3 出会い


 シーラはしばらく夜空を見あげたたずんでいたが、だいぶ身体が冷え込んできた。何を
したらいいのか、何を考えたらいいのかまったくわからないので、あきらめることにした。
考えようとしても頭は空っぽのままで何ひとつ、ひとところにおさまらない。空洞の人間
になったような気分だ。
 家に戻ろうときびすを返したとき、うしろから声をかけられた。
 「ごきげんよう」その声は濃く深く、夜空のように澄み切っていた。
 シーラは振り返るとギョッとした。そこにあるのは人間の輪郭。色も顔も何もない。ま
るで空間を人の形に切り抜き、ほんのちょっとずらしてまたはめ込んだようだ。向こう側
が透けてゆがんで見える。
 「ごきげんよう」その輪郭はもう一度繰り返した。「初めましてと言いたいところだが、
君とはすでに二度会っている。これが三回目だ」この言葉にはなんだか棘があった。
 「覚えがないわ」シーラが出した声はかすれて震えていた。
 「ああ、そうだろう。こんな姿ではなかった」苛立たしげに鼻を鳴らした。「僕は君の
願いを叶えてあげた流れ星だ」
 「流れ星!」
 「そうだ。君のおかげでこんな姿になってしまった」
 「わたしのせいで? あなたがそんな姿になるような願い事はしてないわ。だいいちあ
なたなど知りもしないのに」頭が少し回転しはじめた。どうも怪しい雰囲気だ。気をつけ
たほうがいい。
 「そう、確かに君はそんな願い事はしていない。だがこうなったのは君のせいだ」
 シーラは苛立ってきた。あくまでもシーラに罪を着せたいらしい。シーラに話しかける
声は若い男のようだ。もし目に見える姿があるとしたら背が高く細身のようだ。顔立ちは
もちろんわからない。きっと不細工な顔をしているに違いない。
 「それで、わたしに愚痴を言いにきたの? それとも仕返し? 八つ当たり? まった
くのお門違いだわ。いずれにしてもわたしには身に覚えがないからそんな話は受けつけな
いわよ」シーラはきびすを返すと家に向かった。
 「待て、僕は君の願いを叶えてあげたのだ。話を聞くくらいの恩義はあるだろう?」
 シーラは足をとめた。確かに願いは叶えてもらっている。もし相手の言っていることが
本当ならすこしぐらい話を聞いてもいいかも。それくらいはしてあげるべきだろう。恩着
せがましいところがとても気に入らないが、シーラは恩知らずではない。
 「でもあなたがわたしの願いを叶えてくれたという証拠はあるの?」
 「僕は君の願い事を知っている」
 「言ってみて」
 流れ星だと名乗る男は二つの願いをご丁寧にもきちんと三回繰り返した。そして……合
っていた。
 「……わかったわ。で、話ってなんなの?」苛立たしげに片足で地面をたたいた。
 男の表情はまったくわからない。顔がないのだから。それでもその口調から呆れている
のが滲み出ている。
 「君のその態度はあんまりじゃないか? まがりなりにも僕は君の願いを叶えてやった
んだぞ」
 「はい。はい。わかったってさっきから言ってるでしょ。おかげでわたしはとても幸せ
よ」シーラは皮肉な口調で言った。
 男が大きく息を吸い、気持ちを落着ける気配がする。それから顎のあたりに手らしきも
のをおく。揺らぐ姿の動きとその口ぶりから男の様子や気持ちを読み取ることができる。
いま、男は何やら考え込んでいる。
 「確かに君は幸せではない。でもそれは君の願いが間違っていたからだ」男は断言した。
「素直に彼が自分のもとに戻ってくるように願えばいいものを、あのふたりがうまくいか
ないようにと願うからだ。おまけにあとでそれを取り消すなんて」 その口ぶりには抑え
た苛立ちが混ざっている。
 「わたしの願い事よ。わたしの勝手だわ」
 「確かにそうだ。どんな馬鹿な願いでも、願いは願いだ」
 「あなたと話しているとなんだかむかむかしてくるわ」シーラは怒りで顔が赤くなるの
を感じた。
 「お互いさまだ」男の声もかなり我慢している。
 睨み合ったまま立っていたが、相手に目がないというのはなんともやりにくい。
 しばらくしてシーラは空を仰いで観念したように言った。「わかったわ。確か馬鹿な願
いだった。認める。これでいい? 気がすんだ? 家に戻ってもいいかしら?」
 「まだだ。さっきの話を聞いてなかったのか? 君のせいでこんな姿になったと言った」
 シーラは眉をひそめた。
 「だから君に責任を取ってもらいたい」

