18 新しい生活 冷たい暗闇に凍え感覚がなくなりはじめた頃、今度は両足が強く引っ張られる。足元を 見ると巨大な石のかたまりに突っ込んでいる。あらためて叫び声をあげようと口を大きく 開けたとき、自分が女王の家の書斎に座っているのに気がついた。 息を吸って息を吐く。目をつぶって深呼吸を繰り返した。この世界はかなり心臓に悪い。 ノックの音とともにシルベスターが入ってくる。 「おまえは呼んでないよ」机の前に座った女王が不機嫌な顔で言う。初めて会ったとき と同じ姿をしている。 「彼女は僕のパートナーです」そう言いながら穴の開いた後頭部を見せる。「いまあな たの餌食になったら困る」 「ふんっ、勝手におし」女王はシルベスターを無視した。 このときばかりはシルベスターに感謝した。このわけのわからない世界でシーラはどう 扱われるのか? でも……横に座る流れ星も頼りにならないかも。不安になってきた。 その気持ちを察したかのようにシルベスターはシーラの手をぽんぽんと叩いた。流れ星 のほうを向いてみるとただ眉をあげて見せただけだった。 女王が机の上に両肘をつき手を組んでシーラを見つめた。「さてと、では打ち合わせを しないとね」厳かに言った。 無理やらされたお付きの仕事は思ったよりも楽しかった。意外にも女王は石のままの姿 でいるのを好み、ほとんどの時間を書斎の机の上に置かれたふかふかのちいさなクッショ ンの上で過ごしている。本来女王には家などいらないのだと思うのだが、シーラを住み込 みの付き人にするため消さずに残している。ただ、管理はいい加減で部屋の間取りはしょ っちゅう変わるし、内装をやりかけた部屋もあれば、扉を開けると無の空間なんてのもあ る。 ある日、見慣れない廊下の突き当たりに『危険! 立ち入り禁止』と言う張り紙のある 部屋があるのを見つけた。シーラのひねくれた好奇心がむくむくと持ち上がる。『危険!』 よっぽど入って欲しくないのね。これはぜひ入らねば。 取っ手をまわすと鍵はかかっていない。ゆっくりと扉を押し開け覗き込むようになかを 見る。薄暗いその部屋は静かで物音ひとつしなかった。暗さに目が慣れてくるとそこが、 家具も窓もない飾り気のない粗末で狭い部屋でだとわかった。部屋の真ん中に簡素なベッ ドがある。誰か人が横たわっているのがわかる。わたしのほかにも誰か人がいるのだろう か? それとも女王に捕らわれているかわいそうな人? シーラは音を立てないように足 音を消してゆっくりとベッドに近づいた。おそるおそるその顔を覗き込む。 シーラは書斎にどたどたと駆け込むと机の上の石をつかもうとした。気配を感じた石は 飛んで逃げようとしたがシーラにバチンと叩かれ暖炉のなかに突っ込んで行った。 暖炉のなかから腰をさすりながら女王が出てくる。「乱暴もの! なんなのいったい。 このヒステリー女」 「あなたはわたしをいったいどうしたのよ?」シーラは女王にくってかかる。 「あら、見たのね」女王はにんまりと笑った。「あれはあなたの実体よ。いまのあなた は虚像。実体は飛んだり消えたり姿をかえたりできないし、食事も取らなくてはいけない し、出すものも出さないといけないでしょ。それではいろいろと不便だから、あなたの身 体には死んだように眠ってもらってるの」 「でもわたしは食べたり飲んだり出したりしてる」 「すべてまやかし」 「ふうん」シーラは腕を組み女王を睨みつける。「わたしの許可もなく勝手にね。いま のわたしは好きなところにどこでもいけるし、なんにでもなれるということね」 「わかってもらえてうれしいわ。これで仕事の幅が増える。いつ気がつくかずっと待っ てたのよね。案外鈍いのね」 シーラはいきなり巨大なヘビに化け、口を裂けんばかりに開き女王を飲み込もうとした。 女王はとっさに頑丈な木に変わりその口のつっかえ棒となる。するとシーラは炎に身をか え棒を燃やそうとする。棒はすぐさまジョウロとなり炎に水をかけようとする。シーラは すかさず巨大な金槌にかわりジョウロを叩き潰そうとする。ジョウロは大きな手となり金 槌の柄をつかんだ。「つかまーえた」女王が勝ち誇ったように宣言する。