7 和解 次の朝、シーラは満足した思いで目を覚ました。いつかあの博物館へメグをさそって行 ってみよう。ただ問題はあの博物館がどこにあるのかわからないことだ。 流れ星はどこへでも一瞬でいける。シーラはただつれて行かれるだけで何もわかってい ない。どこまでが現実でどこまでが夢の世界か時間の感覚さえもわからないときもある。 いま、こうしている自分も現実なのだろうか? 朝食のテーブルにつくとメグの顔をまじまじと見た。 「どうしたんだい。わたしの顔に何かついているかい?」 「わたしの顔をさわって」 メグは変な顔をしながら手を伸ばし顔ではなく頭をなでた。「疲れているようだね。相 変らず彼はおまえをこき使っているのかい?」 「ええ、それはとても。わたしは本物よね?」 メグは顔をしかめながらブツブツ言った。「おまえの頭がおかしくなる前に文句を言わ なくては。今度、顔を出すように言っとくれ」 「やめたほうがいいわ。気持ち悪いから。だけど……あいつの手伝いをするのはそう… …結構面白いかも」シーラは考えながら言った。そう、確かに面白い。嫌なやつだけど扱 えないわけではない。どこかずれているがシーラの気持ちは汲んでくれる。結構うまが合 うのかもしれない。 それからしばらくたいした願いはなかった。床に落ちているゴミを拾ったときに突然、 願い事をしなくてはいけない気持ちになる。そんなときに重大なことを思いつくわけがな い。 山崩れで家に閉じ込められた一家が外に出たいと願う。これが大きいといえる願いだっ た。流れ星が家の扉をふさぐ大きな岩を左手で打ち砕くのをシーラは見物しているだけで よかった。ついでだから一応拍手をしてあげた。確かに一家は助かったが埋まった家はそ のまま。あとが大変だ。だけど流れ星はそれ以上のことはしない。そんなふうにしてふた りは順調に流れ星の身体を集めて行った。 「ちょろいもんね」だいぶできあがった流れ星の姿を見ながらシーラは得意げに微笑ん だ。 「ああ、もう少しだ」流れ星は黒い細身のズボンに純白のドレスシャツ、それにつや消 しの黒いジャケットを着ていた。なんとなく嫌味だ。暗闇ではその姿はかすかに発光して いるように見える。相変らず片目がないし片腕がない。胴体はよくわからない。ちょっと 前にシーラはうっかりどうなっているかと訊いてしまった。すると流れ星はにやりと笑い 見せてくれようとしたので慌てて断った。そこまでプライバシーに立ち入るつもりはない。 足は両方ともあるようだが、右膝がないのでバランスが悪いと言っていた。 シーラカンスの願いは皮肉にも流れ星の心臓にあたる部分を戻した。考えてみると流れ 星は人間ではない。だから、なかの造りもきっと違うだろう。心臓だってあるかどうかも わからない。だけど心はあるはずだ。それはもともと形のないものなのだから。 「見とれているのか?」流れ星がうれしそうな顔をする。 「たいした自惚れ屋。まだ中途半端な出来損ない。できあがってもどうにか見られるっ てところね」 「ふふん。僕は結構いけてるって……」流れ星は急に黙り込むと厳しい表情になった。 「仲間が砕け散った」突然消えた。 「どういうこと?」シーラの声に空中に虚しく漂った。 流れ星は現れない。シーラは何があったのかわからないまま悶々として過ごした。流れ 星の仲間の身に同じことが起こったのだろうか? それにしてはとても青ざめていた。彼 に起ったよりもっとひどいこと? 流れ星は自分の都合で現れる。シーラから流れ星に会 いに行けない。勝手な一方通行、とても不公平だ。 「シーラ、大丈夫かい?」メグはこの頃とみにぼうっとしているシーラを心配していた。 「ええ、大丈夫。わたしは元気」シーラはメグを安心させるように陽気に言った。「わ たしは頭を使うタイプじゃないから、使い過ぎると動きが鈍くなるのよ」そして考え込む ように言った。「メグはどこかよそに行ってみたいと思ったことある?」 「ああ、あるさ。世界中を旅してまわっていろんなとこを見てみたかった」 「でも、どこにも行かなかった」 「そうさね。ここは居心地がいいんだよ。住みなれた場所だ。おまえもいるしね」 本当? メグの両親は早くに亡くなっている。シーラを呼ぶまではひとり気ままな時間 があったはず。彼が戻ってくるのを待っていたのだろうか? 戻るかどうかもわからない 彼を? 