 男は願いを叶える流れ星。夜空を走るのが仕事。それも願いをかけられないように。
 願いを叶えるためには星が消えるまでに最後までつっかえずに願いを三回唱えないとい
けない。これはなかなか難しい。正確に正しい内容を伝えるのはもっと難しい。シーラは
前もってかなりの練習をした。
 流れ星はこれを挑戦とみなし、相手が願いを唱え終わる前に消えるのを喜びとする。そ
してたいがいの場合、流れ星が勝った。願いは簡単に叶わない。
 ところが男はシーラに負けてしまった。最初に負けたとき、かなり悔しい思いをしたけ
れどもちろん仕事はこなした。つまりきちんとシーラの願いを叶えた。そしてそのあとも
シーラを見張っていた。ふたたび流れ星を探す姿をみつけたとき思わず笑みを浮かべた。
受けてやろうじゃないか。
 そして砕けた。
 流れ星の世界にも独自のしきたりや規則や考えがある。同じ人間に二度も捕まるのは恥
ずかしいことであり、二度目の願いが一度目の願いを打ち消すなんてあってはならない。
もし、それが起きると流れ星は砕けて百個の破片になり世界中に散らばる。
 シーラに負けた流れ星はほかの誰よりも早く空を走れた。いままでほとんど捕まったこ
とはない。捕まったとしてもわざと手加減してやったときだけ。真剣に走って捕まったの
は屈辱だった。そこで思わず意地になってしまった。まさか二度目の願いがあんなものだ
とは思わなかった。今度こそ彼を取り戻すことを願うと思っていた。
 
 「へえー。わたしを見くびっていたわけね。そんな身勝手な願いをする女だと」シーラ
はふふんと鼻を鳴らした。「お気の毒だけどそんな姿になったのは自業自得でしょ。わた
しにはなんの責任もないわ」
 「まあ、いいだろう」男も負けじと鼻を鳴らした。「だが恩義は感じてもいいだろう?
 僕は君の願いを叶えてあげたんだから」
 「それがあなたの仕事でしょ」
 なんて嫌な女だ。やさしさも柔らかみのかけらもない。
 流れ星はうんざりし、こんな女にかかわるのはやめようと考えはじめたとき、女がふっ
と表情を和らげた。
 「売り言葉に買い言葉ね。あなたは困っている。そしてわたしに助けて欲しい。そうい
うことでしょ。でもあなたは間違っている。お願いするなら頼まないと。三回唱える? 
わたしは動かないから簡単よ」
 変わった女だ。だがさっきまでのとげとげしい感じがなくなるとずっと感じがよくなる。
そう言えば夜空に向かって必死に流れ星を探す姿はとてもいじらしかった。
 「わかった。お願いだから僕の姿をもとに戻すのを手伝ってもらえないだろうか?」三
回唱えはしなかった。
 「いいわ。で、何をすればいいの?」
 「僕の身体は世界中に散らばっている」
 シーラは想像して顔をゆがめた。目玉や内臓があちこちに転がっているのを想像したの
だろう。
 「もちろん姿をかえている」流れ星はその顔を見て愉快になった。考えがすべて顔に出
る。「僕の身体は朝露やちいさな花や石ころや葉っぱやゴマ粒、そんなようなかわいいも
のに変わっている。これからそれを集めてまわらなくてはいけない」
 「そんなことなら自分でやれるんじゃない? 世界中だなんてわたしにはいけない」
 シーラの言葉を無視して流れ星は続けた。「ただ集めるだけではだめなんだ。そのちい
さな破片は願いを叶えないと戻らないんだ。ええっと……つまりそれをたまたま見つけた
ものはそれにさわる。すると願いをかけたくなる。そして僕たちはその願いを叶える。そ
うするとその部分は僕に戻ってくる」
 シーラは目を大きく見開いて突っ立っていた。
 「わかったか? あまりうまい説明ではなかったかな」流れ星が見えない腕を組んで考
え込む。
 「あー……。つまりあなたの身体をもとに戻すには分解された身体の数だけの願いを叶
えないといけない。確か百個って言ってなかったっけ? それに僕たち? わたしが叶え
てもらった願いはふたつよ! なんでわたしがそこまでしなくてはいけないの! だいい
ちわたしにはそんな力はない!」声を押し殺して叫んだ。
 「君でないといけないんだ。それも決められたルール。僕の身体を戻すのに協力できる
のは当事者だけ。それに少しは同情してくれてもいいんじゃないか?」
 「ふふん。もし協力しなかったら?」
 「毎夜、空から恨みの眼差しを送り続ける。夜が楽しくなくなるぞ」
 「子供じみてる」シーラは流れ星を睨みつけながら考えた。別に手伝うのが嫌なわけじ
ゃない。ただ高飛車な態度が気にくわないだけ。とっぴな話でいまいちついていけないが、
いまの自分には気が紛れていいかもしれない。
 「何か危険なことはある?」
 「いや、たいしたことはない。破片は僕がみつける。君はそれにかけられる願いを叶え
る手伝いをしてくれればいい」
 「どうやって?」

