17 旅立ち シーラはいつものベッドで目が覚めた。なんか妙に身体が疲れている。はっと気がつき メグの部屋に駆けつける。「メグ!」 「ここよ!」 メグは台所にいた。いつもの年老いた姿で片づけものをしている。 「ああ、メグ。戻っちゃったのね。あれは全部夢だったんだ」 「ふふふ、夢じゃない」メグの顔は輝いていた。「とりあえず戻してもらっているんだ よ。この村から突然消えたりしたくなかったんだよ。機や道具も運び出したいしね」 夢じゃなかった。シーラはぼんやりした頭で考えた。 「ボケボケしてないで手伝っておくれ。おまえも一緒に行くんだよ」 「わたしも!」そこまで考えてなどいなかった。 「ここにひとり残して行くわけにはいかないだろう。おまえはかわいい孫なんだよ。わ たしがいなくなったらひとりぼっちになってしまう」 「孫ねえ」しばし考える。 「すぐに姉妹になる」メグはしわくちゃの顔で笑った。「もうすぐホレイショーが迎え にくる。それまでに荷物をまとめるんだ」 「ホレイショー?」 「彼の名前だよ。言ってなかったっけ?」 ホレイショー。なんとも芝居がかった名前だ。やっと名前を呼ばれた男。 ホレイショーは大きな荷台のついた馬車でやってきた。背筋をピンと伸ばし朝のすがす がしい空気のなかを新鮮な太陽の光を一身に受け、まるで生まれたてのような笑顔を浮か べていた。 ふたりはシーラがいない間に村を去るもっともな筋書きを考えていた。シーラにとって は面白くもなんともなかったが二人に説得されしかたなく引き受けた。 シーラはひとり村に残ることも考えたが、もはやこの場所にはシーラの居場所はないよ うな気がしている。この先、誰か素晴らしい人が現れる保証はない。少なくともいま村に いる男どもには興味がない。流れ星にかかわって奇妙な体験をたくさんした。ここで平凡 な生活にいまさら戻れるかどうか自信ない。それならばメグと一緒に星の世界に近いとこ ろで暮らしたほうが面白いだろう。新しい出会いもあるかも。 ホレイショーの出現に村は湧きたった。ハンサムで素晴らしい声を持つ男がシーラを花 嫁として迎えに来たのだ。シーラとメグは積めるだけ荷物を積むと荷馬車に乗り込み、村 のみんなにお別れの挨拶をするために、まず子羊亭を訪れた。噂はすぐに広がりあっとい う間に人だかりができた。 突然仕事をやめることを詫びるシーラを抱きしめて、女将さんと旦那さんは気にしなく ていいと言って喜んでくれた。 「あんたはきれいだけど気が強いからメグのようになるんじゃないかと心配してたんだ よ。でもなんで話してくれなかったんだい、こんないい人がいるなんて。ちっとも知らな かったよ」そう言いながらにこやかに笑うホレイショーを驚嘆の目で見ながら小声で囁く。 「ジェイクより男前じゃないか。いったいいつ知り合ったんだい」 「ええっとそう、知り合ったのは……」 ホレイショーが助け船を出した。「わたしは行商人なんです。追いはぎに襲われ、息も 絶え絶えに倒れているところを彼女に助けられたのが運命の出会いです。そのご、手厚い 看病の元に元気になったわたしは彼女にプロポーズをしました。そして一度、故郷に戻っ てからまた迎えにくると約束したのです」シーラを胸に引き寄せる。 ホレイショーのあほらしくも素晴らしい演技にみんな感動した。 「なんで黙っていたんだい?」子羊亭の女将さんがシーラに水臭いとばかりに言う。 「本当に迎えにくるかどうかわからなかったから」あっさりとしたシーラの言葉に元役 者は苦笑いをする。 そのとき話しを聞きつけたジェイクとアンナが皆を掻き分け近づいてきた。 「本当だったのね。あなたをまるで役者のように見栄えのする人が迎えに来たっていう のは」アンナが目を丸くして言った。この役者と言う言葉に子羊亭の旦那のお母さんが反 応した。ホレイショーの顔をじっと見つめる。昔見た面影を重ねているのだろう。当時は 村中の若い娘の憧れの的だったらしい。やがて首を振りながらホウッとため息をついた。 「紹介するわ。この人はホレイショー。世界中を股にかけて大きな商いをしているとて も裕福な行商人なの」 みんなはホレイショーの着ているものを頭のてっぺんからつま先まで眺める。