19 完成


 シルベスターは息抜きにとときどきシーラを散歩につれ出す。おなじみの深海で魚にな
ることあれば、ジャングルでピューマになることもある。このときは人間の姿で月面の岩
の上に腰かけていた。荒涼とした景色に似合うトカゲかサソリに変わろうかと思ったが、
そうなると視界が悪くなる。目の前の青く美しい球体をゆっくり眺めていたかった。
 「あなたは普段どこにいるの?」シーラはシルベスターの居場所を知らない。いつも彼
のほうからやってくる。
 「ガスとなって女王の星の周りを漂っている」
 意外だ。「ほかのみんなのように地上を眺めたりしないの?」
 「見るべきものはない」
 「どうしてみんな、あんなに地上に興味を持つの?」
 「自分たちが持っていないものを見てうらやましいんだ」
 「何を?」
 「すべてだ。感情、家族、変化、物質的なものも。そのなかでも特に愛情」
 シーラの不可解な顔を見てシルベスターは続けた。その顔から何を考えているのかわか
らない。 
 「このあいだ星祭りで流れ星たちのレースがあったよね。あのレースで優勝すると女王
から願いを叶えてもらえる。覚えてるか?」
 「ええ、覚えてるわ。レジェスターはホレイショーを望んで大騒ぎになった。仲間のな
かで相手をみつけたりはしないの?」
 「考えられないな。僕たちは兄弟、姉妹みたいなもんだから」シルベスターは眉をひそ
めた。「そう、優勝者のほとんどがそばにいてくれる相手を望む。そうやって得たものと
うまくいくかどうかはわからないにしても。星たちは寂しがりやなんだよ。地上を見てい
るとどうしてもそうなってしまう」シルベスターは首を傾げ遠くを見るような目で続けた。
「僕たちの仕事は願いを叶えることだ。なのに願いをかけられないように夜空を走ってい
る。もし叶えられない願いにあたり砕けてしまったら元に戻れる保証はない。もし願いを
かけた相手が手伝うのを拒否したら? あるいは途中で投げ出したら? そうなったらも
う流れ星とはいえない。まともな形を取れずに星々の間を塵あくたのように漂うしかない。
ホレスターは運がいいやつだ。マリーは素直でいい娘だ。だけどみんながみんなそううま
くいくとは限らない」
 「あなた肝心なことを忘れてない?」シーラは立ち上がると腕を組んで顎をつんと持ち
上げ、流れ星を見下ろした。
 流れ星はシーラの腕をつかんで横に座らせた。そしてにやりと笑うとシーラの手をぽん
と叩いて「からかったんだよ」それから急に真面目な顔になった。
 「君には感謝している。これは嘘偽りのない気持ちだ」
 シーラはいい気分になってきた。
 「君がまさかここまでつきあってくれるとは夢にも思わなかった。わがままで身勝手な
君のことだからきっと途中で放り出されると思っていたんだよ。だけど正直なところ、大
きな破片どまりでよかったと思っている。ホレスターのように粉々になっていたら、僕は
今頃このへんを漂っていたかもしれない。本当に……」
 「ちょっと待ちなさい!」
 「冗談だよ」流れ星はシーラの頭から出る湯気を吹き飛ばしながら笑った。
 あほらしい。シーラはふたたび黙って青い星を眺めて考えた。
 「あなたは前回優勝したときにわたしがあなたに願いをかけることを願ったと言った」
 「まさかあんな願いをされるとは思わなかった。ただ簡単な願いを叶えるだけのつもり
だった」
 「わたしをパートナーにとは願わなかったの?」
 「君のことはいつも空から見ていた。あのとき君はジェイクが好きだった」
 忘れていた。あの頃のシーラはジェイクのことでいっぱいだった。
 「だから君は単純にジェイクが戻ってくることを願うと思っていた。まったく君はひね
くれている」肩をすくめて天を仰ぐ。「そのうえ困った願いで僕を砕いた。僕はこんなこ
とになるとは予想していなかった」
 「悪かったわね、迷惑をかけてしまって」ちっとも謝っている口調ではない。
 シルベスターは面白そうに笑いながらシーラを見た。「本当に君は厄介だ。だけどこう
なったことに感謝している。君が素直でなくてよかった」
 シーラは目を丸くして流れ星を見た。ここは頬を赤く染めるべきなのだろうか? シー
ラが何か言おうと言葉を捜しているとシルベスターの目が宙を泳いだ。
 「最後の破片が見つけられた」
 二人は移動した。