 流れ星が行動するのはもっぱら夜、シーラはほとんど夢のなかで手伝うらしい。
 「これからの夜はあなたに捧げるというわけ?」
 「まあ、そんなもんだ。夢のなかならどこへでもいける。それにいつもではない。君が
必要なのは仕事があるときだけだ」
 「それ以外のときは?」
 「待機。そのときはどこでも好きなところにいていい。自分のベッドで寝ていてもいい
が、望めばどこへでもいける。月の上、雲の上、太陽のなか、熱いからあまりお勧めはし
ないけど」
 「なんだか楽しそう」その声は気乗りしていなかった。「さっさと見つけてよね。夜は
夢も見ないで眠るのが好きなの」
 「もちろん、そのつもりだ。僕だってこんな姿でいたくはない。それに君といると体中
から棘が生えてくるような気がする。ではまた連絡する」流れ星のひとがたは中心にぎゅ
っと凝縮し、光りの球となって素晴らしいスピードで空に飛んで行った。
 「なんか嫌なやつ」シーラはひとりつぶやくと家に戻りベッドに入った。

 気がつくと真っ暗な空間のなかに浮かんでいた。身体の感覚がない。もうはじまってい
るのだろうか? どうやらシーラは待機しているらしい。こんなところは嫌だ。あいつは
どこへでもいけると言った。試してみよう。
 ジェイクのところに行ってみた。心配事がなくなったその寝顔は間が抜けてるといえる
ほど幸せそうだ。しばらく見つめていたが気がついた。もはや自分のものではない男を見
ていても不毛なだけだ。昼間ちらりと見るだけで十分。アンナのところに行ってみようか
とも思ったがどうせ似たり寄ったりの顔で眠っているのだろう。あほらしくなってきたの
でやめた。
 そこであいつが言っていた月に行ってみた。月は荒涼としてごつごつしただけの場所だ
った。手近な岩に座り目の前に浮かぶ大きな青い球を眺める。不思議な世界だ。本物なの
だろうか? それともあいつがつくった世界にいるのだろうか?
 自分の身体を見下ろしてみると寝巻きを着た自分が見える。なんだか場違いで滑稽だ。
こういう場所には……そう、トカゲが似合う、それも大きいやつ。そう思ったとたんトカ
ゲに変わった。それも大きくて寝巻きを着たトカゲ。
 シーラはひとりで大笑いしてしまった。笑うトカゲ。考えるとふたたび笑いがこみあげ
てくる。ひとしきり笑ったあと、虚しくなった。ひとりで笑っても面白くない。
 冷静になって何ができるのか試してみた。いろんなものに変身してみた。昆虫、哺乳類、
無機物、有機物。魚に変身したときに気がついた。月の上、いや地面の上では魚は向かな
い。その場所にあったものに変わったほうがよさそうだ。
 つぎに流れ星がやってきたのは噴火する火山の火口で遊んでいるときだった。このとき
は岩石になっていた。マグマのなかに飛び込み噴火が起こると打ち上げ花火のように空に
飛び出す。人間だったら熱で骨まで溶けただろうが、この世界でのシーラにはほのかにあ
たたかいくらいで気持ちいい。一緒に飛び出す岩たちも楽しいのかもしれない。空に打ち
上げられると火の鳥に変わってまた戻る。そろそろ飽きてきた頃にやつはやってきた。
 「仕事だ。ここは話をするには向いてない。場所をかえよう」
 挨拶もなしにいきなりそう言うとシーラである岩をつかみ、開いたほうの指をぱちんと
鳴らした。シーラはもっと大きな岩になっておけばよかったと後悔した。
 シーラの家の裏庭に戻っていた。
 「なんだか独創性のない場所ね」シーラは本来の姿に戻っていた。
 「ここがいちばん落着く」流れ星はにべもなく答えた。
 「で、何をすればいいの」
 不機嫌な顔で腕組みをしながら話すシーラに流れ星は苛ついた。 
 「君は愛想というものを知らないのか?」
 「知っているわ」にっこりと笑って見せた。「でもなぜかあなたに振りまく気が起きな
いの」すぐにもとのしかめ面に戻った。
 流れ星は肩をすくめるとあきらめたように話を進めた。
 「女の子がケーキを欲しがっている」

