16 メグの願い


 ふたりはいきなり扉の前にいた。こんなに簡単に移動できるのならあんなに階段を上り
下りする必要はなかっただろうに。シーラの苛立ちを読んだようにシルベスターが言った。
 「女王は手順を大切にするんだ。きっといまは急いでいるんだろう」
 ノックもせずにいきなり扉を開ける。なかに導く執事はもういない。
 入った部屋は書斎のようだった。がっしりとして大きなマホガニーの机の上にはペン立
てとインク壺がきちんとならべられ、まるで仕事の途中だとでもいうように書類が広げら
れている。そのうしろにはどっしりとした石造りの暖炉があり、その上の壁には悲しげな
顔をして空を見上げる女性の肖像画がかかっていた。どこかで会ったような気がする。肝
心の女王の姿はなかった。
 「人を呼びつけておいて、まったくどこかしら」
 「ここにいるわよ」女王は何かぶつくさいいながら火のついていない暖炉の灰をかき回
していた。
 「お呼びですか、女王?」シルベスターは座ったままの女王の背中に話しかける。
 「まったく。前代未聞だよ」女王はやっと腰をあげると振り返った。機嫌がとても悪そ
うだ。頭から湯気があがっている。
 「さっきもそんなことを言っていましたよ」シルベスターは相手にしない。
 あのふたりがいない。あたりをきょろきょろ見回すシーラに「ちゃんといるわよ」女王
は言った。ここの人たちは人の心を読めるのか? 顔をしかめるシーラに「君はわかりや
すいんだよ」今度はシルベスターが言う。シーラの顔はますます険しくなる。
 「まあ、落着いて座って話を聞かせて下さい。ここにいるシーラがあなたに掴みかかる
前に」そう言いながら机の正面にならべられた椅子にシーラを座らせ自分もゆったりと腰
を下ろす。女王はイライラとした様子で机の前に陣取り、机の上でとんとんと指を打つ。
まるで木に石を打ちつけるような音がする。
 「ふん、いつもながらおまえのその澄ました態度には苛つかせられるわね」女王はシル
ベスターを睨みつけた。
 「あなたが生み出したんですよ」シルベスターはまるで心外なことを言われ傷ついたよ
うな顔をする。「で、彼は何を願ったんですか? あなたがそんなに困るようなこととは?」
興味津々に身を乗り出す。
 「『もう彼女のそばを離れたくない』と言った。どうやらあいつは何もかも思い出した
らしい。よく考えもせずにいきなりそう言った。あいつはあほだ」
 「ずいぶんと漠然としてますね。それであなたはそれをどう解釈するんですか?」シル
ベスターが面白そうに言う。
 「そのとおりにするまでよ」
 「例えば彼を彼女に糊でひっつけるとか、瘤にして身体の一部にするとか?」
 シーラは息を飲んだ。まったくこいつらときたら! 思わず椅子を蹴って立ち上がろう
としたシーラをシルベスターは笑いながら押さえた。
 「冗談だよ。女王はとても慈悲深いんだ」
 「もう!」女王は机の上で頭を抱えた。「このままだとわたしはつるつるとしたきれい
な石になってしまうだろうよ」
 「いいじゃないですか。つかみにくくなる」シルベスターがなだめるように言う。
 「ふたりは隣の部屋で話している。懐かしい再会の喜び、ちょっとした意見の交換、調
整、今後の見通し、計画、その他もろとも、あらゆる議題を検討する時間を取らせている」
事務的に言う。
 入ってきた扉を開けると応接室になっていた。長椅子に座っているのは役者と呼ばれた
男とうら若い美女。ふたりは向き合ってお互いの手をかたく握り、熱いまなざしで相手を
焼きつくすかのように見つめあっている。言葉はない。まるで頭のなかで会話をしている
ようだ。
 「おほん」女王が二人の注意をうながす。
 「シーラ!」美女が駆け寄りシーラを抱きしめる。
 「メグ!」あまりの驚きに呆けたようになってしまった。シーラよりもともと背は低か
ったが、前よりは頭が高い位置にある。豊かで栗色の輝きを取り戻した髪をいつもように
実用的に結い上げ、身体は肉付きがよくなり弾力がある。
 「ああ、彼がすべてを思い出したのよ」その声は確かにメグだが若々しく張りがある。
その彼はふたりをあたたかく見つめている。腑抜けのような雰囲気はなくなりきりっとし
て別人のようでりりしい。
 「ええ、そう聞いたわ。よかったわね」メグを少し離してまじまじと見る。「メグ、別
人のようだわ」
 「昔はおまえに負けないくらいきれいだったんだよ」得意げに笑う。
 「本当にきれい。これがわたしのおばあちゃんだったなんて」シーラは目を丸くして言う。
 「いまでもまだおまえのおばあちゃんのままよ」
 「おほん」ふたたび女王が水を差す。「それでこれからどうするか決めた?」
 メグのそばに男が寄り添うように立つ。男はよく通る深いバリトンで言った。「陛下の
申し出をありがたく頂くことにいたしました。本当に感謝しています」
 女王はあからさまに状況を喜んではいない顔をしてしぶしぶと受け入れた。
 「まったく、どうしてこうなってしまったんだろう」あきらめたように肩をすくめると
役者に言った。「おまえがいなくなると寂しくなるよ。かわりの者を捜さないとね。さて、
いろいろとつもる話しもあるだろうからわたしは退散するとしよう。家族水入らずでしば
