5 日々の生活
 

 永遠に続くかと思われた披露宴も村中の人々が総出で楽しんだお芝居で幕を閉じた。誰
もがその間は仕事の手を休め夢中になった。子羊亭も一時休業、シーラはメグと並んで一
緒に芝居を楽しんだ。そして片付けが終わったら一緒に帰ろうとメグが待っている場所へ
シーラは走った。すっかり遅くなってしまった。空はすっかり暗くなり星が輝いている。
メグはお芝居があった広場のベンチにひとりぽつんと座り、空を見上げている。あたりに
いるのは自分たちの世界しか存在しない恋人たちばかり。ほほえましい気持ちになれるほ
どシーラは人間ができていない。そばに落ちているゴミを盛大に蹴散らし、大きな音を立
てながらメグのそばに行った。
 はしたない孫に眉を寄せながらも、メグもまんざら悪い気はしなかった。
 子羊亭から借りてきたカンテラが二人の足元をぼんやり照らす。天空に大きな月がかか
っている。明るい月の光のせいで星の輝きがかすんでいた
 「ひどいお芝居だったわ。なんかむかついた。羊の娘はひどい女。雄羊に罪悪感を抱か
せて、思いどおりにしようとしているのよ。それにあの俳優。なんなの、あれは。頭は薄
いし、お腹は出てるし、年はくってるし、女優のほうも似たり寄ったりだったわ」
 「一途でかわいい娘だったじゃないか」
 「計算高くてずる賢い女だわ」
 「ほらほら、気をつけないとおまえの底意地の悪さが表に出できているよ」メグはそう
言いながらも笑っていた。
 そういえばメグはお芝居を観るのに気乗りしていなかった。
 「メグ。昔あった芝居の主人公もあんなふうだったの? つまりあれくらいかっこよか
ったかっていう意味? そうだとしたらおばあちゃんの趣味を疑うわ」からかうように言
った。
 「よしてくれ。天と地ほどの差がある。あの人はとてもハンサムでスタイルも抜群で光
り輝いていた。そばにいた女優もかすむほどだった。それに昔の話ではない。人をひどい
年寄り扱いするんじゃないよ」
 きっとかなり美化されてるな。シーラはひそかに思ったが口に出すのは控えておく。
 「いずれにしても、魅力的な男には誘惑が多い。選ばれるのを待っていたんじゃ手に入
らない」メグはぼそりと言った。
 「後悔してるの?」
 「実を言うといまだにわからない。いろんな選択肢があった。でもすでに終わったこと。
いまさら思い悩んでもしかたがない」遠くを見るような目で話すメグの心中はわからない。

 その夜遅く、ひとりになるとシーラは考えた。
 自分はもっと強引にジェイクをつかみとったほうがよかったのだろうか? できなくは
なかった。いまでもジェイクが好きだしほかの人など考えられない。シーラはジェイクと
一緒になると幸せになっただろう。だけど……ジェイクは? やさしいジェイクはシーラ
を大切にしてくれたに違いない。だけど……。
 アンナの横で満面に笑みを浮かべ光り輝いていたジェイクの姿を思い出していた。シー
ラはジェイクをあんなに輝かせることはできない。そう、自分が輝きジェイクはかすんで
しまう。
 ふふん。もっといい男をみつけるわ。シーラはジェイクへの思いを振り切ろうとした。
だけどどうやって? もう一度流れ星を探す? そうそう、たまたま流れ星の知り合いが
いる。走れないあいつの目の前で三回願い事を唱えてみたらどうだろう。いまなら絶対に
勝てる。ただ問題がある。あいつは恐ろしく性格が悪い。 
 このままだと自分はメグみたいにひとり寂しく年を取るのかもしれない。そのときはメ
グみたいに赤ちゃんを呼び寄せよう。やさしくて賢くてハンサムな男の子を。
 シーラはため息をついて毛布をかぶった。
 そういえばこのところあいつはやってこない。