 そこは薄暗い寝室だった。ベッドに寝ているでっぷりと太った老人の命のともし火がい

まにも消えようとしている。そばで医者らしい男と若く美しい女性が声を落として話して
いる。
 「ああ、そんな! いま死なれるとわたしは……」女性の声は絶望でかすれている。
 「奥様。残念ながら意識を取り戻すのは難しいでしょう」
 それからしばらく女性は医者にすがるように何かを頼んでいたが、医者は首を振りなが
ら出て行った。女性は崩れ落ちるようにベッドのそばの椅子に座ると横たわる男の頬を軽
く叩いた。
 「お願い、死なないで」
 シルベスターは凍りついた。

 微動だにしないシルベスターをつかんでシーラは女王の家の書斎に戻った。なんという
こと! シルベスターはこの願いのせいで完全な身体を取り戻し、すぐさま粉々になって
しまう。おまけに今度のパートナーはとても美しかった。
 「シルベスター! どうするの?」シーラはシルベスターの凍った身体にお湯をかけた。
 「なんの騒ぎなの! ゆっくり考え事もできやしない」女王が姿を現した。
 シーラは事情を説明する間に流れ星はゆっくりと意識を取り戻していった。
 「なんたることだ! 彼の死をとめることはできない! 僕はまた砕けるのか?」座り
込んで頭を抱えながらふと女王を恨みがましく見上げる。
 「わたしは何もしてないわよ。日頃の行いが悪いんでしょ」女王は冷たく言い放つ。
 「どうにかならないの?」シーラはすがるように女王を見た。
 「あなたはこの男から解放されるのよ、いいことじゃない。これでわたしの仕事に専念
できる」意地悪な笑みを浮かべた。「それにあなたはもてるようだし、よりどりみどり、
好きな男がえらべるわ」
 「そんなのはどうでもいいの!」
 「どうして?」女王は楽しそうだ。
 シーラは答えにつまった。言えない。言いたくない。わからない。
 「まあ、いいわ」女王は肩をすくめてシーラの困惑した顔を手で払った。「彼女の本当
の願いをもう一度確かめてみては?」女王は机の上の瞑想に戻った。
 シーラは女王の言葉をゆっくり考えた。そしてうなだれる流れ星をつかむとさっきの部
屋に戻った。
 「まだ息があるわ。生きているうちに見きわめないと」シーラはうつろなシルベスター
の頬を両手で強く叩いた。「目を覚まして」
 落着いてみるとかなり裕福な家だった。ふたりの姿は目の前の美女には見えていない。
女は身を乗り出すと死にかけている夫の耳元で呪文のように繰り返す。
 「お願い、死なないで。あなたにいま死なれるとわたしは困るのよ。まだ駄目よ。死な
ないで……」
 「困る?」シーラはシルベスターがつぶやくのを聞いた。
 若く美しい妻は困っていた。まだまだ大丈夫だと思い油断していた。夫はまだ遺言状を
書きかえていない。このままだと財産は夫の三人の前妻とその子供たちにいってしまう。
 「お願い、まだ逝っては駄目よ。遺言状を書き直してからにして」
 シルベスターは生き返った。指をパチンと鳴らし「願いは叶えられた」楽しげに目をく
るっとまわすとそっと横たわる老人に重なりその姿に溶け込んだ。