流れ星はなかなか現れなかった。身体のパーツがだいぶ集まったいま、流れ星が現れる 間隔は確かに開いていた。シーラはいつ現れるかわからない流れ星を待つ状態が大嫌いだ った。 毎晩イライラとする神経をもてあましいろんなところへ出かけた。雪と氷に囲まれた世 界で白熊と戯れた。溶けそうなほど熱いジャングルでサルと木登りをした。空に舞い上が り流れる雲に腹ばいになり地上を眺めた。手近にある星は全部訪れた。美しい景色ではあ ったがあまりにも壮大過ぎて飲み込まれそうになり長くはいれなかった。 しまいにはほとんどの時間をシーラカンスのいた海の底で過ごした。発光体に囲まれた 幻想的な静かな水中をシーラカンスの姿でゆっくりと漂いながら考えるのはとても落着き 心地よかった。 思いつく限りのいろんなところに行ってみた。まったくあいつはどこにもいなかった。 あいつの世界はどこにあるのだろう? 現実の世界では子羊亭の女将さんに元気な女の子が生まれ、ますます賑やかになった。 女将さんはほんの少し休むとすぐに仕事に戻ってきた。村は人であふれ、ジェイクの肝い りで、できあがった織物を自分たちで売る店を出す計画も進んでいる。村の有力者たちが 集まって、夜な夜な会議を開き、村ぐるみで盛り上がっている。村の広場の周りには新し い建物が次々と建ちはじめた。子羊亭の女将さんは自分の店も負けないように増築しよう と息巻いている。 とにかく村は異常な熱気に包まれていた。 子羊亭の稼ぎ時の忙しい時間が過ぎ、ひと段落着いたのでシーラは休憩をもらい広場の ベンチに腰かけた。このあいだはここでお芝居があった。あれからずいぶんの時が流れた ような気がする。ずっと先の正面にある建築中の建物の屋根にジェイクがいるのが見える。 周りの男たちに指示を与えている。相変らずすてきだ。向こうからアンナがやってくるの が見えた。屋根を見上げジェイクに声をかけ注意を惹くと持ってきたバスケットを近くの 少年に渡した。そのまま帰ろうとしたのだが、シーラの視線を感じたかのように振り向い た。 あら、やだ。気がついた。シーラはジェイクがいようといまいとただ目の前の光景を見 ていただけだったのに。大きなお腹を抱えたアンナが太ったアヒルのようによたよたとシ ーラに向かって歩いてくる。 「ごきげんよう。いい天気ね。ちょっと横に座ってもいいかしら?」 「嫌よ」そう言いながらもシーラはしぶしぶお尻を横にずらした。アンナは大きな腰を ゆっくりとベンチに下ろし、場所が足りなかったのかシーラをさらに横に押しやった。 「ごめんなさいね。この身体はやたらと場所を取っちゃって」楽しそうに言った。 「すごい迫力ね」以前の華奢なアンナの面影はない。 「双子じゃないかって言われてるの。ジェイクもわたしもとても楽しみにしているわ」 アンナは仲のよい友達と世間話をするように話を続ける。「このあいだのお芝居は面白 かったわね。わたしのアイデアだったのよ。町にすてきな劇場があったの。子供の頃から そこでお芝居を観るのが大好きだった。いろんなお芝居が次々とかかってどれもとても面 白かった。みんな虜になって欠かさず見ていた。中でも飛び抜けて格好よかったのが主役 の男優。彼が劇団の団長ですべてを仕切っていたの。男も女もみんなが夢中になっていた。 わたしも子供ながらにとても憧れた。本当はあの劇団を呼びたかったのよ」 シーラは背中がぞくぞくした。もしかしたら……。「きてくれなかったの?」 「いいえ、これなかったの。なくなったのよ、劇場も劇団も。ずいぶん前に原因不明の 事故ですべてがなくなってしまった」 「誰も助からなかったの?」 「それが幸いにも人気のない夜中の事故で亡くなった人はいなかった、ただ一人を除い ては。あの素晴らしい男優だけがいなくなった。死体は見つからなかったけどそれっきり 姿を見た人もいない。劇場のなかは入り組んだ天井裏とか地下がごちゃごちゃとあるから 見つからなかったのだろうといわれているわ。とても残念よ。わたしの結婚式には彼にぜ ひ演じてもらいたかった」 シーラは胸をしめつけられるようだった。ああ、この話をメグにしていいものだろうか? 青い顔をして考え込むシーラをアンナは怪訝な顔をして見つめた。それからちょっと間 をおくといきなり切り出した。「わたしって嫌なやつでしょ」 シーラはびっくりしてアンナを見つめた。 