 とある大きな町の洒落たお菓子屋の窓。貧しい身なりの女の子が曇りのない窓に汚れた
ちいさな両手とおでこをつけ、店のなかの棚にきれいにならべられたケーキや焼き菓子を
一心不乱に見つめている。切れ端でもいい、あのクリームをひとすくいでもいい、舐めて
みたい。思わず目の前の窓ガラスを舐めていた。そのとき、窓に張り付いたみすぼらしい
女の子に気がついた店の主人に恐ろしい剣幕で追い払われた。
 「こら! 汚い手でガラスにさわるんじゃない!」
 女の子は思いっきり舌を出すと、未練たらしく店を離れた。
 女の子の舐めた窓ガラスにはひと粒の水滴がついていた。それは流れ星の破片のひとつ
。女の子は知らないうちに願いをかけていた。『クリームのたっぷりのったケーキ』
 
 「わーお、女の子はみんなケーキが大好きよ。で、それから?」
 「君はこれからケーキをつくって届けるんだ」
 シーラは沈黙した。「……わたしがケーキをつくって届けるの?」
 「そうだ」
 「なんでわたしが?」
 「君の仕事だ」
 「それであなたは?」
 「次の願いがかけられるのを待ち、段取りをつける」
 「気に入らない。わたしはあなたの召使い? それもただ働きの」
 「そんなものだ」意地悪そうな笑いを感じる。「材料は持ってきた。そこまでしてもら
うわけにはいかないからな」どこからか取り出したバスケットを置いて消えた。
 「クソ野郎!」シーラは誰もいない空間に叫んだ。
 あんなやつのために働くなんて、それもあいつの身体を取り戻すためでわたしにはなん
の得にもならない。ブツブツ文句を言いながらバスケットを持って台所へ行き、中身を確
かめるとため息をついた。かなり大きなケーキを願ったようだ。
 さいわいシーラは料理が得意だ。数少ない取り得のひとつ。オーブンに火をいれ、ごそ
ごそと動き回っていると、メグが起きだしてきた。
 「夜中に何をやっているんだい?」
 「ごめん、うるさかった? 緊急の仕事が入ったの」
 メグは眉をあげた。日頃からとっぴなところがあるから少々のことでは驚かない。思い
ついたらすぐやらないとすまない性格。以前にも夜中に突然何かをはじめることはままあ
った。若いっていいわね。メグは一心不乱に動くシーラをしばらく見るとそっと部屋に戻
った。
 あの娘はこのところずっと物思いに沈んでいた。なんでもいいから気が紛れればいいも
んだ。いまつくっている何かがこちらの口にもまわってくればもっといい。そう思いなが
らメグは眠りに戻った。
 大きなケーキができあがった。クリームをたっぷり使いブルーベリーやイチゴやラズベ
リーや知らないフルーツをきれいに飾った。それにしてもフルーツに季節感がない。あの
男は便利な世界に住んでいるらしい。我ながら上出来だと満足げに眺めているとうしろか
ら突然声がする。
 「何かしら取り得はあるもんだ」
 驚くシーラを尻目に流れ星は満足そうに頷いた。
 「ちょっと、突然現れないでくれる。心臓に悪いわ」
 流れ星は取り合おうともせず、そっとケーキをバスケットにいれた。
 「上からか覆うものがあるかな?」
 シーラが部屋から持ってきたスカーフを受け取るとそっとかぶせた。
 「返してよね。大切なものなんだから」
 返事もせずに男はひやっとした手でシーラの腕をつかんだ。なんだか得体の知れない液
