声はだんだんと夢見るような囁きに なっていったがふと我に返り、男に媚を売るように微笑みかけた。「あなたはわたしのも のよ。あなたもいい思いをしてきたはずよ。わたしのなかにいる間は年を取らない。いつ までも若く美しい姿のまま。みんなから褒め称えられ、素晴らしいと思われたのはあなた、 わたしではない。そうでしょ? ここにいればそれはずっと続く。あなたはいつまでも永 遠のスター。この劇場の入り口に銅像を立てるのもいいわね。ついでにわたしの像を横に ならべてもいいわ。すてきだわ。そう、わたしの姿をみんなが見ることができる」うっと りしている。 うんざりだ。「遠慮しとくよ。君ひとりで立つがいい。それに君がなんと言おうとわた しはここを出て行くつもりだ。問題はそう、ここを離れられない。どうすればいい?」 「無理よ。あなたはわたしにふれた。わたしの一部になった。もう離れられないわ」 「すべてはこの鏡を覗いたときからはじまった」男は意地の悪い笑いを浮かべる女の姿 を映すだす姿見を見据えた。 その瞳に宿る恐ろしい光に気づき女はたじろいだ。「やめて! そんなことをしてもな んにもならない。わたしはこの劇場のなかすべてにいる」 男はもはや限界だった。「もう一度言う。わたしを解放するんだ!」 「いやよ。あなたを愛しているの」すがるように言った。 「君はあまりいい役者ではなかっただろう? なりきれていない」そう言い捨てるとき びすを返して部屋を出て行った。 劇場のなかは数多くの鏡がかけられていた。別名『鏡の劇場』と呼ばれるほどに。 男は楽屋裏に行くとハンマーを手に取り、片っ端から目につく鏡を壊しはじめた。砕け た破片のなかにこまぎれになった女の苦悶する表情が浮かぶ。がらんとして冷たい空気の なか、男の振るうハンマーが砕く鏡の音が響く。永遠に続くかと思われるほどの時間が過 ぎ、とうとう最後の一枚を残してすべてがキラキラと輝く破片となり劇場の床を埋めつく した。 肩で息をして額に汗を浮かべた男は、手の汗を上着にこすり付けて拭き取り、ハンマー をきつく握りなおすと自分の部屋にゆっくりとした足取りで戻った。 姿見のなかで女は男を睨みつける。いつもの取り澄ました姿は影をひそめ、鋭い鉤爪の ついた手をこわばらせながらいまにも男に襲いかかろうとする。その顔は憎悪で醜くゆが みもはや人間とはいえない悪夢に出てくる化物だった。 「ほう、このあいだやった芝居の夢魔のようだな」男は落着いた声で言った。「最後に は退治された哀れなやつだ」 「うるさい! この恩知らず! これほどの目をかけてやったのに、恩を仇で返すとは」 「お互い様だろ? 何度も言った。おとなしくわたしをここから出してくれればいいん だ」 「あいつもそうだった。わたしをきれいだ、素晴らしい、わたしの宝物だと言いながら、 いつも自分の家に帰って行った。そして最後にはこの劇場を取り上げようとした。わたし がちょっとばかりセリフを忘れたときに」女はいつしかいつもの着飾って澄ました姿に変 わり夢見るように話し出した。 「わたしはとてもきれいだったのよ。みんながわたしをひとめ見ようとこの劇場に押し 寄せた。楽屋は贈られた花の香りでむせ返りそうだった。たくさんの男たちに結婚を申込 まれた。でも舞台がわたしの居場所だった。わたしが輝く場所、みんながわたしを望んで いた」 「幻想だ。君がほかの男と結婚しなかったのはこの劇場を失いたくなかったからだろう? 君はここにいる限りみんなの賞賛を受け続けられると錯覚していた」 「すべてが手のなかから少しずつこぼれ落ちて行く。最後に残ったのはこの劇場だけだ った。この劇場はわたしのために建てられたの。わたしだけのために。決して誰にも渡さ ない」女は瞳をぎらぎらと輝かせて鏡のなかから腕を伸ばしてくる。「ねえ、わたしの手 を取って。ここから出して。やり方を間違えたんだわ。もう一度話し合いましょう。あな たにもっと自由をあげる。あの女をここに呼んでもいいわ」 「あの女?」 「そう、あなたは忘れてしまっている。わたしがそうしたんだけど。邪魔だったのよ」 「何を言っているんだ?」男は眉をひそめ女を凝視した。 「もっと近づいてちょうだい。そうしたら教えてあげる」女は狡猾に微笑んだ。 「やめろ! もう騙されない。おまえはこれでおしまいだ。どっかよその舞台を探すん だな」男はハンマーを振りかぶった。 恐怖にひきつった顔を貼り付け女は最後に声をふりしぼって叫んだ。「おまえも道ずれ にしてやる」 「その魔物は溜め込んでいた怨念をいっきに吐き出し劇場を吹き飛ばしたの。こっぱ微 塵に」星の女王が落着いた声で話す。「そしてこの男も吹き飛んだ。ところがたまたま通 りかかった流れ星にぶつかって拾われた。運がいい男だわ。ホレスターは ―― ぶつか られた流れ星ね―― どうしたもんかと考えたんだけどこの男のなかにスターの気配を感 じた。だってこのひとは役者の仲でも特別なスターだったんですものね。だからとりあえ ずここへ、わたしのもとへつれてきた」 「あなたはこの人のことをそれだけよく知っているんだから元の場所に返せたでしょう に。なぜここに置いたの?」シーラは納得できない。「メグとのこともわかってたんじゃ ないの?」 女王は優雅にお茶を飲むと考えるように言った。「そうね。ちょっとばかり頭のなかを 覗いたから知らないわけではなかった。でも……」ゆっくり言葉を切るとメグにやさしく 微笑んだ。「あなたはおばあさんになってた」 メグが呻き声をあげるとうつむいた。 「でも、あなたならなんとかしてあげられたんじゃないの?」 「そう、だからわたしはこの人の記憶を消して、不自由のないようにそばにおいて面倒 をみているの」気安く男の頬を撫でる。 「間違ってる! そんなのおかしいわ!」シーラはむかついてきた。 「ほう、わたしに喧嘩を売ろうって言うのかしら? シルベスター、あなたはずいぶん 威勢のいい、礼儀知らずなお嬢さんを連れてきたのね」 何も言わず苦笑いをしているシルベスターを睨みつけながらシーラは食い下がった。 「あなたにはやさしさや情けっていうものがないの? ここにいるメグを見て何も感じな いの?」 メグは顔をあげて役者と呼ばれるかつての恋人の顔を見つめていた。まるで見つめてい れば男の記憶を呼び覚ませると信じているかのように。なのに男はぼんくらなままだった。 「わたしにただ、何か望もうって言うのはルール違反だわ」女王は澄まして言った。 「この世界では願いを叶えるためにはきちんとした手順を踏まなくてはいけないの」 「手順?」あっけにとられたシーラの腕をシルベスターがつかんで立たせた。 「そろそろ時間ではないですか?」と女王に話しかけシーラとメグを外にうながした。 「そうそう、いまから素晴らしい今宵の最後を飾る、流れ星たちによるレースがはじま るのよ。それはそれは壮麗で見事なものよ。わたしは開会の準備があるからここで失礼す るわ」そう言うと引き止める間もなく役者を従えさっさと部屋から出て行った。 「ちょっと……」呆然とするシーラとメグを残して。 TOP BACK NEXT HOME Chap.12