らく過ごすといい。そのあいだはこの部屋を消さないようにしておくから」女王は扉から
出て行った。
 みんなは長椅子に移動した。横に座ろうとするシルベスターをシーラはとげとげしく睨
みつけた。
 「あなたは家族ではないわ」
 「冷たいな。これからの話には僕の説明をつけくわえたほうがいいと思ってね。ささや
かな思いやりだよ」
 「いいじゃない、シーラ。わたしたちにもよくわからないところがあるのよ」メグが若
々しい声で言う。
 シーラは目を大きく見開いた。いまだに見ているものが信じられない。目の前のふたり
はまるで知らない人たちだ。おまけに横に座っている男は人間ではない。メグはこの異常
な状況をすんなり受け入れた上に、幸せで顔が輝いている。それはメグの隣の男も同じ。
自分だけが置いていかれたようだ。
 シルベスターがシーラのこわばった手をやさしくあやすように叩いた。
 「メグ、とてもきれいですよ。女王はずいぶん寛大だったようですね」
 「女王はとてもいい方ね。彼の願いをとてもよく理解してくれた」
 「すべてを思い出した」男がメグの手を握る。「僕はとっさに思いつくままに口走って
しまった。メグの姿には正直驚いた。時間の経過が僕のなかにはなかったから。それでも
おばあさんであろうとも彼女に変わりはない、僕の心のなかにいるメグのままだ。もちろ
んこのほうがいいのはもちろんだけど。でも、女王は僕をメグの年に合わせることもでき
た。そう思うと感謝してもしきれない」
 「女王にしては身を切る思いだっただろう。彼女は願いをねじまげるのをとても楽しむ。
それなのに女王はメグの願いも君の願いもきかなくていけない羽目になったのだから。今
頃誰かに八つ当たりをしているんじゃないかな。しばらく近づかないほうがいいな」シル
ベスターが楽しそうに言う。「でもあなたを見てわかった。メグ、あなたは女王を生み出
した人の娘に似ている。あなたのほうがきれいだけどね」
 そうだ! さっきの肖像画の女性はおばあさんのメグに似ていたんだ。メグを若くして
もっと地味な顔立ちにしたような人。
 「女王はメグが幸せになって欲しかったのね」シーラは感動した。
 横でシルベスターが口元をひきしめる。「女王はそんなに単純な性格ではない。それに
あのひとは自分がいいひとと思われるのを嫌がる。誰かにこのしわ寄せをかぶせて鬱憤を
はらそうとするだろう」シーラをじっと見つめる。「うまく立ちまわらないとね」
 「なんでわたしを見るの?」シーラはいらだたしげに叫んだ。「あなたよ、きっと」
 「ふふん」シルベスターは馬鹿にするように鼻を鳴らした。
 「メグたちはこれからどうするの?」シーラは癪にさわる流れ星を無視した。
 「女王がふたりでここに残ってもいいといってくれた。ここでいままでどおり女王のお
付きをしないかって。だけど、わたしはメグと普通の人間の生活をやり直したい。どうや
ら流れ星にかかわる人達が住む村があるらしい。そこで羊を飼い機を織って暮らそうと思
っている。地道な生活を送るんだ」
 「流れ星にかかわる人たちが住む村?」シーラは驚く。
 「あまり一般的に知られていないが、というか知られないようにしているけれど、地上
に僕たちと深いかかわりのある村があるんだよ」シルベスターが横から説明した。「そこ
に住むのはなんらかのかたちで僕たちとかかわり、戻れなくなった者や戻りたくないと思
った人々だ。そして、おたがいに助けあって生きている。まあ、奇妙に聞こえるかもしれ
ないけどそれを除けば普通の人間の村と同じだ」
 「助けあって生きるってどういうこと?」シーラには状況がつかめない。
 「君がかわいそうな女の子にケーキをつくったときの卵や粉やバターはどこからきたと
思っているんだ?」
 「それはあなたがどこかから盗んできたのだと」
 「ふん、失礼なやつだな。村の人に分けて貰ったのさ。僕たちが願いを叶えるのに必要
なものがあるときは村の人達に調達してもらう。そのためにある村だと言ってもいいかも
ね」
 「でもあなた達は村の人たちに何をしてあげるの? たまに願いを叶えてあげるとか?」
無邪気に言うがどこか口の端が皮肉っぽく歪んでいる。
 「願いはそんなに簡単に叶えるものではない」シルベスターはうんざりしたようにシー
ラを見る「村人たちはあたたかく星々に見守られる。それに毎年星祭りに招待される。も
っとも祭りの手伝いという部分が多いけれど」
 「ようするに使用人ね」シーラは呆れたように言う。
 「いや、無理じいしているわけではない。実際、みんなとても楽しんでいる」
 「そういえばわたしも祭りで芝居を上演するように約束させられた。まあ、言い方はと
もあれ命令ではなかったよ。もっともいまの立場では嫌とは言えないけれど。でもじつを
言うとまた芝居ができるのを結構喜んでいるんだ」横で不安な顔を見せるメグの手をそっ
と叩いて安心させるように言う。「祭りのときだけだ。あとは羊を飼って毛を剥いで暮ら
すんだ」
 メグは眉をあげた。あまり信用していない。男は苦笑いをした。「さて、そろそろ夜明
けだ。新しい生活をはじめよう」


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