「まだまだ修行 が足りないね」 元の姿に戻ったふたりは肩で息をしながら睨み合う。 「何が気に入らないの。あなたの身体はきちんと置いてあったでしょう?」 「まず、騙されたのが気にくわない。それに……あの部屋はなんなの! あんな殺風景 でお粗末な部屋に寝かせるなんて。あれじゃわたしがかわいそうだわ! もっといい部屋 にかえて」シーラは女王に命令した。 「わかったわよ。まったく前の彼はなんの文句も言わなかったのに……」女王はぶつく さ言いながらパチンと指を鳴らす。「どうせめくらましなのに」小声でつけたす。 まったく奇妙な世界だった。実体のない身体はどこにでもいけるが影のようなもので触 わっても感覚がない。必要なときは本物の身体を動かし使い分けるようになった。本物の 身体は動かした時間だけ年を取るらしい。 ときどきメグとホレイショーのところに遊びに行く。赤い屋根のふたりの家は前に住ん でいた家よりも広くて住み心地がいい。ホレイショーが楽しそうにいろいろと手をいれる のでますますよくなっている。男手があるというのはいいもんだ。家の裏手には広い牧場 が広がり羊小屋が建っている。羊の数はまだ少ないが、これからだとホレイショーは張り 切っている。なんせメグのお腹には赤ちゃんがいるのだから。メグとの関係は不思議だ。 いまでは姉妹とでもいうべきだろうが、メグはシーラのおばあさんという感覚が抜けない し、実はシーラもそうだった。そのうち慣れるのだろう。 ふたりの家に行くときは必ず実体で行く。おいしいものが食べられるし、抱き合って再 会を喜べる。ただ地上に生身の身体で下りるときは流れ星に頼まないといけない。あいだ を行き来できるのは流れ星と女王だけだった。自分はやはり捕らわれの身なのだろうか? 考えないでもないけれど、地上から自主的に女王の元へ戻っているのは自分だし、個性 的な流れ星たちとのつきあいも楽しかった。 女王の家に着くと自分の寝室を捜しだし、天蓋がついたふかふかのベッドに横たわる。 部屋の内装のテーマは金持ちで贅沢なわがまま娘。必要もないのに立派で洒落た箪笥や化 粧台が置いてある。ふんだんにレースをあしらったカーテンのあるフランス窓。全体がケ ーキを飾るクリーム色に統一され、明るくかぐわしい香りに満ちている。 いつかシルベスターが勝手に覗いて顔をひきつらせていた。俗物なのはわかっている。 でも女の子は女の子、どうせ夢なんだから飽きるまで続ける。 ベッドに横たわり眠りに入るとそこが現実になる。夢がそのまま入り口になっていた。 ある日、シーラは女王のためにお茶をいれていた。女王に渡された仕事に関する規則集 のなかにはいろいろと細かい規則がいっぱい並べられていた。目を通すうちにあほらしく なり読むのをやめた。シーラの大雑把な性格にはあわない。だが毎日女王に適温のお茶を いれること。この事項はひときわ大きく書かれ下線が引かれていた。とても重要らしい。 朝と夕方、星の周りを漂う水蒸気を集めた水瓶の水をやかんにいれコンロにかけて沸か し、いい加減な温度でお茶をいれ書斎に運ぶ。どこまでが本物でどこまでが見せかけなの かわからない世界だった。シーラの本体も本当はごろごろと石の転がる地面の上に転がさ れているのかもしれない。あまり考えないほうがいいかも。 シーラも温度に文句をつける女王と一緒にお茶を飲みながら、その日の打ち合わせをし たり、たあいもない話をしたりする。シーラはふとなぜそんなにお茶にこだわるかと訊い てみた。 「わたしの身体は水分を必要とするの。少な過ぎると乾いた性質になるし多過ぎると湿 っぽくなる。ちょうどいいバランスを保ちたいの。乾き過ぎると薄情になる傾向があるし、 その逆ではやり過ぎたりする。あのときはそれを知らなかった……」女王はふっと空を見 つめる。 「温度も関係するの?」シーラはちょっとたじろいだ。 「いえ、それはたんなる好み」 シーラはちょっと考えた。「もしかして、お茶にしなくてもいいんじゃないの? 石を 水につけるとか」 「それじゃ味気ないでしょう。まったくあなたときたら……」 今度いつか試してみよう。 シーラの考えを読んだように女王はカップに口をつけながら言った。