ホレイシ ョーの服はどこも破れていないし清潔である。だけど並程度でしかない。ジェイクのより 明らかに落ちる。 「旅をしているときは実用的な服を好むんだ。追いはぎや盗賊に襲われないようにね」 ホレイショーがにっこり笑ってみんなを煙に巻きながらシーラのお尻をつねる。みんなは もっともだと頷く。 「シーラ、ちょっといいかな?」ジェイクがシーラの腕を掴んでをみんなから離れたと ころにつれ出した。「本当なのか? 結婚を申込まれたと言うのは。あの男はなんか胡散 臭い感じがするぞ」 「本当よ」もっとも申込まれたのはわたしではないけど。「それにあなたには関係のな いことだわ」 「確かにそうかもしれない。だけど心配なんだ。君にはなんというか……その責任みた いなものを感じている。君には誰よりも幸せになってもらいたいんだ」ジェイクは苦しげ に言った。 「あなたは本当にお人よしね」シーラは微笑んだ。「だいたいあなたがわたしを幸せに してくれればよかったのよ」ちょっとはいじめておかないと。「心配ないわ。彼はとても 誠実な人よ。ここでは言えないけどここにたどり着くまでには想像もつかないような出来 事があったのよ。それを二人は乗り越えたの。素晴らしかったわ」 「まるでひとごとのように言うんだな」ジェイクが眉をひそめる。 「そう冷静に見据えているから大丈夫だっていいたかったのよ」口は達者だけれど役者 には向いてない。シーラはつくづく思った。 「シーラ、そろそろ出発しないと」ホレイショーがよく通る声で呼ぶ。「みなさんこれ で失礼します。先が長いんで」 メグは離れたところで残った家の始末やらなんやらを知り合いに頼んでいた。シーラは だんだんと寂しさが募ってくる。そこにアヒルのような足取りで近づいて行くアンナでさ え愛しく思えてきた。 「メグ、あなたも一緒に行くんですってね。あなたに頼んだ織物はどうなるの? まだ 全部もらってないわ」 「そうだったね。うっかりしていた。あとでちゃんと送るよ」メグは考えながら答えた。 どうにかなるだろう、足の速いやつがたくさんいるのだから。 「絶対よ! ところでどうやって連絡を取ったらいいの?」 「シーラがジェイクに伝えていると思うよ」 そこへシーラとホレイショーがメグを迎えにやってきた。ジェイクは相変らずうしろか ら胡散臭そうな目でホレイショーを見ながらついてくる。 「メグ、そろそろ出発しよう」ホレイショーはメグに手を差し出しやさしく荷馬車に乗 せる。 「アンナ、元気な子が生まれることを祈ってる」シーラはアンナに微笑む。 「ありがとう。あなたがいなくなってほっとするわ。そう、目の上のたんこぶがなくな ったような感じかしら?」 「わたしもあなたの尻にしかれた惨めなジェイクを見なくてすむようになってほっとし ているわ」 ふたりはひきつった笑いを浮かべる。 「でもジェイクはそれがうれしいみたいだからしかたないわね」 「わたしはずいぶん上手にやっているつもりよ。彼と子供と幸せな家庭をつくるのよ」 「あなたはそれを願わないで、やるのよね。感心するわ」 「それほど強くはないわよ。あなたに弱みを見せたくないだけ」アンナはにやりと笑っ た。「元気でね。そして幸せを願っているわ」 シーラの目は潤んできた。ジェイクやアンナ、子羊亭のみんなが見えなくなるまで手を 振った。別れは辛い。しばらく黙って景色を眺めた。 その頃、アンナは夫に尋ねた。「連絡先はどこ?」 「メグから聞かなかったのか? 君がメグから聞いているとシーラが言っていたが」 「ああもう! わたしの織物はどうなるの!」 村はずれまでくるとごちゃごちゃした荷物の隙間に座るシーラのお尻はでこぼこ道を走 る振動で痛くなっていた。まえの御者席に座る二人のほうに身を乗り出すと大声で叫んだ。 「婚約者のわたしがなんでこんな狭い荷台にいなきゃいけないの!」 「ここは三人で座るには狭い。そしてふたりで座るならメグのほうがいい」忌々しくも よい声が楽しげに言う。 「ちょっと止まってよ。