 妻の目の前で夫の重たく垂れ下がった目蓋がゆっくりと持ち上がる。顔を傾けると焦点
のあわない瞳で妻を見る。
 「あなた!」妻はその目を閉じないように押さえようかと考えた。
 「やり残したことがある。遺言状を書きかえないと。弁護士を呼んでくれ」口をほとん
ど開けずに押し殺したような声でしゃべる夫を妻は目をまん丸にして見ていたが、はっと
我に返り大急ぎで部屋を出て行った。
 「迫真の演技ね」シーラが感心して言う。
 「そうでもないんだ。この力の抜けた身体は重たい。動かすのが大変だ」自前の声で老
人の口を開けずに話す。
 あっという間に妻はひょろ長い男をつれて戻ってきた。
 「まさか意識が戻るとは! で、わたしを呼んだんですな。あなたの言うとおり下の部
屋で待っていて正解でしたな」信じられないといった面持ちで若い妻の紅潮した顔を見る。
 「いいから早く夫と話をしてちょうだい」妻はイライラとせかす。
 夫は血の気のない顔でまず妻を部屋の外に出すよう弁護士に指示し、妻はしぶしぶ従っ
た。部屋を出る前に夫の耳元に口を近づけると甘い声で囁いた。「あなたをとても愛して
いるの。忘れないでね」
 
 すべてが終わりシーラとシルベスターは女王の家にではなく月面に戻った。奇しくも遺
言状を書きかえると同時に老人は息を引き取った。
 「ひどい遺言状だったわ。あの老人は残りの財産をすべてお葬式とお墓に使うようにと
すでに書きかえていたのね」シーラは呆れていた。
 「どのみち前妻たちがハゲタカのように食いつくしてしまっている上に、あの老人はギ
ャンブル好きの派手好き、おまけに愛人もいた。残された財産なんて雀の涙ほどしかなか
った。似たもの同士の寄せ集まりだ」
 「でもあなたは彼女に財産が残るようにした。たとえ少しでもないよりはましね」
 「さて、彼女が感謝しているかどうか怪しいもんだけどな。でも僕は彼女に感謝してい
る。だから彼女の望むとおりに書きかえた。本当はどう書きかえてもよかったんだ。彼女
は具体的に口に出して言ってないのだから」
 「まあ、確かにそうだった。どういう風の吹きまわし? あなたらしくない」
 流れ星はふんと鼻を鳴らしながらいった。「粉々になった身体を彼女と探し回るなんて
ぞっとする。僕は永遠に宇宙を漂う羽目になるのが目に見えている。彼女が邪なやつだっ
たのを感謝してるのさ」
 それを考えるとシーラはやり遂げた仕事が誇らしく思えてきた。心なしか目の前の完成
したシルベスターの身体にも愛着が湧いてくる。
 「完璧ね」以前より輝きを増したシルベスターの身体を満足げに眺める。
 「これで君が僕にかけた呪いが解けたわけだ」
 「呪い? 言うに事欠いて呪いとはね。自業自得でしょう。これでまた空を駆け巡れる
ようになったのね」
 「そうだ。願いをかけられないように駆け巡るんだ」シルベスターは時々見せる『何を
考えているかわからない表情』を顔に貼り付けシーラを見ている。「これで君との縁は消
える」
 「そうね。結構面白かったわ。たまには女王の家に遊びにもいいわよ」シーラはあっけ
らかんと言ったが内心かなりへ込んでいた。あっけない幕切れだ。シルベスターとはもっ
と違うつながりがあると思っていた。ひとりよがり?
 突然、シルベスターは宙をぼんやり見つめると舌打ちをする。「女王から仕事をいいつ
かった。まったく絶妙なタイミングだ。しばらくよそに行かないといけない」そういいな
がら身体をもぞもぞと動かす。胸のあたりからピシッとちいさな音がしたが、シルベスタ
ーは気にしていなかった。
 「君にプレゼントがあるんだ。一応、感謝の気持ちを表しておこうと思ってね。こうし
て形に残しておけば僕の気持ちの証明になるだろ? あと々まで言われなくてすむ」そう
言いながら胸ポケットから何かを取り出した。「頭をこっちに」
 「よくおわかりで」シーラは憎まれ口で応戦しながらも言われるがままに頭を突き出す。
 シルベスターはキラキラ光るちいさな石のついたネックレスをシーラの首に下げた。
 「まあ、きれい!」思わずシーラはその石を手に取って見つめた。
 「気に入った?」流れ星はうれしげに言う。
 「ええ、とても素敵ね」シーラは正直に答えた。「大事にするわ。あなたと思って」
 流れ星は複雑な顔をした。「そうしておくれ」