「あなたからジェイクを取って幸せになってる。ジェイクをどうしても自分のものにし たかった。わたしは決められた人とではなく、自分の好きな人とどうしても一緒になりた かった。たとえどんな手を使ってもね」アンナはいたずらっぽく笑った。「ジェイクにあ なたという人がいるのは聞いていた。彼は悩んでいた。だからわたしは押して押して押し まくったの。そのときは自分の気持ちしか見えなくて、あなたに悪いなんてちっとも考え なかった。そしてね、いまでも悪かったと思っていない。ジェイクは幸せよ。わたしが保 証する」シーラに向かって首を傾げながら心配そうな顔で訊く。「この頃わたしたちに嫌 がらせをしないわ。どうしちゃったの? どこか具合でも悪いの?」 まったく自分たちが嫌がらせを耐えることで罪を償っているとでも思っていたのだろう か? シーラは思わず目をくるりと回した。 「わたしはこう見えても忙しいの。あなたたちにかまってる暇はないの」 アンナはじっとシーラを見つめた。「わたしを憎んでる?」 あまりにもまっすぐな瞳に見つめられシーラはたじろいだ。思わず身を引いたがアンナ の真剣な瞳は容赦なくシーラをつかまえて離さない。 やれやれ。決着をつけようというのね。上等じゃない! わたしだっていつまでも執念 深い人間だと思われるのは本意ではない。 「ちょっと待って。いきなり現れてそんなこと言われてもねえ」本当は考える必要もな かった。ふたりのことなんかとっくの昔に興味がなくなっていたし、どうでもよかった。 シーラは現在の生活のほうがとても充実して楽しかった。ただ問題は心のなかに棲む意地 悪シーラがなんとかアンナに仕返しをしてやりたいと思っているとこだ。 「わたしがあなたをどう思っていようとあなたには関係ないんじゃないの?」 「そうね、それがそうでもないのよ。ジェイクはいまでもあなたのことが好きなのよ。 もちろんわたしを好きなほどではないけどね。もっと違う形であなたが好きだし、とても 気にかけている。わたしはジェイクが気にかけているあなたが気になる」 「何言ってんの?」 「実のところジェイクを通してあなたを見ているうちにあなたが好きになってしまった のよ」 シーラは開いた口がふさがらなかった。「どっかおかしいんじゃないの?」 「そうかもね。近頃あなたがわたしたちの前に現れないから二人で心配してたの」話が 振り出しに戻ったようだ。しかたない。 「さっきも言ったようにわたしは忙しいの。それに……正直言ってジェイクにもあなた たちどちらにもなんの感情も持っていない。あなたたちがわたしを差し置いてどんなに幸 せになってもちっとも堪えないからわたしに遠慮せずにどんどん勝手に幸せになってちょ うだい」 「本当?」 「心の底からの真実」 「はあ、なんか気が抜けちゃったわ。ジェイクが言ってたわ。あなたはとても正義感に あふれる心のやさしい人だって。ちょっと疑っていたけど彼の言うとおりね。彼もとても やさしいの」 はいはい。いくらいい人に祭り上げられてものろけ話を聞く気はない。シーラはふと思 いついた。 「ねえ、もし願い事がひとつ叶うとしたら何を願う?」 「唐突な話ねえ」アンナはそれでも鼻にしわを寄せて考えた。「赤ちゃんが無事に生ま れること。ジェイクの幸せ。ふたりの幸せ。ジェイクの仕事がうまくいくこと。わたしの 体型が元に戻ること」 「ひとつと言ったんだけど」 「家族の幸せ。だけどそれはわたしが叶えるわ」 アンナはメグのところに行くと言って別れた。赤ちゃんのためのおしめや肌着、おくる みから布団用の布まですべてメグに織ってもらっているらしい。 「彼女の織る布はとても素晴らしいの。でもわたしが頼んでも聞き入れてもらえないと 思ったから人を介しているの。でももう正体を明かしてもいいわね。こうしてあなたとも 仲良しになったことだし」 よたよたと大きなお尻を振りながら歩いて行くアンナを眺めながらシーラは顔をしかめ た。 明るくて、はっきりしていて、賢明で本当に嫌なやつ。 ため息をついてうつむいていると、ばかでかくて汚いブーツが現れた。やれやれ。 「今度はあなた? 今日は厄日?」 「アンナは何を言ってたんだ?」ジェイクはいきなり言った。 「そうね。まあ……あなたをお尻に敷いて幸せにするって宣言して行ったわ」 ジェイクは苦笑いをした。