お尻に敷く毛布を捜すから」 「そうだな、この辺で待つとしようか」ホレイショーは道の横の開けた場所に荷馬車を 寄せて止めるとメグを軽々と抱えて下ろした。 シーラは若くて元気なのでひとりで荷台から飛び降りた。二人に恨みがましい目を向け て。 「なんでこんなに荷物を持っていかなきゃいけないの? 女王はそんなにしみったれな の?」 シーラを諭すような声がうしろから響く。「これから行くところは普通の村となんら変 わりない。何もないところから何もかもが湧いて出るわけではないんだよ。あるものはな んでも持って行かないと」 現れたな、こしゃくな流れ星。「ふうん、家も自分で建てなきゃいけないの?」 「ちょうど空き家があるからそこを好きなように使っていいそうだ」 「シーラ、生意気な口をきくんじゃないよ。ありがたい話だよ」メグがたしなめる。 村を離れた寂しさからちょっと荒れてしまったようだ。気落ちを切り替えないと。「ご めん、メグ。新しい家が住めるような家だといいね」だって女王のことだから。メグはシ ーラを見て困った娘だという顔をした。まあこれがいつもの調子に戻ったということだ。 「荷馬車を道に戻して。僕は入り口を開けるから」シルベスターはホレイショーに声を かけるとすたすたと先に行ってしまった。 みんなでふたたび荷馬車に乗り込み、道の先に立つ流れ星を見つめる。流れ星は道端に 落ちている木の枝を拾いあげ、道に線を描く。それからにっこり笑った。「準備はいいか な? 新しい幕開けだ」 シルベスターがパチンと指を鳴らすと目の前の景色が四角く切り取られ、まるで緞帳が あがるかのようにたぐり寄せられ引き上げられる。その先はまばゆい光で真っ白に輝き何 も見えない。 ホレイショーは息を飲むとたずなを強く握りしめた。「よしっ、行こう」光に向かって 馬車を駆り立てた。 荷馬車は小高い丘の上に立っていた。目の前にあるのは、のどかで穏やかな景色。なだ らかな盆地に多くの建物が見える。まるで守るかのようにうっすらとたなびく霧が村を囲 っている。あるいは隠すためか? ただ普通の村と違うところは、田舎によくある農家のような家ばかりではない。町にあ るようなレンガ造りの頑丈で高い建物や、工場、商店、まるで何もかもが一緒くたに詰め 込まれたようだ。 いつのまにか荷馬車の横に現れたシルベスターが両手を広げにこやかに歓迎の挨拶をし た。「星屑村へようこそ!」村の端っこを指差して言った。「あそこに見える赤い屋根の 家が君たちの新しい家だ。そこで村長が君たちを待っている。いろいろと村で暮らす上で の決まりごとを教えてくれるだろう」 「星屑村? 村長? 決まりごと? さぞかしたくさん規則があるんでしょうね」シー ラが鼻を鳴らす。 「まあ、そんなところだ」シルベスターがにんまり笑った。 「シーラ、失礼を言うんじゃないわよ」メグの声がいっきに若返っていた。いつのまに か若さを取り戻したメグはホレイショーの手を握り興奮で顔を輝かせていた。ホレイショ ーはメグを抱き寄せうっとりと村を見つめている。 「さあ、いこう。なんだかわくわくするよ」ホレイショーとメグは荷馬車に乗り、シー ラも慌てて乗り込む。 「ちょっと待って。シーラはここまでだ。女王がお呼びだ」流れ星が荷馬車を止める。 「ええっ! 嫌だ」荷物のなかに埋もれようとするシーラをシルベスターは引きずり下 ろした。 「シーラ、あとで会いましょうね。女王によろしく」薄情なふたりは丘の上にシーラを 残すと馬車は羽を生やしたかのように軽やかに行ってしまった。 走り去る荷馬車を恨みがましく見送りながらシーラは不機嫌に言った。「楽しい話だと いいんだけど」 「あまり期待しないことだね」鼻にしわを寄せながらポケットを探る。「あった」取り 出した手にはあの忌々しい石が乗っていた。 「嘘でしょ!」なんだか裏切られた気がする。 「このほうが手っ取り早い」話しながら女王ウサギが姿を現す。流れ星の手からぴょん と一回転して飛び降りると長い耳をピンと立ててシーラの足元に立つ。真っ白く輝く毛皮、 ルビーのように澄んだつぶらな瞳、ぴんと立てた耳の内側はピンク色に染まりとても可愛 らしい、女王でさえなければ。 