21 『愚かなる羊の王』


 若い娘はちいさな家の前に立ち勇気をかき集めていた。見かけはまるで素朴な小屋とも
いえそうだがここは恐ろしい魔女の家なのだ。人が訪れることがない陰気な森の奥では塲
違いなほど可愛らしく見える。まるで迷い込んだ子供を捕まえるお菓子の家のよう。
 やっとの思いでここまでやってきたのだ。いまさらおめおめと尻尾を巻いて逃げ出すわ
けにはいかない。
 娘は大きく息を吸うと玄関の扉の横についた呼び鈴を鳴らした。
 なんの返事もなく扉がゆっくりと開いた。「どなたかいますか?」おそるおそる中に入
るとそこはこぢんまりとした居間になっていた。田舎にあるような温かみのある部屋だ。
ただ生活感がない。まるで静止した時間のなかに閉じ込められた飾り物のよう。もう一度
呼びかけてみようかとしたとき、奥につながる扉から美しい女性が静かに入ってきた。そ
の女性は質素だが品のいい田舎の奥さんという格好をしている。白い前掛けをつけている
がおろしたてのように汚れもしみもない。
 娘は長旅で汚れきった自分の姿が恥ずかしくなった。「勝手に入ってごめんなさい。呼
び鈴を鳴らしたら勝手に扉が開いたもので」娘はか細い声で謝った。
 「気にしなくていいのよ。ちょっと奥で用事があったものですぐには出られなかったの」
そう言いながら目を細めて娘を舐めるように見つめる。「ところでなんの御用かしら? 
こんなところまであなたのような娘さんがくるのは……そう……とても珍しいの」
 「あるひとを捜しているんです」
 「どうしてここにいると思ったの? その人はあなたの大切なひと?」
 「とても大切なひとなんです。彼はあなたに会いに行くと言っていた」
 「あなたはわたしが誰だか知っているのね」薄ら笑いを浮かべながら娘に近づく。
 娘は後ずさりしながらうなずく。
 「そういうことならこんな小芝居はいらないわ」魔女は大きく手を振った。部屋全体の
輪郭がぼやけたかと思うと広間に変わった。巨大な深紅のビロードの長椅子には色とりど
りのクッションが無造作にならべられ、床にはトラやライオン、シマウマ、何かわからな
い毛皮がこれまた無造作に敷かれている。壁にはムース、カモシカの角、孔雀の羽の扇な
どが飾られ、まるでまとまりも品もない、けばけばしい部屋だった。
 「まったくこのところ退屈してたのよ」魔女は長椅子にしなだれるように座るとにんま
りと笑った。実用的で清楚な服装は身体に張り付くような青銅色に輝くドレスに変わった。
大きく開いた胸元からあふれだしそうな胸、腿まで切れ目の入ったスカートからのぞくす
らりとして長い足、男なら目を離せない光景だろう。「それで、あなたの大切なひとって
誰?」魔女はけだるい声で尋ねた。
 娘は気後れしないように足を踏ん張った。「羊の王です」
 魔女はしばらく考えていたが、楽しいことを思い出したかのように鼻でふふんと笑った。
「ああ、彼ね。すてきな人だったわ。ハンサムでたくましくてしばらくのあいだわたしを
楽しませてくれた」
 「彼はどこにいるんですか?」娘の声は震えていた。
 「さあ、どこかしら? どこかその辺にいると思うけど」愉快でたまらないというよう
に手を振りながら笑って言った。「でもあなたにはわからないと思うわ」
 「彼を返して欲しいんです。あなたにはもう必要ないんでしょ?」
 魔女は娘を値踏みするように目を細めた。「わたしは別に彼を引き止めているわけでは
ないのよ。彼にはきっと帰れない事情があるのだと思うわ。彼の居場所は教えてあげる。
でもわたしはただでは取引しないの。あなたはわたしに何をくれる?」
 娘は持っている袋から羊の毛のマントを取り出した。自分の毛でつくったマント。ふわ
ふわでいい香りを染み込ませてある。そして時間をかけて乙女心をとらえて離さないやさ
しいピンク色に染めあげたのだ。
 女王の鼻先にマントを近づける。女王は興味なさそうな振りをしたが、娘はその瞳が光
るのを見逃さなかった。
 「これでどうでしょうか? この世にまたとない極上なマントです」
 「そうねえ。形がいまいちだけどひとつくらい持っててもよさそうね。それに近頃ここ
を訪れてわたしを楽しませてくれる男がいないの。しかたないからしばらくあなたで楽し
むことにしようかしら」
 娘はこっそりと安堵の息を吐いた。これからが勝負だ。魔女は何を言い出すかわからな