「変なことを考えな いことね。こてんぱんにするわよ」 行動範囲が広がるとシーラの仕事も増えた。流れ星たちへのお使い。女王は星たちと直 接会話ができるのだからなぜシーラがわざわざ出向くのか理解できない。これをシルベス ターにぼやくと、君を適当に忙しくしておかないと何をしでかすかわからないと恐れてい るのだと笑われた。願い事を叶えるために必要な物資の調達。これは星屑村の村長に準備 してもらう。村長はとてもすてきな男性で、美しい奥さんとふたりの息子がいる。上の息 子はすでに結婚し、村のなかで幸せに暮らしている。 流れ星たちが出すものはまるで本物のようだがすべてまやかしで、さわったり口にいれ ることはでいない。だから形が残るものは現実のものを用意しなくてはいけない。それを 星屑村がまかなっている。シーラのつくったケーキなどかわいいほうだ。一生食べるのに 困らないようにと願った子供がいた。流れ星はその子が死ぬまで食べ物を運んだ。 流れ星たちは仕事がないときにはそれぞれがおもいおもいのところにいる。だいたいが 地上の空の上に浮かんで地上を眺めている。シーラが女王のお使いで会いに行くと、男性 型の星はとてもやさしい。シーラにあからさまな好奇心を寄せてくる。シーラもまんざら ではない。女性型の流れ星は前任者とかわったのが面白くないようだ。もっとも元役者は 彼女らが一生懸命気を惹こうとしてもちっともなびかなかったと不満げにぼやいていた。 ぼうっとしていたので気がつかなかったのだろう。 ただ流れ星たちはその姿をころころかえる。性別をかえたり人間でないものに変わった りする。男性タイプにはシーラの好みの姿をよく訊かれた。以前だったらジェイクを思い 浮かべていただろう。いまではわからない。 慣れてくると流れ星がどんな姿でいようと誰だかわかるようになった。光りや存在感が 微妙にひとりひとり違うのだ。 シーラが流れ星たちにもてることをシルベスターに自慢げに話すと小馬鹿にしたように 笑われた。「あいつらは君の性格をよく知らないからな。それに簡単に手出しはできない」 「どうして?」 「君は僕のパートナーだからね。でも僕の身体が全部集まったら……」考え込むように 言う。 シーラは聞き流した。「あなたは姿を変えないのね?」 「どんなに変わっても中身は同じだ。それにこの姿が気にいっている。君はどう思う?」 シーラに向かって両手を広げた。 シーラは頭の上からつま先までゆっくり眺めた。「ふふん、悪くはないわね」 確かにシルベスターとは特別なつながりがある。シーラはシルベスターの身体を砕いた 張本人。もっともそんな規則をつくったのは女王だ。すべてが自分の責任ではないと内心 シーラは思っている。でもこの特別なつながりはシルベスターの身体が完全になるまで続 くのだ。 シルベスターはシーラが名前を呼ぶと現れる。目の前でじわじわと形を現すこともあれ ば、シーラのいる部屋のドアをノックすることもある。そのときの気分なのだろうがやり にくいやつだ。それでもシーラがわからないことは出来の悪い子供に言い聞かせるような 態度で教えてくれるし、手に負えないことはぶつくさ言いながらも手伝ってくれる。後頭 部に穴が開いているかぎりシーラに逃げられては困るのだ。 ある日、気まぐれな女王は付き人が女性に変わったので、気分をかえて王になろうとし た。それはそれは立派でスタイルがよく、威厳がありハンサムな王だった。元の姿を知っ ている上に、みせかけだとわかっているにもかかわらずにシーラは思わず熱く見とれてし まった。 それを見たシルベスターは不機嫌な顔をして言った。「あなたは僕たちを生み出したも のなのだから、母にふさわしい姿のほうが好ましい」 王はシルベスターの意見を素直に聞き入れ、つまらそうに女王に戻った。「まあ、いいわ。 確かにこのほうが性にあってる。あの姿だとシーラももう少し大事に扱ってくれるのでは と思ったんだけど……」女王は恨めしそうにシーラを見る。 シーラは苦笑いをして誤魔化した。最初からあの姿ならとても大事にしただろう。たぶ ん。 TOP BACK NEXT HOME Chap.18