「突っ立ってないで横に座んなさいな。そんなふうに見下ろされると不愉快だよ」 シーラは女王の横におとなしく膝を抱えて座った。シルベスターはシーラの横で片肘を ついて寝そべりすっかりくつろいでいた。 「いい村でしょ? 渾然一体として美しい。村の人々の生活は外の村となんら変わりな い。お金も流通しているし、物々交換でもよい。銀行もある。経営しているのはわたしだ けど、そのほうがいろいろと都合がよくてね。自由に外の世界にもいける。ただし、村長 にひとこと言っておかなければいけない。外に出るための規則をおさらいするためにね。 規則集は各家庭に一冊ずつ配られているから目を通してみてね。たいした厚さではないわ、 ほんの三枚位」 「ただし細かい字で隅から隅まで埋めつくされてる」流れ星が横から口を出す。 ウサギがぴょんとジャンプしてシーラを飛び越えシルベスターの顔を両足でキックして くるっと回転すると元の位置にストンと戻る。 「痛たたた……」顔を押さえて呻く流れ星とあっけにとられるシーラを無視して白ウサギ は何事もなかったように淡々と続ける。 「確かにくだらない規則もあるし、わたしが覚えていないものもある。そうね、一度見 直しておかないと。いずれにしても規則は生き物、その時代やそのときの状況によってか わるもの。だからといって軽んじてもらっては困るわ。秩序のない世界になってしまう。 それでなくてもなんでもありなんだから」 「あなたが規則ってこと? あまりにも専制的じゃない?」 「この村は地上にあり、人間が暮らしているけれどわたしの世界の一部でもある。それ にさっき言ったように出て行きたければいつでも出ていける」 「生きて?」 白ウサギの毛が逆立ちパチパチと音がする。同時に膨張しているように見える。ウサギ にはあるはずのない牙がかわいい口からちらりと覗いたとき、流れ星がのんきに言った。 「あたりまえじゃないか。冗談も休み休みに言わないと。女王が本気にしてしまうかも しれない。まさかそれはないと思うけど」 「もちろん冗談に決まっているじゃない」シーラはウサギから目を離さないようにしな がら言う。心なしか声が震える。 「面白い冗談だわ。まったくあなたといると退屈しないわね」白ウサギはシューッと空 気が抜けるようにしぼみ、愛らしい姿に戻った。 「それにみんながそれほど規則を守っていると思うか? 覚えきれないほどたくさんあ る上にくだらないものも多い。女王が好きなお茶の温度までみんなが知る必要はないだろ うに」恐怖で目を大きく見開くシーラを尻目にシルベスターは呆れたように言う。 女王はウサギなりのあきらめたような顔をしている。「まったくおまえは可愛げがない ねえ。その口が欠けていればもっと魅力的だろうに」 「あなた譲りだと思いますよ」シルベスターはにっと笑う。「ところでシーラに用があ るんじゃないんですか? それともただこうして遊びたかったんですか?」 遊び? シーラの頭が渦巻いた。自分はからかわれていたんだろうか? 「そうそう、元役者がいなくなってお付きのものがいなくなったの。だからシーラにや ってもらおうと思って」 シーラはあっけにとられた顔で白ウサギを見つめた。 「でも彼がくる前あなたは、一人でやっていたじゃないですか」シルベスターが目を丸 くして言う。 「それがなかなか便利なのよ。それに彼がいなくなった責任の一部は彼女にもあるわけ だし、そのほかにも色々考えてみるととてもいい考えだと思うのよ。何よりも退屈しない 気がするし。この娘とやり合うのはいい刺激になる。わたしのつまらない生活に少しは活 気が出るかも。前の男は、ぼーっとして退屈だったわ」 「嫌だ! わたしはこの村で穏やかに暮らしたい!」シーラの目は大きく見開かれたま まだった。 「あなたに意見は聞いてないの。これは決定事項」そう言うと白ウサギはシーラの頭の 上にぴょんと飛び乗った。シーラは叫ぶ間もなく花火のように空に向かって飛び出して行 った。 「やれやれ」ため息をついてシルベスターもあとを追った。 TOP BACK NEXT HOME Chap.17