 次の夜、真っ白い布に包まれた流れ星が現れた。よく見るとそれは膝が隠れるほどの長
さのある寝巻きのようなシャツ。上質なサテンのようになめらかな生地のなかで身体の実
体がある部分があちこちで内側からほんのり光っている。それは慎み深くてよいのだけど、
とても不恰好だ。なんせシャツは形があるところでやっと引っかかっている状態で、風に
煽られた洗濯物のようにみっともない。
 思わず口元をほころばせながらそのことを口に出そうとしたシーラを流れ星はとめた。
 「何も言うな。一言でもしゃべるとひどい目に合うぞ」
 顔がない状態で脅されてもいっこうに応えない。シーラははっとした。いや、片方のほ
っぺたがある。
 「まあ、なんてこと! ひとりで願いを叶えたのね! 自分ひとりでできるのね! そ
れとも誰かほかの人が……」シーラは驚きのあまり半歩下がった。騙されていた。
 「このところ君は忙しそうだったんで、手を煩わせては悪いと思ってね。たまたま、た
いした願いではなかったから」流れ星はすべすべの頬を見えない手でなでながら言った。
 「わたしなしでできるなら、これからはぜひ、そうしてちょうだい」シーラはなんだか
裏切られたような気持ちになった。まるで手柄を人に取られたような……。もっともそん
な大層なものではないのだが。
 「よしてくれ、拗ねるのは」
 「誰が拗ねてるって! だいたいなんでわたしが拗ねなきゃいけないの。子供じゃある
まいし。自分でできるならそうすればいいじゃない。わたしを巻き添えにしてこき使って
た上にこけにして!」
 「君をこけになどしてない。騙してもいないし、嘘もついていない。それどころか、こ
れでもずいぶん気を使っているつもりなんだが」
 「どこが?」
 「君はとても忙しそうだった。君の恋人の結婚式で。だから遠慮したんだ」
 「元恋人」
 「それに君が身体をかくせって言うから、こうしてなんとか服を着てきた」

 確かにシーラはそう言った。それまでは流れ星は明らかにむき出しだった。なんせ身体
のパーツのどこが現れるかわからない。目のやりどころに困ってしまうのは時間の問題だ
った。
 空間が歪んで表す流れ星の身体の輪郭は細身で背が高い。そのところどころに皮膚が張
り付いている。おへその上に新しい部分が現れたときにシーラはその身体をぐるぐる回っ
て見た。どこから見ても身体の中身が見えない。
 「内臓が見えないわ」シーラは眉をひそめた。
 「見たいの?」流れ星は見えない口元をゆがめながら見えない眉をあげていた。
 「いえ、結構」
 片方のお尻のもりあがりが現れたときにシーラはまずいと思った。この男には節操とい
うものがない。
 「あなたはわたしが上品な淑女だとわかってる? わたしの品位を落とすような行為は
やめて下さるようお願いするわ」
 「なんのことを言ってるのかわからない」とぼけた声を出す。
 「その貧相な身体をかくせって言ってるのよ。恥知らず!」
 「貧相? 失礼だな。これはぜひ見てもらわないと」明らかにからかっている。「まあ、
しかたがないか。君の品位を保つためなら。でもまだこの状態で服を着るのはやっかいだ
な」
 確かあのときはぶつくさ文句を言っていた。

 「ふうん」シーラはちょっと気分がよくなってきた。「まあ、いいわ。ほっぺたのほか
にどこの部分が戻ってきたの?」
 「見る?」流れ星は両腕のなかで唯一実体化した左手の人差し指一本でシャツの裾を持ち
上げようとする。
 「結構よ!」シーラはこの男を殴ろうかと考えた。いまは無理でもいつかきっとまた砕
いてやる。
 「今日は何をするの?」気を取り直して訊いた。とりあえずは仕事。まだシーラは必要
とされているようだ。
 「今日は何もない」驚くシーラの表情を楽しむように続けた。「君の様子を見に着ただ
けだ。激しく落ち込んでいるんじゃないか、あるいは恋人に毒でも仕込んだんじゃないか
と思ってね」
 「元恋人。そんなことはしないわ。でも彼はわたしが見えるところにいると気まずそう
な顔になるの。ふたりの女性に板ばさみ。だからできるだけそばにいるようにはしたけど」
それからにっこり笑った。「わたしを心配してくれたの?」
 「ああ、もちろん。君の身体は僕の身体も同然だ。心身の健全を願うのは当然だ」
 「それを聞いてうれしいわ」苦々しい顔に恨めしそうな響きを込めて言う。
 「ところでわたしなしでどんな願いを叶えたの?」
 「迷子の蟻を家に帰して、発明家の耳にアイデアを囁いて、歌を歌った。」
 「歌を歌った?」
 