 南方を走っていた流れ星がうっかりとよそ見をして、たまたま夜空を飛んでいた渡り鳥
の群れに突っ込み、そのまますごいスピードで地上に激突したらしい。シルベスターはば
らばらになった身体を拾い集めに行かされた。この場合の身体はただ集めればいいらしい。
 シーラは流れ星たちに女王からの新しい規則を書いた紙を配ってまわった。
 『自分の不注意から他者に迷惑を与えたものは、相手に謝罪を受け入れられるまで戻っ
てきてはならない』
 激突した流れ星はまだ戻ってこない。渡り鳥がなかなか謝罪を受け入れないらしい。そ
れに地面にあけた穴も埋めなくてはいけない。
 それにしてもシーラが会った流れ星たちはみんな奇妙で複雑な顔をする。流し目を送っ
てきたり、気を引こうとして声をかけてきていた星がつまらなそうな顔をしたり、知らん
振りしたりする。なぜかしら変わらないのは女性型ばかりだった。シルベスターとのつな
がりが消えるということは、ほかの流れ星の関心もなくなるということなのか? そろそ
ろ地上に帰ったほうがいいのだろうか?

 考えるとなんだか寂しくなってきて、メグのところに行きたくなった。ベッドに戻り実
体で起き上がると手近にいたマジェスターを呼んで運んでもらった。
 「シルベスターは?」マジェスターが訊いてくる。
 「女王の仕事でどこかに行ってる。彼の身体は完成したの」シーラはぼんやりと答えた。
 「そうらしいね。しかしあの気難しいあいつがねえ。まあ、よかったな」レジェスター
はシーラの胸元を見ている。「それにしても残念だ」
 「そうね」適当に相槌を打った。話をする気分ではなかった。

 メグはふくらみかけたお腹を愛しそうに撫でながら織り機の前に座り、赤ちゃんのため
のやさしい布地を織っていた。律儀なメグはアンナに頼まれていた布地をきっちり織り上
げると、流れ星に送り届けてもらった。前にシーラがこっそり様子を見に行くと、アンナ
はジェイクにそっくりな元気な男の子を産み、ますますジェイクを尻に敷き、とても幸せ
そうだった。ジェイクも息子が生まれますます張り切っている。シーラはジェイクを見て
も、もはや胸が痛むことも切なくなることもなかった。ただ幸せに輝く顔がうれしかった。
 「メグ、シルベスターの身体が完成したの」いきなり話しかけてもメグは驚かなかった。
いつもこんな調子なのだから。
 「へえ、よくやったわね。彼は扱いやすいタイプではなかったわよね」メグは手を休め
るとふたりして台所に座っておやつを食べようと誘った。
 「ホレイショーは?」
 「村長のところに行ってる。村に芝居小屋をつくる話が持ち上がっているの」
 「そんな! メグはいいの?」
 「お遊び程度よ。彼もよくわかっているわ。それにあったほうが彼にはいいのかもしれ
ない。たまに田舎芝居でもあればみんな喜ぶし。それにね、次の星祭りで劇をしてほしい
と村長が言うの。もちろん女王の依頼」
 「依頼という命令ね。そんなこと言っていってたわよね。村長を通して正式な依頼にし
たの? 私は知らされてなかった」
 「あなたを通すと面倒になると思っているんじゃないの?」
 「まったくよくご存知で。彼は二度とその手のことに近づきたくないのかと思っていた」
 「いえ、演劇は彼の天性よ。きっと離れられない。わたしがそばにいる限り大丈夫。手
綱を締めていき過ぎると引っ張るの。だから安心して楽しんでる」メグは楽しそうに言う。
 「以前はまさかこんなふうになるとは思っても見なかったよね」シーラはしみじみと考
え深げに言う。
 「ええ、そうね。いろんな願いが一度に叶ったような感じ。シーラのおかげね」
 「わたし?」
 「あなたがわたしのところにきてからすべてがはじまったのよ」
 「そう、わたしは回りにいる人達をすべて幸せにするかわいい妖精」シーラは立ち上が
って回りながら小芝居をする。胸元のネックレスが一緒に揺れる。
 「きれいなネックレスね」
 ネックレスはシーラの実体の胸元でも輝いている。「あいつにもらったの。感謝の気持
ちの押し付け」
 「あなたも扱いにくい性格よね。よく見せて、きれい」メグがシーラの胸元の石をそっ
と手に乗せるとキラキラと光る輝きが消え、ただの石ころになった。「まあ、嫌われたわ」
意味ありげな表情でシーラを見つめる。「特別な石なのね」
 「くれた人と同じでひねくれているのよ」シーラは何を考えているかわからない表情で
答えた。

