2 『羊の王』


 あるところに大きな牧場があった。
 たくさんの羊たちが美しい毛皮を誇らしげにまとい、草を食んでいる。だがその動きは
のろのろとしていて活気がない。みんな空を見上げてはため息をついて鳴く。あちこちか
ら漏れるくぐもった鳴き声で嶺の空気は重たくよどんでいた。
 もうすぐ毛刈りの季節がくる。羊たちがいちばん恐れる季節だ。牧場主は無神経な男で
羊の気持ちなんか考えやしない。手入れの悪い、錆びついたようなバリカンを平気で使う
男だ。おかげで羊たちは血だらけになり皮が剥げるものもいる始末だった。
 人間に毛を刈られるのかまわない。次にはもっときれいな毛を生やす。しばらくは身軽
に飛び跳ねながらシラミを追い出し、むき出しの肌にさわやかな風を感じるのは楽しい。
しかしそれは傷のないすべすべのきれいなピンク色の肌でいれたらの話。実際にはみんな
血を滲ませてメェメェ泣きながら呻いている。血の匂いに誘われてやってくる獣もいる。
 羊たちの毛のつやは不安のあまりだんだんばさばさになっていくのだが、牧場主はまっ
たく無頓着だった。
 羊たちはもうこれ以上は耐えられないと羊の王に相談することにした。
 羊の王を呼ぶには一糸乱れぬ団結力で臨まなくてはいけない。満月の真夜中、せいの掛
け声でみんなでいっせいに宙返りをする。なぜだかはわからない。そうしろと王に言われ
ているのだ。月明かりに照らされた牧場で熱した栗がはじけるように白い綿の固まりが次
々飛び跳ねる。みんなの息があがってきた頃、金色に輝く豊かな毛をまとったひときわ大
きな羊がくるくる回りながら空から下りてきた。
 「みんな楽しそうだね」羊の王はにこやかに笑った。
 「羊の王、お待ちしておりました」長老の羊が代表して進み出たが、ぜいぜい言って話
せない。羊の王は辛抱強く待っていたが、その目はそばにいる美しい雌羊に釘付けだった。
 「羊の王、お待ちしておりました」長老は仕切りなおすと王を呼んだいきさつを話した。 
 「それはけしからん。あるまじきことだ」そう言うとうつむいて考えた。おまけに目ま
でつぶってしまうのでみんな眠ったんじゃないかと心配になった頃、やおら顔をあげ一声
鳴いた。
 「わかった。なんとかしよう。待っておれ」いきなりその場で空高く宙返りをすると、
ぱっと消えた。
 もう夜明けが近かった。羊たちはやっと安心して眠れる。
 羊の王は考えた。自分ひとりの力ではどうにもできない。王は特別な羊だが特別な力は
ない。だがたぐいまれな知恵がある。必要なのは足りない力をみつけることだ。誰の力を
借りるかを考えた。もちろん代償は払わなくてはいけないだろう。だが自分は羊の王。み
んなを守らなくてはいけない。やりがいのある仕事ではないか。
 羊の王は谷間の魔女の力を借りることにした。会ったことはないがなかなかいい腕をし
ているという噂を聞いている。訪ねてみると魔女は予想外にも若く美しかった。腰は曲が
っていないし鼻にいぼもない。
 話を聞いた美しい魔女はとろけるような甘い声で羊の王に言った。「それでわたしがそ
の問題を解決する手助けをしてあげたら、あなたはわたしに何をしてくれるの?」
 「わたしの毛をあげよう。これはこの世の羊のなかでいちばん高級なものだ」
 魔女は熱い瞳で羊の王を見つめた。「毛皮のほうがいいいわ」
 「それは困る」毛はまた生えてくるけど毛皮を渡したら死んでしまう。
 「わかったわ。それで手を打ちましょう」
 羊の王は魔女にバリカンとローブを借りると入らないようにと言って一室にこもった。
 羊が自分で毛を刈る姿なんてめったに見れるもんじゃない。魔女は魔法の鏡を取り出す
とこっそりその様子を映し出した。驚いたことにそこにいるのは若くてたくましい男。足
元には黄金のように輝く羊の毛が山積みになり、まばゆく光っている。男は片足を持ち上
げて最後に脛の毛を刈り終わると名残惜しそうに足元を見た。それからゆっくりと毛の山
から抜け出るとローブを着込みフードですっかり頭を隠し魔女のもとに戻った。
 魔女は鏡を隠すとそしらぬ顔で羊の王に笑いかけた。「準備をするからこれでも飲んで
待っていてちょうだい」
 部屋にひとり取り残された羊の王はテーブルに置いてあるワインを一口飲んだ。あまり
のおいしさにもう一口。気がつくとすべて飲んでいた。そして目蓋が重たくなりもはや立
っていられないとそばの長椅子に横たわると気を失った。
 気がつくと天蓋付の大きなベッドに寝かされていた。ふわふわして気持ちいい。寒くな
いように上掛けがかけてあるが下には何も着ていない。しばらくは自分がどこにいるのか
わからなかったが、魔女が現れたときにすべてを思い出した。
 「いったいどうしてしまったんだ?」
 「あなたは飲み過ぎたようね」魔女はいたずらをした子供をたしなめるように言った。
そして羊の王を値踏みするように見つめながらベッドの端に腰かけた。
 「あなたに言い忘れたことがあるの」魔女は謎めいた微笑を浮かべた。「実は……あな
たの毛はもう元には戻らない。つまり生えないってこと」
 「なんだって!」驚いて起き上がろうとしたが下に何も着ていないのを思い出しとどま
った。
 「残念だけどわたしに毛をくれるってことはすべての毛ってこと。これからはもうない」
 「……嘘だろ」
 「本当」
 「騙したのか?」
 「言い忘れただけ」
 「それでは契約違反だ! もとに戻してくれ。話しはなしだ」
 「だめよ。契約も何も、もう約束は守られた。あなたの羊たちはもう苦しむことはない」
 「わたしは羊の王だぞ。こんな姿では誰も認めない。面目丸つぶれだ」
 「でも……もし……わたしの提案を受け入れるなら毛を返してあげてもいいわ」魔女は
艶かしく微笑んだ。
 「なんだ? それは」羊の王は目をすがめながら用心深く言った。
 「わたしと一緒に暮らすこと。わたしの恋人として」
 羊の王は目を細めると魔女の姿をじっくりと眺めておもむろに口を開いた。「いいだろ
う。それでわたしの毛はまた生えてくるのか?」
 「いいえ、あなたの毛でマントをつくってあげる。それを着れば元の姿に戻れる」
 「わたしの毛はたっぷりあるはずだ。二枚できないか?」
 魔女はきれいな女だ。羊としても魅力的な羊になるだろう。
 「もちろんできるわ」にっこり笑った。
 魔女は牧場主の男に恐ろしい夢を送った。羊になった牧場主が錆びついてなまくらなバ
リカンで毛を刈られる夢だ。叫び声で目を覚まし、夢だとわかり胸をなでおろした。だが、
切り刻まれたような痛みや血だらけになった肌の感覚が残っている。なまなましい記憶が
頭に染みついて消えない。明日いちばんにバリカンやハサミを研ぎに出そう。傷にいい軟
膏を用意したほうがいいかもしれない。
 王の羊たちはとても喜んだ。
 刈られたばかりのピンク色のすべすべした肌のほてりをさます心地よい風を受けながら
一晩中宙返りをして羊の王に感謝した。


                            TOP  BACK  NEXT  HOME                        Chap.2
inserted by FC2 system