 とある音楽学校の生徒は悩んでいた。明日、歌唱の試験があるのに歌詞全部を覚えてい
ない。いまからではとても覚えきれない。どうしよう! 苛立ちのあまりそばにあったカ
エルのぬいぐるみを壁に叩きつけた。舞い上がったほこりにむせながら願った。――歌詞
を間違えずに歌えますように――。 

 「そこで替わりに歌ったんだ」
 「へぇー。そういえばあなたは昼間でも動けるの?」
 「ああ、でもあまり冴えない。僕は夜のほうが輝く」
 「はいはい。でもよかったわね。その子は助かったのね」
 「それほど喜んではいなかったな」流れ星の口調はどこか面白がっていた。
 「なぜ? あなたはいい声してるじゃない」
 「確かに僕はとてもいい声をしている。でも音痴なんだ」
 シーラは思いがけない事実に驚いた。流れ星はなんでもできると思っていた。
 「それに僕の昼間の声はかすれてよくでない。おまけにその生徒は女の子だった。でも
歌詞は完璧だ」
 「あなたの願いの叶え方はどこかひねくれてるわ」シーラは呆れた。
 「いいのさ。あの子は歌詞を覚える時間は十分あったのにさぼっていたんだ。それに先
生方はあまりに様子がおかしいので、再試験を受けさせることにした。この次は自力で頑
張るさ」
 「ふうん。ねえ、口がないのになんでしゃべれるの?」
 「部外者には秘密」
 「ほかには何ができるの?」
 「教えられない」
 「なんで?」
 「流れ星の神秘性と魅力が損なわれる」
 シーラは流れ星がどんな顔をして話しているのか想像した。にやついているのだと思う。
 「ねえ、歌ってみてよ。聞いてみたいわ」
 「耳をふさいで聞くのなら歌ってやってもいいぞ」明らかににやついている。

 流れ星とのつきあいにも慣れてきた。ひねくれているけれどそう悪いやつではないよう
だ。シーラは昼間、子羊亭で忙しく働き、夕食の時間、メグに流れ星の話をする。メグは
シーラの話をとても楽しみにしていた。毎日が平凡で単調な村の暮らし。まして村から一
度も出たことのないメグにとってわくわくするような話だ。
 「危険はないんだろうね?」
 シーラが出かけているのは夢の世界と現実が交差しているようなところだ。シーラの本
体はいつもベッドの上にある。「大丈夫よ。現実とは違うのよ」そう言ったものの、この
あいだその夢の世界でつけた傷が、朝起きたら残っていた。
 そのことを流れ星に話すと、流れ星は左手で顎をさすりながら考え込んだ。
 その頃にはだいぶ姿が戻っていた。左手首から先はあるが右手はない。左利きだからよ
かったと喜んでいた。右膝はあるが左膝がなく、左足首がある。これだけでもだいぶ歩き
やすいとやはり喜んでいる。相変らず長いシャツを着ているがその姿は様になってきた。
寝巻き姿としては。しかし、肝心のところがない。顔は顎と右の耳しかない。流れ星は顔
がないのをあまり気にしていない。
 「君は長いあいだ僕たちの世界にいるから影響を受けはじめたのかもしれない」
 「わたしも自分の世界にいるときと同じように怪我や病気をするってこと?」
 「ああ、いままではそんな心配はなかった。君の身体は君の世界にある。そこで寝相が
悪くてベッドから転げ落ちたりしないかぎり傷つくことはない。ここにいるのは虚像、幻
や幽霊みたいなもんだ」
 「ややこしいわね。もっと簡単に説明できないの?」
 「つまりだな、君は現実と夢の区別がつかなくなってしまっている。だから夢を現実と
思い込んで身体までその影響を受けている」
 「まあ!」シーラは両頬に手をあてて驚きのポーズを取った。
 それを見た流れ星が苦笑いをしているのがわかった。この頃のシーラには顔がなくても
声の調子や雰囲気からどんな表情をしているのかだいたいわかるようになっていた。あと
は顔の造りを知りたいだけだ。それによってシーラの対応も変わる。
 「君は気にしていないのか?」
 「正直言っていまいちピンとこないの」
 「まったく君は度胸が据わっているのか、ただ鈍いだけなのか」顎が左右に揺れた。首
を振っているのだろう。「あまり長くいるとますますわからなくなってしまうかも。君は
ひとところにじっとしていないし、危険なところにもしょっちゅう出かけている。まだし
ばらくは頭が確かに働くよう願うよ。いくら君でも現実と夢の区別はつくだろ? たぶん
君がぼろぼろになる前には僕の身体もとに戻る」
 「わたしがあなたの手伝いをやめるっていう手もあるんだけど」
 「まだ、大丈夫だ」取りつくしまもなかった。
 