体か、あるいは気体をぎゅっと固めたような感触で気持ちが悪い。「さあ、いこうか」耳
の横で指をパチンと鳴らす。シーラはその仕草にイライラしながらも気になった。あの姿
でどうやって指を鳴らせるのか訊いてみなくては。いや訊きたくもない。
 暗い部屋のなかにいた。窓からさす月の光であたりの様子が見える。ちいさなベッドが
並んでいる。十五、六台位あるだろうか? 薄汚れた毛布のかたまりがその上に並んでい
る。時折もぞもぞ動くそのかたまりの大きさでまだ小さい子供ばかりなのがわかった。
 「ここはどこ?」
 「君も昔お世話になったところだ」
 つまり恵まれない子供たちの家ということか。シーラは赤ん坊のときにメグのところに
いったのだから記憶はまったくない。
 「わたしはここにいたの? なんであなたが知っているの?」
 「僕たちが関係していることだから」それ以上は何も言わず目的の子を捜した。「この
子だ」流れ星はシーラを手招きするとたじろぐシーラの額に指をあてた。
 「これで君の姿が見える。怖がらせないようにするんだ」
 シーラは流れ星を軽く睨みつけ女の子をそっとゆすった。わたしだってやさしいお姉さ
んになれる。もっとも意地悪な女の役のほうが好きだけど。
 「起きて。あなたの願いを叶えにきたわ」耳元でそっと囁く。
 女の子は目をこすりながら起き上がり月明かりに照らされ、ほのかに輝く美しい女の人
を見た。
 「まあ!」驚いて口に手をあてる。
 「あなたにケーキを持ってきたわ。欲しがっていたでしょ?」バスケットにかけたスカ
ーフを取り女の子にケーキを見せる。
 ケーキとシーラを交互に見ながらこれが夢なのかと考えている。「あなたは誰?」
 「……星の女王よ」シーラは腕を強くつねられるのを感じ、一瞬顔が歪んだ。文句を言
おうと横を向くと身体がぞっとするほど冷たくなった。
 シーラは驚きのあまり口があんぐりとあいた女の子の膝にバスケットを乗せるとそっと
その頬にキスをした。「お誕生日おめでとう」

 シーラの自分の家の裏庭で怒りに身を震わせて流れ星に詰め寄り指を突きつけた。
 「わたしの身体をのっとったわね!」
 「そのほうがうまくいく」流れ星は悪びれた様子を微塵も見せずに言った。「君はまだ
慣れていない」
 「今度こんなことをしたら絶対に許さない。この仕事を放棄してやる」
 流れ星は肩をすくめた。「わかったよ。僕はとんでもない怪物を捕まえてしまったよう
だ」
 「ふふん」
 「でも、星の女神なんて名乗るな。失礼になる」
 「じゃあ、なんて言えばいいの」
 「星の使い。やさしい妖精。なんでもいい。そんな大それたものでなければ」手をひら
ひらと振った。
 シーラは気にくわない素振りで口を開こうとしたが気を取り直したように口調を和らげ
た。
 「あの子の誕生日を知っていたの?」
 「いや知らない。誰も知らない。ただの思いつきだ。どうせわからないならつくっても
いいだろう。今日はあの子にとって幸せな日だ」
 シーラはじっと流れ星を見つめた。「わたしはあなたの誕生日どころか名前も知らない」
 「誕生日はあまたの夜のなかのひとつ。名前はシルベスター」薄れる姿とともにその声
はかすかな囁きとなり明けはじめた夜のなかに漂った。