 帰りも送ってくれると親切にも言ってくれたマジェスターが迎えにきたので、シーラは
いまや自分の家ともいえる女王の星に戻った。仕事の時間だとふたたび飛び立とうとする
マジェスターを引きとめ、頭のなかに浮かんだ疑問をぶつけてみた。
 「この石には何か意味があるの?」胸に下がる輝く石を指差した。
 「知らないのか? それは君がシルベスターのものだとみんなに示している注意書きみ
たいなものだ。『警告! この娘に手を出すな』ってね。本当に残念だよ。君ともっと早
く会っていたらとみんな思っているよ」
 「そうだったの」呆然と立ちすくむシーラを心配そうにマジェスターが覗き込む。
 「大丈夫? 嫌なら返せばいい。なんなら僕がかわりに返してあげようか?」期待が声
にこもっている。
 「いいのよ。ありがとう」
 上の空で答えるシーラを名残惜しそうに見ながらマジェスターは飛び立った。
 シルベスターはなんの許可もなくシーラを自分のものとした。何も言わずに……。
 「シルベスター!!」こぶしをかたく握って空に向かって吠えた。

 気がつくと月面にいた。かなり離れたところにシルベスターが立ってこちらの様子をう
かがっているのが見える。シーラはすかさず火蜥蜴に変身し火を吐きながらシルベスター
に襲いかかろうとする。シルベスターはぱっと姿を消すとなだめるように話しかけてきた。
 「落着くんだ、シーラ。ゆっくり話し合おう。ちょっと場所が悪かったかな? もっと
穏やかな気分になれる場所にすればよかった」
 「場所なんてどこでも同じよ!」
 叫んだとたんにシーラのお気に入りの深海にいた。海のなか、火蜥蜴でいるのは具合が
悪い。いつものお気に入りのシーラカンスになった。問題はこの姿になると気持ちがゆっ
たりしてしまうことだ。
 むこうのほうから銀色に光る美しいシーラカンスの雄が優雅に泳いでくる。まったく忌
々しいやつだ。
 「石に気がついた?」
 「あなたは勝手に、なんの断りもなしに……」口から大きな泡がぼこぼこと音を立てて
上って行く。
 「落着いて。悪かったと思っている。でもしかたがなかったんだ」申し訳なさそうにち
いさな泡出す。
 「何がどう、しかたなかったと言うの。はっきりとわけを説明してもらおうじゃないの」
 雄のシーラカンスは気まずそうに言う。「女王は実に絶妙なタイミングで僕を呼び出し
た。きっといつもの嫌がらせだ。僕の身体が完成した時点で君は自由な人間になる。すぐ
さまみんなが飛びついてくるだろう。僕としてはそれを避けたかった。もう少し時間が欲
しかった」
 「なんのための時間?」
 「君が僕を見つめる時間、僕が確信する時間」魚の頬がほのかに赤くなっている。
 わお! シーラは心のなかで叫んだ。それから、しまった! ひそかに歯ぎしりした。
こんな大切な場面を表情の乏しい魚の顔でむかえるなんて! すぐさまシーラはシルベス
ターを口先でつっつきふたたび月面に戻った。
 「続けて」シーラは何事もなかったようにうながした。
 人間の姿のシルベスターは顔を横にそらしてシーラと目を合あわせないようにしながら
ためらっていたが、シーラがイライラと足で地面を叩き出すとあきらめたように話しはじ
めた。
 「僕は君を赤ちゃんの頃からずっと空の上から見ていた。いつか、もしかしたら君は…
…。僕は心のどこかで期待していた。だけど君には好きな人ができた。そしてうまくいっ
てはいなかった。僕は僕なりに君の幸せを願っていたから君の願いが叶うようにしてあげ
ようと思った。なのにまさか君があんな願いをかけるとは……。でも僕にとっては喜ばし
いことだった。君が僕のためにどこまでやってくれるのかとても不安だったけどね」シル
ベスターはいたずらっぽく微笑んだ。
 「わたしを信用してなかったの?」
 流れ星は肩をすくめた。「ここは慎重に答えないと君に殺される」
 「よくわかっているのね。でも答えはわたしが知っている。誰が相手でもわたしはきち
んとやり遂げた。だけど続きがあるのはきっとあなただけ。そのさきはあなた次第」今度
はシーラが肩をすくめた。「あなたはわたしに何も言わなかった」
 シルベスターは輝くように笑った。実際、身体中が光り輝いていた。胸に手をあて優雅
にお辞儀をするとシーラに手を差し出した。
 「シーラ、僕のパートナーになっていただけませんか?」
 「ええ、喜んで」シーラはその完璧な手を取るとシルベスターの胸に飛び込んだ。