 次の日、子羊亭でいつものように忙しく動いた。あのふたりが結婚してから村には活気
が出てきた。出入りする商人が増え織物業の技術の交換や勉強会も開かれるようになった。
アンナとその一族が閉鎖的な村の世界に窓を開け、町の空気と新鮮な息吹を運んできたよ
うだ。
 村の織子たちの格好も織る布も垢抜けてきた。都会の人々好みの軽く洒落たものが織ら
れるようになっていくものの、年配の人々は昔ながらの伝統と技法をかえるのを嫌がる。
ちいさな衝突はあるものの、流れは確実に変わっている。
 地主は知識を学び村の発展に役立てるという使命を持たせて優秀な若者を町へ送り出す
計画があると発表した。すべてジェイクの考えだ。町に行った若者たちがジェイクのよう
に町の娘をつれてきたら、村の娘たちはいい気がしないだろう。村の娘たちに遠慮して、
あるいは恐れて、決して表立って口には出さないが、若者たちがそれを期待しているのは
間違いない。アンナは村の娘たちに比べたら泥臭くなく、上品で、男どもから見れば憧れ
の的だ。もっともそれはあたりまえ、お金持ちなのだから。
 でもそうなると女たちは黙ってはいない。村の男たちは自分たちのものだと思っている。
すさまじい戦いが起こるだろう。シーラは思わずにんまりした。
 そのうち女たちが町の男を捕まえに行く日がくるかもしれない。
 ふふん。みんなわたしの気持ちがわかるわ。あのとき、シーラと同じ年頃の娘は同情す
る振りをしながら裏で舌を出すか、身分違いを思い知ったかとばかりにあからさまにあざ
笑った。シーラは美しいしジェイクは村いちばん格好よく金持ちなのだから嫉妬されてい
たのはしかたがない。もっとも終わった話だが。
 それにいまではふたりの仲睦まじい姿を見ても以前ほど心が痛まない。やさしいジェイ
ク。やさし過ぎるジェイク。アンナの尻に敷かれるのも時間の問題だろう。

 流れ星がやってきた。あれからちいさな願いをちまちま叶えてきた。いまの流れ星には
片目がある。きりりとした眉の下にある長いまつげに縁取られた瞳は深いミッドナイトブ
ルー。欠けたお面のように顔のあるべき場所に張り付いている。その上にあるゆるやかに
カールしたひと房の髪は銀色。銀色といっても白に近い銀から黒に近い銀までいろいろあ
る。流れ星の髪はそのひと房のなかにすべての色を含んでいた。まあまあいい顔していた。
いや、認めたくはないがとても魅力的。ただ、全体としてみればとても不気味。
 「完成するまでその顔をお面かなんかで隠せないの?」
 「なんで?」にやりと笑う。口がなくても片目で十分表情は出せるもんだ。
 「気持ち悪い」
 「嫌だね。完成したら見とれるぞ。少しずつ慣らしたほうがいい」
 とんでもない自惚れ男。いくら顔がよくても中身がね。でもそのほうがいい。これで性
格がよかったらもっと嫌味かもしれない。
 「さあ、いくぞ」


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