い。背筋を伸ばし、気をひきしめた。
 「そこの扉を開けるとがらくたがいっぱい詰まった物置部屋がある。そのなかにあなた
の捜しているものがあるかもしれない。ひとつだけもって帰っていいわ」魔女は意地悪く
笑った。
 娘はマントを袋にしまうと急いで言われた扉を開けた。そこには魔女の言うとおり古び
た家具とともにがらくたらしき物が雑然と転がっていた。黴臭い空気を肺から閉め出すと
憤然とした思いで魔女のほうに向きなおった。「なんてこと!」
 「やめてもいいのよ?」そう言いながらも魔女の目は娘の袋に向けられている。まるで
ヘビのようにいやらしい。
 いづれにしても魔女はこのマントを自分のものにしようとするだろう。ならばまずこの
挑戦を受けて立ったほうがいい。娘は用心深く言った。「やめないわ。でもあなたは退屈
しているんでしょ。たった一回のゲームではすぐに終わってしまう。どうせあなたはわた
しが失敗すると思っている。ならばもう少し回数を増やして楽しんだらいかがですか?」
 魔女は首に下げたネックレスについている水晶をさわりながらにんまりと考えた。思っ
たより度胸のある娘だ。失敗するのは決まっているのに。なぜなら魔女は欲しいものは必
ず手にいれる。どんな手を使っても。そしてその力を持っている。
 「いいわよ。あなたのその向こう見ずな勇気に免じて三回まで許してあげる。そのかわ
りとても楽しませてくれないと、わたしはきっと機嫌を損ねてしまうわよ」凄みのある笑
顔を振りまいた。
 娘は握りこぶしをかたく握りしめ、毅然とした態度で扉に向かった。
 「あまり待たせないでちょうだい。いえ、時間をかけてもらわないと長く楽しめないの
よね。でもわたしは気が短いの。あまり遅いと気が変わってしまうかも」
 魔女のたわけた戯言を無視して娘は黴臭い部屋に足を踏み入れた。
 床の上に、壊れて傾いだ棚の上に、ほこりだらけの机の上に色も形も大きさも、様々な
石のかたまりが無造作に放り出してある。娘はそばにあった黒くてごつごつしたかたまり
を手に取ってみた。見た目より軽く肌触りもやさしい、そしてほのかにあたたかい。
 「ああ、このなかのひとつが彼なのね。でもどれを選べばいいのかわからない」娘は呻
いた。
 とりあえず部屋のなかにあるものをすべて見てまわった。どれもが娘の求めているもの
に見える。鈍い金色に輝くかたまりは羊の王の毛の色に似ている。ひとまわり大きく堂々
としたかたまりは立派な王の姿を現しているのでは? 娘はあれこれと手に取り散々迷っ
た上にひとつのかたまりをつかんだ。それは羊の王の立派な角のように渦を巻いていた。
 魔女の元に戻ると、魔女は退屈そうに長椅子に寝そべり首に下げたネックレスをいじっ
ていた。
 「やっと戻ったわね。あまり遅いんでお婆さんになってしまうかと思ったわ」魔女はわ
ざとらしくあくびをしながら娘の手のなかのものを見た。「まあ、よりによってそれを持
ってくるなんて」眉をひそめる。「しかたがないわね。ちょっと待ってちょうだい」そう
言うと部屋の一角にある巨大なクローゼットに入り白いふわふわとした羽でできたガウン
に着替えてきた。クローゼットが開かれたときそのなかにたくさんの毛皮のマントやキラ
キラ光るドレス、ふわふわの羽根のショール、帽子、手袋が見えた。
 脱いだ服を無造作にさっきまで寝そべっていた長椅子に放り投げると魔女は憎々しげに
娘のほうに向きなおった。「あれはお気に入りのひとつだったのよ。まったく嫌な娘ね」
そう言いながら片手でネックレスをつかみもう一方の手で娘の持ったかたまりにふれる。
 娘の手のなかでかたまりがむくむくと大ききなっていく。娘は慌ててかたまりを放り出
した。
 かたまりは床の上でその姿を取り戻していった。表面がぼこぼこと泡立つように膨れる
と手と足と頭が生えてきてうずくまる男の姿となった。
 男はゆるりと立ち上がると流れるような動きで魔女に詰め寄った。
 「騙したな! 俺をあんなところに閉じ込めておくなんて!」
 男は何も着ておらずまったく毛がないむき出しの肌はぬめぬめとしていてその動きはく
ねくねしている。娘は目のやり場に困ったが肌と同じ色の下着をつけているのに気がつき
ほっとした。やはりそういう場面はまずいだろう。
 「騙してなどいないわ」魔女は澄まして言う。「あなたの願いは叶った。彼女は完璧な
姿で幸せに暮らしているわ」
 「どういうことだ!」