「彼女は少しばかりきついかもしれないが悪意はないんだ。 それに君をとても気に入っている。僕を恨むのはしかたないけど彼女は……」 シーラは手を振ってジェイクの話を遮った。 「もうやめて。まったくふたりしてわたしの貴重な休憩時間の邪魔をして」シーラはジ ェイクの胸に指を突きつけると睨みつけた。「わたしはもうあなたなんかなんとも思って いない。アンナにも言ったけどわたしにかまわないでちょうだい。それに……わたしはあ なたたちおふたりの幸せを心から祈ってるわ」 ジェイクは顔をしかめた。「本当?」 「心の底からの真実」 ジェイクは天を仰いでお日様のように顔を輝かせた。「ああ、シーラ。とてもうれしい よ。君に祝福される日がくるなんて夢みたいだ」 なって大袈裟なんだろう。それでもジェイクの笑顔はシーラをとてもあたたかく照らし た。 「アンナはいい人ね」シーラはポツリと言った。 「僕は確かに尻に敷かれるタイプのようだ。君にもいい人が現れたらぜひ応援させても らうよ」 軽やかな足取りで仕事に戻るジェイクの背中にシーラはそっとつぶやいた。 「気になる人がいるかも……」 仕事が終わって家に帰るとメグはまだ織機の前に座っていた。 「メグ。そんなに頑張って大丈夫なの?」 「大丈夫さね。なかなか楽しいんだよ」 「それでもそろそろ終わりにして。あとで動けなくなって抱えるのはわたしなんだから」 シーラは無理やりメグをテーブルに引っ張って行った。夕食の準備はまだだった。 「ちょうどよかった。今日はミートローフとウィンナーをもらったから」 「子羊亭の女将さんは気前がいいねぇ」 「わたしの働きがいいからよ。だけど確かに助かるわ。貧しいけれどとりあえず食べる には困らない」 「いま織っている布で、ちょっとしたお金が入るさ」メグがシーラをうかがうような目 でいった。 「ジェイクとアンナに生まれる赤ちゃんのために織ってるって知ってたの?」 メグはやれやれといった顔をした。「いや、頼まれたときは言われなかった。でもうす うす気がついてはいた。あんな上等な糸を持ってくるのは金持ちだ。でも、楽しいんだよ。 おまえは気にするかい?」 「ちっとも。今日会いたくもないのにアンナにもジェイクにも会った。頼んでもいない のにふたりともわたしのことを心配していた。まったくわたしの存在はなんなのよ!」 「おまえは憎めないからねえ。知ってたかい?」 「はいはい。わたしもそろそろ人格を見直していい人の仲間入りをしなくっちゃね」 ふたりはそれぞれの思いに浸り、静かに子羊亭の料理を食べた。いつ食べてもおいしい。 シーラは子羊亭の様々な調理のコツを教えてもらおうと旦那に頼んでいるのだが決して教 えてくれない。何か隠し味があるのだ。こっそり盗み見をしようとしても、すぐ気がつか れ、あのでかい図体で隠されてしまう。女将さんにそれを言うと隠し味なんてないと大笑 いされた。「愛情だよ。うちの旦那は料理をつくるとき肉や野菜に話しかけるんだ。それ を見られるのが恥ずかしいんだよ」と。 子羊亭の家族は仲がいい。みんな一団となって店を切り盛りしている。子供たちが大き くなる頃には村いちばんの大きな店になっているだろう。 シーラは腰をさすりながら立ち上がろうとするメグをとどめて、食器を片付けるとお茶 をいれた。 「メグ。願いがひとつ叶うとしたら何を願う? 人生をもう一度やり直すとか?」 「それは嫌だね。いまのままで満足してる。そうだねえ」しばらく考えていたが首を振 りながら答えた。「何も思いつかない。それにそんなことを考えてもしかたがない。たと え願 いが叶ったとしてもそれがいいことなのかどうかあやしいもんだろ?」 メグはシーラの顔をやさしく見つめた。「おまえはアンナから聞いた話を気にしている んだろ?」 「メグは知ってたの?」 「ああ、さっき聞いた。おまえたちが何を話したのかちょっと訊いてみたんだよ」メグ はため息をついた。「結局はわからないだろ。いなくなった男があの人とは限らない。そ れにずいぶん昔の話だそうだ」 「誰かに訊いて確かめられるかも」 「それでどうなるんだい? いまさら知ってどうなる。何もかわりゃしないさ。それよ りもこれからのことを考えたほうがいい」メグは自分に言い聞かすようにつぶやいた。 TOP BACK NEXT HOME Chap.7