 「シルベスター、さもありなん」姿が見えない相手とはやりにくい。そこでふと思い出
した。「わたしのスカーフ!」シーラの誕生日にメグがくれたものだ。シーラにも誕生日
はある。それはメグの家に届けられた日。誕生日があるというのはいいもんだ。あいつに
大事なスカーフを取り返してもらわなくては。シーラは大きなあくびをして伸びをすると
ベッドに戻った。

 メグはいつまでも起きてこないシーラに顔をしかめながらもあえて起こしにはいかなか
った。この頃すっかり夜更かしの癖がついてしまったようだ。昼間はぼうっとしているこ
とが多い。以前のようにジェイクとアンナをからかいにもいかなくなった。シーラがメグ
のために置いていてくれたちいさなケーキをつつきながら考えた。あんなにたくさんの材
料からできたのはこれだけ? そんなはずはない、でもほかには何もない。まったくどう
いうこと?
 朦朧としたありさまで起きてきたシーラは「おはよう、メグ」寝ぼけまなこでコーヒー
をつごうとする。
 「ああ、おはよう。それほど早くはないけどね」
 「ごめん、寝坊しちゃったわ。なんだか変な夢を見てよく眠れなかったの」
 メグは目をすがめながらシーラを見た。「夜中にケーキをつくっていたのは覚えている
かい?」
 「いやだ。もちろん覚えているわよ」
 夢遊病ではなさそうだ。「勝手に頂いたよ。おいしかった。でも残りはどこにいったん
だい?」
 シーラが答えるまでわずかな間があった。「失敗しちゃって。わたしとしたことが」カ
ップを抱えて裏庭に逃げた。
 おばあちゃんに隠す必要があるのだろうか? あの男は誰にも言うなとは言わなかった。
流れ星の力を借りてわたしを呼び寄せたメグだから、話しても信じてくれると思う。でも、
もう少し黙っておこう。まだ自分でも妄想なのか現実なのか区別がつかないのだから。

 次の仕事は離れていった恋人の心を取り戻すというものだった。その娘はほかの女に走
って行った男を思い歩きながら、きらりと光る小石を蹴った。蹴った石が思いのほか遠く
に飛び去るのを眺めながら思った。――彼があの小石のように遠くに行ってしまう。ああ、
もう一度戻ってきて!――
 話を聞いたシーラは流れ星のわき腹あたりにはっきりと実体化した肌のかけらを見つめ
ながらいきまいた。「あほらしい! その男はほかの女が好きなのよ! そんな男を取り
戻してどうするの」
 「彼女はどんなかたちでも彼を取り戻したいんだ」
 「でも、心は離れているのよ。また同じことを繰り返すだけだわ」
 「彼女はそこまで考えていない。だいいち願いが叶うとも思っていなかったんだ」
 「こんなことをしていいの? 心をねじまげている」
 「僕たちはそこまで考える必要はない。そのとき思いついた願いをただ叶えるだけだ」
 「無責任じゃない?」
 「僕たち流れ星はちゃんと願いを叶える。その願いが可能なものであれば。だけどその
あとのことまでは関係ない」パチンと指を鳴らした。
 シーラはふっくらとした身体をゆったりとしたドレスに包み、おせっかいなおばさんと
いった風情で娘の元恋人の夢枕に立った。横では流れ星がニヤニヤしているような気配が
する。
 「おまえはかわいい娘の心をもてあそんだ。かわいそうに彼女は深い深い悲しみのなか
に閉じ込められてしまった。このままでは娘はおまえを思いながら死んでしまうだろう。
これからおまえは罪の意識に苛まれながら生きることになる。いまならまだ間に合う。お
まえみたいな男をそんなに思ってくれる娘はほかにはいない」
 男は汗をかきながら目を覚ました。生々しい夢を思い出しながら頭を振った。いったい
どの娘を言っているんだ? 男は気ままに娘たちとつきあってきた。つき合う娘たちも気
楽な関係を楽しむ娘ばかりだった。いい加減な自分をまともに取りあっている娘はいなか
ったはずだが。
 ベッドに腰かけ天井の梁を見つめる。ひとりの娘の顔が浮かんできた。ちょっと前に別
れた娘の悲しげな瞳が浮かんでくる。遊びなれた娘だと思ったが、つきあってみると見か
けとは裏腹に純真で細やかな愛情を見せる。自分のタイプではないので早々に別れた。
 月明かりに浮かび上がる殺風景な部屋を眺めた。そろそろ年貢の納め時だろうか? こ
の部屋に花を飾ってくれ、ちいさな足音や笑い声で満たしてくれる妻を持つのもいいかも
しれない。だんだんと楽しくなってきた。そうとも、彼女は自分にはもったいないほどい
い娘だ。明日さっそく会いにいこう。男の心は新たな決意で心があたたかくなり、晴れや
かな喜びを感じていた。
  