 娘は好奇心を抑えきれず二人の会話に割り込んだ。「あなたはこの性悪な魔女に何を頼
んだの?」
 男は娘に初めて気がついたように見つめると二股に分かれた舌をちろちろ覗かせながら
話し出した。
 「俺の彼女はとても嘆き悲しんでいた。彼女の完璧な身体の美しい鱗が一枚剥がれてし
なくなってまったんだ。それはそれは美しくて珍しい虹色に輝く鱗だ。俺は彼女の嘆きを
とめるために、ここに来て彼女の失った鱗を取り戻そうとした。たしかにちょっとばかり
くつろいでいこうとはしたが……。俺が眠っている間にこいつは俺の皮を盗んだんだ!」
男は魔女を牙の生えた口を裂けんばかりに広げ襲いかかろうとするが魔女の手の一振りで
部屋の隅まで投げ飛ばされた。
 「お黙り! この地を這う生き物が!」魔女が怒鳴りつけると部屋全体が震えた。だが
突然何かを思いついたようにっこり笑うと「悪かったわ。ついかっとして。あなたの彼女
はとても幸せに暮らしている。その姿を見せてあげるわ」魔女がパチンと指を鳴らすと二
匹のヘビの姿が宙に浮かんだ。虹色にきらめく美しい鱗を持つヘビと一回り大きくたくま
しい銅色のヘビ。とても楽しそうに絡み合っている。
 「なんてことだ! あいつは……」愕然とした男は血相をかえた。それからそそくさと
長椅子に上にある服をくねくねと身をよじらせながら着込み、どこかにたくし込んであっ
たフードをかぶると青銅色に輝く美しい鱗を持ったしなやかなヘビに変わった。最後に魔
女をつりあがった目で睨みつけ舌を出しシューッと威嚇するとするすると外へと出て行っ
た。
 「あーあ。お気に入りのドレスが……」魔女は未練がましく男が去ったあとを見つめて
いたがいきなり娘に向きなおり指を突きつけた。「あと二回! この疫病神。失敗したら
何をしてもらおうかしら?」
 「あなたはかわいいマントを手に入れることができるでしょ」
 「それはこのゲームがはじまったときからわたしのもの。でも失敗したときは失ったも
のに見合うだけのことをしてもらうから覚悟おし」
 娘は魔女の脅しにむかつきながら物置部屋へ戻った。
 さて、どうしよう? まったくわからない。散々迷った挙句に堂々として威厳のあるか
たまりをつかんだ。羊の王も押し出しの強い立派な体格をしていた。
 魔女は横たわった長椅子の上からさも愉快そうな顔で立ち上がった。娘に意地の悪い笑
みを向けたままふたたびかたまりをほどき元の姿に戻す。
 ピンク色の肌に鳥肌を立てたがっしりした男がひとこともしゃべらずに魔女を睨みつけ
ながら床に敷いてあったライオンの毛皮をつかんで出て行った。外からすさまじい咆哮が
響く。
 「さて、また失敗したわね。あきらめてもいいわよ。もちろんマントは置いて行ってね」
 「まだ一回残っている。甘くみないでちょうだい」
 娘は必死の思いでかたまりをひとつひとつ手に取って目を凝らしてみては下ろす。肌触
りを確かめては下ろす。重さを確かめては下ろす。どれをとっても羊の王のようでもあり、
そうでないようでもある。
 強がって見せたものの娘は途方にくれていた。これでお手上げか? これを失敗したら
自分もこの黴臭い部屋の住人になってしまうだろうか? お楽しみの時間もなく。
 娘が思わず落とした一粒の涙が足元にあったミイラのような人形の頭に落ちた。これだ
けはなぜか人間の形を保っていて不思議に思っていたものだ。
 ミイラの人形は軋んだ音を立てながら腕を伸ばし大きなあくびをした。「おう、すっか
り眠っておったわい」
 「あなたは誰?」娘は驚きの声をあげた。
  「わしはあの性悪な魔女の夫だ。邪魔なもんだからこんなところに押し込められてしま
っておった。君が水気を与えてくれたんで目を覚ますことができたよ。ところでここで何
をしているんだ? ここは君のような女の子がくるところではない」
 娘はいままでの事情を魔女の夫に話した。
 「ほう、そういうことなのか。それはかわいそうに」魔女の夫はきしきしと乾いた音を
立てながら首を傾け、腕を組んで考えた。そのまま、また眠ってしまったかと思ったとき、
崩れないようにゆっくりと腕をほどくと、ぽんと軽い音を立てながら手のひらを叩いた。
 「あいつはいつもそばにワインの杯を置いている。いまもそうか?」
 娘が頷くとミイラの口元が持ち上がった。
 「わしにいい考えがある。今度はわしを持ちだすんだ」