 一応、女王に報告に行く。女王は上司みたいなもんだから。女王はあからさまに面白く
ない顔をしてふたりを見た。
 「ふうん。こうも簡単にいくとは実につまらないわね」それからシルベスターのほうを
向き、きつく言い放った。「シーラの仕事の邪魔をしないでね。彼女はわたしのお付きな
んだから」
 シーラは女王のお付きをやめようとしたのだが、次が現れるまで駄目だと許してもらえ
なかった。確か元役者の前にはお付きなどいなかったと思うのだが。強がっていても女王
もやはり寂しがりやなのだろう。
 シルベスターとシーラは以前にも増して女王からこまごまとした仕事を言いつけられて
いる。流れ星には空を走る以外にもいろいろなこまごまとした仕事があるのだ。女王のあ
からさまな嫌がらせの合間にはふたりでいろいろなところに出かける。
 夜空を走るシルベスターを地上から眺めることもある。誰かが願いをかけているかもし
れないと思うと複雑な気持ちになる。いい願いなら叶って欲しい。だけどいい願いという
のが流れ星にとっていい願いだとは限らない。とても危険だ。我がままや欲にかられたも
のは、特に物欲なんてのは実にやりやすい。いづれにしても願いを成就させるために裏で
流れ星たちはみんなとても大変な苦労をしている。
 シルベスターに走るのをやめられないのかと訊いてみたら驚いた顔でとんでもないと言
われた。流れ星として生まれたからにはそれは本能、意気込む相手の願いよりも早く走る、
とても闘争意欲をかきたてられ、興奮するらしい。
 シーラはネックレスをシルベスターに返した。ほかの流れ星は静かな音を立てて走るの
に、シルベスターが走るといつもヒューッと音がする。不思議に思ってまたまた訊いてみ
ると身体にちいさな穴があいているから、そこから風が抜けるのだと言う。完成したはず
なのにと愕然とするシーラを見てシルベスターは笑いながらネックレスを指差した。
 「それは僕の身体のかけらなんだ」
 「でも、身体が欠けると走れないんじゃないの?」
 「自分で取ったんだから関係ない。ただ……」眉をひそめ話したものかどうかと思案す
る。
 「ただ?」シーラは誤魔化されるのを許さない。脅すようににんまりする。
 「スピードが落ちるんだ。走るときの」
 というわけですぐさまシーラはネックレスを返した。シルベスターはがっかりした顔を
したが、シーラとしてはどんな危険もおかしてもらいたくない。新しいパートナーと、た
とえ暫定的なものとしても、シルベスターをだれかと共有する気はない。
 それにしても流れ星の世界はわからないことだらけだ。わからないだけでなく理不尽な
ことばかり。だけどすべてがとても面白い。


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