 「今度は勝手にわたしの姿をかえたわね」シーラはぷりぷりして流れ星を睨みつけた。
 「臨機応変。君はまだ、慣れていないだろ?」
 「そのセリフ、前にも聞いたわ」苛立たしげに足で地面をたたきながら言った。「今度
何かをするときは、まずわたしの許可を取って」
 流れ星は肩をすくめた。
 もし顔があったらどんな表情をしていたか想像がつく。呆れ顔か小馬鹿にした顔。ふん、
まったくいけ好かないやつ。
 「ねえ、なんでわたしをあの姿にしたの?」
 「あれは彼の亡くなった母親の姿だ。説得力があるだろ?」
 「ふうん。……うまくいくと思う?」
 流れ星は気乗りしない様子で遠くの音を聞くように耳を澄ませるそぶりをした。
 「問題ないようだ」そっけなく答えた。

 朝寝坊をした上に大あくびをしながら台所に入ってくるシーラをメグは険しい顔で迎え
た。
 「すっかり怠け者になっちまったねえ。お姫様にでもなったつもりかい?」
 「おはよう、メグ。そんなにいいものではないわ。いいように使われてるお人好しの小
間使い」
 眉を持ち上げるメグにシーラは思案顔をむける。
 「実はわたし夜中にこき使われてるの。性悪でわがままでいけ好かないやつに」
 シーラはこれまでのいきさつをメグに話した。
 「ふうん」
 「それだけ? わたしの話を聞いたの? それとも年のせいで耳が遠くなっちゃたの?」
 「馬鹿お言いでないよ。わたしの耳は針が落ちた音だって聞こえる。だけどあまりに突
拍子のない話だからなんと言っていいのか考えているだけだよ」腕を組んで椅子にもたれ
かかって天井の梁を見つめながら言った。「なんだか楽しそうな話だねえ」
 「どこが?」
 「で、その男は、ええっとシルベスターとやらは男前かい?」
 「わかるわけないじゃない、顔がわからないんだから。でもわき腹の肌はきれいだった
わよ」
 そう、ほんのかけらだったけどすべすべしてほのかに銀色に輝いていた。「それに澄ん
だ深い声をしている。空っぽの部厚い銅鍋をへらで叩いたときのようによく響く声」シー
ラは突然首を振った。
 「ああ、嫌だ。悪いやつほどその姿を誤魔化すのがうまいのよ。騙されないようにしな
くっちゃ」
 メグはあえて口を挟むのをやめた。シーラは近頃ジェイクの話をしない。いいことでは
ないか。メグ自身は流れ星に悪い印象を持っていなかった。メグの願いを叶えてかわいい
シーラをつれてきてくれたのだ。
 「わたしもその流れ星に会ってみたいねえ」メグは生まれてから一度も村を出たことが
ない。村の女たちはみんな似たようなものだ。「さて、仕事にとりかかろうじゃないか」
 「わたし外で働こうと思うの」シーラが突然切り出した。「前から考えていたの。わたし
に織子は向いてない」
 シーラの織りかけの布を見ながらメグはため息をついた。隣に並んでいる織機にあるメ
グの目が整った繊細な布に比べるとシーラのものは野良着か布巾にしかならないほど違い
は明かだ。
 「子羊亭の女将さんの赤ちゃんががもうすぐ生まれそうなんで、手伝いを捜しているの。
わたしにぴったりだと思う」
 子羊亭は村の料亭のひとつで料理がおいしく人気ある。中でもラムのシチューは絶品だ。
 「何人目の子どもだっけね?」
 「八人目だそうよ。おまけにみんな無事に育っている。大ベテランね」
 「ひとりでももてあましているのにたいしたもんだ。でもこれまでみたいに朝寝坊なん
てできないよ」
 「大丈夫。わたしは若いのよ。じっとしているのは性にあっていないし」
 「ふうん」明らかに飽きっぽいシーラを疑っている目つきだ。
 「信用してないわね」
 「まあ、やってみな」それから頬をゆるませた。「余ったシチューなんかは大歓迎だよ」
 