 娘は壊さないように気をつけながらゆっくりとミイラの人形を魔女の元に運んだ。ミイ
ラは眠った振りをして動かない。
 「ああ、最悪だね。なんてものを持ってきたんだい。まさかこれがおまえの捜している
ものに見えるとはお笑いだね。どこかおかしくなってしまったんじゃないの?」
 「わたしはきわめてまともだわ。おかしいのはあなたのほうよ」娘は叫ぶと魔女のそば
にあったワインの杯をつかみミイラの頭に降り注いだ。
 ミイラは水分を含みむくむくとふくらむと長い手足のついた初老の男になった。娘がほ
っとしたことに男はきちんと農夫の服をつけていた。なかなか男前の顔はお酒を飲んだよ
うに真っ赤だ。
 「久しぶりだな、妻よ」男は魔女に近づいた。
 魔女が動揺して立ちすくんだ隙に娘は魔女のうしろに回り首に下げたネックレスを引き
ちぎった。
 「やめて!」
 慌てふためいて娘に飛びかかろうとする魔女を男はがっちりと抑えた。
 魔女は震えながら崩れ落ちた。「わたしをどうするの?」
 床でうずくまり、うなだれる妻を男は悲しそうに見た。「おまえはいらない力を得たば
かりにわがままでみんなに迷惑をかけた。そのことを償ってもらおう」娘のほうを見ると
頷きながら言った。「その水晶を握って閉じ込められている者たちを解放するんだ」
 娘は言われたとおりにネックレスについた石を握りしめ、みんなが元の姿に戻ることを
願った。物置小屋から騒々しい音がする。物がぶつかる音、得体のしれない叫び声、何か
を壊す音、耳をふさぎたくなるような悪態。ひとしきりそれが続いたあと、静寂が戻った。
もしかして中で殺し合いがあったのでは? なんせいろいろな生き物が一緒くたに詰め込
まれていたのだから。娘は心配になりおそるおそる物置小屋に近づくといきなり扉が吹き
飛ばされ、たくさんの男が飛び出してきた。年も体格も色も様々、ただひとつ共通してい
ることはみんな怒りまくっている。
 恐怖で縮こまっている魔女を睨みつけながら、ある男は床の敷物を、ある男は壁のカー
テンを、そしてほとんどの男がクローゼットに飛び込みそれぞれが目的のものをみつけ愛
しそうに身にまとい出て行った。
 そのなかのひとりが娘の姿に目をとめ足を止めた。「君は……」
 「ああ、会いたかったわ」娘は男の胸に飛び込んだ。
 「君が助けてくれたのか」男はつぶやくように言った。「わたしは……」男は自分がこ
こに閉じ込められたいきさつを思い出しやましい気持ちでうなだれた。
 その気持ちを察したかのように娘は顔をしかめた。「あなたがとんだ愚かなことをする
もんだからわたしは大変な思いをしたのよ。この償いはこれから一生をかけてしてもらわ
ないと」
 羊の王は娘を強く抱きしめた。「当然のことだ」
 ふたりがお互いの顔を熱く見つめていると横から咳払いが聞こえる。ふと我に返り、初
老の男の存在を思い出す。
 「ごめんなさい」赤面しながらも離れがたい様子で男から身を引く。
 魔女はふてくされた顔で長椅子に座って状況をうかがっている。目は娘が持っているネ
ックレスに釘付けで、隙あれば奪い返そうと思っているのがありありと見て取れる。
 娘はネックレスをかたく握りしめた。
 「君はかわいいマントを持っているといったな」妻を見据えながらおもむろに初老の男
は言った。「それをもらえないだろうか?」
 「いいですけどどうするんですか?」
 「妻にそれを着せたらとても似合うだろう。わしはもともと牧童だった。出直しのはじ
めにかわいい羊が一匹欲しくなった」
 夫を睨みつけながら逆らう妻に有無を言わせず娘のマントを着せ、フードをかぶせると
魔女はとても可愛らしいピンクの羊になった。しばらくはじたばたと暴れていたが首に紐
をつけられると観念したのか首をうなだれ床に座り込んだ。
 「このマントは妻が心から改心するまで脱げない」娘から渡された石を握りしめて初老
の男は言った。そしてふたたび石を娘の手に戻した。
 「この石はいらない。わしは故郷に戻って静かで穏やかな元の暮らしに戻る。君のもの
にするがいい」
 娘は手の上の石を見つめた。この石があればなんでも思うがままだ。娘はにっこり笑う
と石を空中高くに放り投げた。「どこか空高く、誰の手にも届かないところへ!」
 そして微笑む羊の王に寄り添った。


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