 シーラの生活も一定のリズムができるとそう悪くはなかった。夜はどこか好きなところ
で待機していてもいいし、自分のベッドで夢も見ずに眠ることもできた。
 流れ星ははじめのうちはひんぱんにやってきたが、砕けた身体の破片が集まるにつれ間
隔が開いていった。そして驚いたことに願いを叶える相手は人間だけではなかった。
 森の熊が歩いていると栗のイガの棘を踏んでしまった。その素朴な頭で望んだのは棘が
抜けること。シーラは痛みに呻く熊のそばに立った。
 「栗の棘に仕込むなんて悪質だわ。かわいそうに苦しんでる」
 「僕がやったんじゃない」そう言いながらシーラの額を指でふれようとする。
 シーラはぎょっとした。「何やってんのよ。姿が見えたらわたしは襲われちゃうじゃな
い!」
 「そうだった。うっかりしていた」
 油断のならないやつだ。シーラなどどうでもいいみたいだ。
 「だいたいこれくらいあなたが自分でやればいいじゃない」
 「せっかく君がいるのに使わない手はないだろ? それにこの姿だとやりにくい。そし
てこうなったのは君のせいだ」
 シーラは鼻を鳴らして相手を睨みつけたがまだ顔がないのでやりにくい。
 いまのところは難しい願いはなかった。とっさに思いつくことなんて食欲と物欲。それ
に加えて恋愛関係、これらがほとんどだった。
 一度でいいからお腹いっぱい肉が食べたい。牛一頭の肉を用意した。思う存分酒が飲み
たい。浴びれるほどの酒瓶を部屋にならべた。決して本人のためにはならないと思うのだ
が流れ星は気にしない。シーラがそれを責めると自分は願いを叶えるだけだ。ほかのこと
など知ったこっちゃないと取り合わない。
 シーラはやっていることがだんだん嫌になってきて、ある日とうとう流れ星の呼びかけ
を無視した。
 その夜は自分のベッドで頭から毛布をかぶり、流れ星が話しかけても返事をせず眠った
振りをした。もちろん嘘なのはわかっているはずなのだが、流れ星は何も言わず消えた。
シーラは肩すかしをくったような気がした。卑怯な手を使ってしまったが相手が何か言え
ば十分戦う気で満々だった。むしろそれを望んでいた。なのに黙って行ってしまった。お
まけにかすかなため息を残して。
 シーラは腹がたってしかたがない。自分にも、流れ星にも。

 あれ以来、流れ星はあのつぎはぎだらけの姿を現さなかった。
 その間、シーラが目の回るほど忙しかった。ジェイクとアンナの結婚式があり、盛大な
披露宴が一週間も続いた。村中の宿屋は大入り満員で子羊亭はその味の良さから宴会の料
理を一手に任された。
 ジェイクは天にも舞いあがれそうなほど喜んでいる。かたわらのアンナは紅潮した顔で
みんなの祝福を受けている。シーラは忙し過ぎて、幸せでまばゆいばかりに輝くふたりを
からかう暇もない。
 子羊亭の子供たちはよく働くいい子たちだ。できあがった料理を運びながらも、その味
つけをすべて確かめるためだろう、みんなたえずもぐもぐと口を動かしている。身重の女
将さんも忙しくシーラや年長の子供たちを手足のように使っている。ときどき椅子にドン
と座り息を整えているがそれでも口が休むことはない。もともと寡黙な亭主は心配そうな
顔で女将さんの顔を見るのだが、女将さんはにっこり笑い大丈夫だと手を振る。
 いい家族だ。うるさくて賑やかであったかい家族。メグもこんな家族を持てただろうに。
 長い披露宴の最後にはとっときのものが用意されていた。アンナの両親は町から劇団を
呼んでいた。めったにない娯楽に村中が大喜びした。


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